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2010年 12月

第8回  「死」の意味と「想起」と『わが町』と

 水曜ワイルダー約1000字劇場、美術担当の水谷です。

 さて、先週の続きで、ワイルダーは好んで舞台に「死」を持ち込んでいましたが、それはなぜなのか。その答は『わが町』の第三幕の後半部分に集約されているので、みなさん、舞台で自分自身の《感覚》で体感してください。「想起」と言った方がワイルダー好みかもしれませんが。

 ワイルダーのお芝居はその完成形が舞台の上じゃなく、舞台と想像力豊かな観客の中間にあるのではないかと、わたしは常々思ってます。舞台監督も言ってるように、死者たちの言葉の中には、聞いていて傷つくようなことも出てきますが、それがこの戯曲の完成形ではなく、それは観客の中に「想起」を起こすための要因なんじゃないでしょうか。じゃ、何を想起するのか。これはもう体感するしかないと思います(是非、体感しに来てください)。

 『わが町』もそうですが、先週名前を出した一幕劇でも、ワイルダーが「死」を舞台に導き入れるとき、個別の死の過程が具体的に語られることはなく、逆にあっさりと、淡々と人は死んでいきます。あらゆる「生」を一瞬にして無に帰する死は、それ故に、個別の領域から普遍の領域へと観客を巻き込み、生の本質を鋭く浮かび上がらせます。そのような死が至るところで待ち受けていた日本の戦国時代やヨーロッパ中世の演劇に、死が大きな要因となって組み込まれていたのは必然かもしれません。そしてその時代、どちらの地域でも、演劇は宗教的でした。そもそも演劇の起源はどの国でも、まず宗教儀式にありますよね。人は演劇の中で、神、あるいは死を通した神、という絶対的存在の前に自らの「生」を対置させ、日常では見えなくなっている「生の意義」を見ていたと言えます。

 先週は能のことを書きましたが、今週はイギリスの中世の演劇、道徳劇のことを少し。夢幻能と同じように、この道徳劇も大体パターンが決まっていて、「人類(Mankind)」とか「万人(Everyman)」という名前の登場人物が、様々な罠や誘惑に惑わされながらも、最後に自分の人生を悔い改めて、神の祝福を得る、というものです。『万人』では、文字通り「死(Death)」という人物も登場します。個々の物語は違いますが、生の移ろいやすさ、はかなさ、つまりは「無常感」を醸し出すことでは、能と同じかもしれません。おもしろいですね、洋の東西は異なっても、似たような感覚を持っていた時代が「近代」以前にあったというのは。どちらも現世の空しさを説き、人間を超えたもの(聖なる領域)の前に人間の小ささを見、その二つ、聖と俗の関係性の中で、わたしの生を認識する。ワイルダーのお芝居は、近代を飛び越した中世の芝居と本質的には同じだと言えるのではないでしょうか。

 しかし、MankindとかEverymanという名前の登場人物を出すって、すごいですよね! 誰が見ても、「お、これはわたしの話だ」と思えてしまうんですから。『わが町』も、そうだといいのですが。(ミズタニさーん、字数オーヴァーでーす。)すみません・・・

(何字だと思ってんですか!)

ごめんなさ・・・

イテッ・・・何も叩かなくたって・・・

(ちょっと調子に乗ってんじゃないの、最近?)

・・・でも、言いたいことが

うまく

さ・・・。

相島一之さんのわが町

年内最後の登場は、ドクター・ギブズ役の相島一之さんのわが町です。

私は夏の暑さで有名な埼玉県の熊谷で生まれました。

子供のころは近所を流れる星川や高城神社の境内で遊んでいました。祭りの多い町で冬の胎内くぐりに酉の市。夏のうちわ祭りに荒川の花火大会。終戦の前日の空襲で亡くなった人の鎮魂のトウロウ流し。どれも大好きでした。

 20歳の頃は毎日のように熊谷で飲んでいました。星川の柳の下で酔いつぶれ、荒川土手まで陽の出を見に行きました。春には桜堤の満開の花の下で何時間も友と語りあかしました。

 もう父も母もいません。私も今は、東京の生活の方が長くなってしまいましたが、熊谷には今でも姉とかけがえのない友人がいます。だから私は熊谷が大好きです。熊谷は私の「ふるさと」で私の「わが町」です。

CM放映中!!

HPのTOPに掲載している「わが町」CMが、昨日より、銀座の町で流れています。

場所は銀座4丁目の交差点、三愛ビルにある大型ディスプレイHot Visionです。

1時間に8回、朝9:00~夜の12時まで流れています。

1月15日まで放映しておりますので、年末年始、銀座にお出かけの際には、
是非、交差点の上を眺めてください。

 

斉藤悠さんのわが町

続いてもBoys&Girlsの斉藤悠さんの登場です。

 ぼくの思い出の町は松戸です。

20年近くこの町で過ごしてきました。特に何かがあるという訳ではない普通の町なのですが、僕にとっては大切な思い出の詰まった町なのです。家族でよく行ったレストランや遊び場だった公園、大人になった今では息子を連れてそれらの場所にたまに遊びに行きます。

自分が慣れ親しんだ遊具で遊ぶ息子の姿を見ながら、自分の子供の頃を思い出したり、思い出の味のカルボナーラを息子と分け合ったりと、懐かしさだけではなく、訪れる度に、新しい想い出を作ってくれる場所です。

 これからも何度となく訪れたい私の“わが町”です。

水野駿太朗さんのわが町

続いての登場は、Boys&Girlsの水野駿太朗さんです。

福江。

白い砂浜と青い海の高浜。バラモン凧。練り歩くチャンココ踊り。灯籠と手持ち花火の夜の墓場。ハッチカンカン。禿山の鬼丘。港。寂れたコンカナ王国。五島高校の城壁。美しい大瀬崎灯台。

これといっておもしろいものはありません。

長崎県五島列島福江島は、僕の母の実家です。東京で生まれた僕ですが、物心ついた頃から、夏の盆の時期は決まって福江に行くのが常でした。そんな島で年に一度会えるいとこ達と、思いっきり遊ぶのが、小さい頃は一年の最大の楽しみでした。お別れの港は、毎年ワンワン泣きました。

ここ数年、島にいるいとこに赤ちゃんが生まれました。年に一度、あの子達がすくすくと大きくなっている姿を見るのが、今の僕の新しい楽しみになりました。ひょっとしたら今でも、楽しかったのは僕達子供だけではなかったのかもしれません。

こんな風にずっとずっと続きますよう、福江を思います。

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