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2010年 12月 12日

中野富吉さんのわが町

続いてはさいたまゴールドシアターの中野富吉さん。

ベーリング海のピロブロフ島のある校長からホームスティの要請の手紙が届いたのは、57才の秋、定年後の行先を求めていた時であった。ほどなく、州の許可が下りず中止、緊急時ヘリコプターによらなければならないからだ。異国の人間を滞在させるには過酷すぎたのであろう。

アラスカ州ホーマーに行ったのは10月の末、

比較的温暖な街だ。5マイルをカチマック湾に細長く突出しているホーマースピッツは実に美しい岬である。突端には小さな漁船が賑賑しく終結していて、時に200K級のおひょうが秤量されているのが見られる。馬の背よりも高い、がっしりとしたムースが民家の庭に入ってくる。大型野生動物との共生も楽しい。5月は卒業の時期である。キャップとガウンをつけて教師たちと一緒に儀礼のステップを踏みつつ登場、その年の卒業生80名のトップをきってホーマーハイスクールの校長からディプロマを授与される。人生で最も鮮烈で頼もしいものだった。

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