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2010年 12月 08日

第5回 何もない舞台の歴史 その1

 水曜ワイルダー約1000字劇場、音響担当の水谷です。今週はちょっと時代をさかのぼって、ワイルダーが理想と考えていた演劇空間のひとつ、エリザベス朝の舞台の話を。シェイクスピア(1564-1616)が活躍した時代ですね。

 現在わたしたちは翻訳でシェイクスピアの戯曲のすべてを読むことが出来ます。たとえば『ハムレット』を読んでいるとしましょう。1幕5場で、ハムレットは亡霊からその死にまつわる秘密を打ち明けられ、興奮して「おお、満天の星よ」と呼びかけ、クローディアスへの復讐を誓います。この場面を読んで、みなさんならどんな舞台を想像しますか? 「満天の星」ですから、夜のエルシノア城の城壁近くで、風が吹いていたり・・・。『マクベス』の魔女の場面はどうでしょう? あるいは『ロミオとジュリエット』の有名なバルコニーのシーンは(これも夜ですね)? 

 みなさん、ひょっとしたら、映画のような場面を想像していませんか? でも、シェイクスピアの時代、当然、照明はありません。ちょっと当時の劇場の模型を見てみましょう。エリザベス朝の公共劇場は円筒形の建物で、屋根は舞台の一部とその舞台を囲む客席の上にしかありません。真ん中は青天井で、円の中央に張り出している舞台の上に太陽光が入るようになっており、すべては日の光の下で演じられていました。

©New York Public Library

※シェイクスピアが座付作者であった宮内大臣一座の劇場、グローブ座の模型 

 さらに良く見ると、幕を引いて舞台を隠すようには作られていません。つまり舞台転換をするにしても、隠すことができないし、何かを舞台に運び込む場合も、丸見えです。隠すという発想がそもそもなかったのかも。つまり芝居とは「嘘」であることが大前提だったということですね。さらに当時、女優は存在していませんでした。女性役は声変わりをする前の少年俳優が演じていました・・・ジュリエットも・・・(ということは、男同士が、昼日中、舞台の上で・・・歌舞伎も同じか)。

©New York Public Library

※グローブ座内部の模型

 この時代、「芝居を見る」という言い方は普通ではなく、「芝居を聞く」(hear a play)という言い方が一般的でした。台詞の大半は無韻詩という型の詩で書かれていたんですね。つまり、何もない舞台から語られる台詞(詩)により、観客は何もない舞台の上に夜だろうと、嵐だろうと、海だろうと、妖精だろうと、美女だろうと、太陽光の下で、すべてを「想像力」の助けで見ていたということになります。

 これもシェイクスピアですが、『ヘンリー5世』のプロローグにこんな台詞があります。(すでに1000字を越えてますが、お許しを!)

  われらのたらざるところを、皆様の想像力でもって
  どうか補ってください、一人の役者は千人をあらわし、
  そこに無数の大軍がいるものと思い描いてください。
  われらが馬と言うときは、誇らしげな蹄を大地に印する
  馬どもの姿を目にしているものとお考えください・・・・
  数年間にわたって積みかさねられた出来事を
  砂時計の一時間に変えるのも、皆様の想像力次第です。
                         (小田島雄志 訳)

 昔、演劇はそういうものだったんですね。と言うか、これが演劇の本質なのではないでしょうか。嘘と想像力のコラボ。少なくともワイルダーはそう考えていたと思います。でも、シェイクスピアよりも前に、もっと『わが町』に近いものがあるんですよ、結構身近に・・・それはまた来週にでも。

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