ブログ

2010年 12月 01日

第4回  今から『わが町』ってのをやります。

 水曜ワイルダー約1000字劇場、芸術監督補佐の水谷です。

 先週の続きで・・・ええっと、『わが町』で「全裸」舞台とか、「舞台監督」という本来なら表舞台には立たない人を舞台に出して、道具をセットするところをわざと見せたり、ワイルダーは一体何を狙っていたんでしょう。その舞台監督の最初の台詞は「このお芝居のタイトルは、Our Town、『わが町』」というものです。若い方なら、「あれ、それってチェルフィッチュの『クーラー』の最初と似てる!」と思うかもしれません。逆に私はチェルフィッチュの『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』を見たとき、「クーラー」が「今から『クーラー』ってのをやります」という台詞で始まったのを見て、「あれ、これって『わが町』の最初と同じだ」と思いました。ここで岡田利規さんがワイルダーに影響されてるとか、そんなことを言うつもりは全然ありません。多分、岡田さんはワイルダーを知らないんじゃないかな(知ってたら、ごめんなさい)。でもこの結びつけようもない二人は、多分、これから舞台でやるのは「〈お芝居〉なんですよ」ということを強く意識して前面に押し出している、という点では共通しているのではないでしょうか。(チェルフィッチュの芝居もほとんど何もない舞台ですね。)

 お芝居って不思議な行為ですよね。舞台の上でどんなに本物らしく見せても、所詮はすべてが「嘘」なんですから。その嘘を隠して「本物らしさ」を追及するのがお芝居なのか、それともその嘘を堂々と白日のもとにさらしてしまうのがお芝居なのか? どちらも「アリ」だと思いますが、少なくともワイルダーは後者の立場を取ることが多いようです。それに、岡田さんに限らず、現代の若い演劇人の多くは、ごく当たり前に「嘘」を堂々とさらけ出していますよね。

1938年、初演の堂々たる嘘(水谷)©New York Public Library

 ワイルダーはあるエッセイの中で、演劇が他の芸術と異なっている点を4つ上げています。

1 演劇は多くの共同作業に基づく芸術である。
2 演劇は群集心理に語りかける。
3 演劇は虚偽に基づき、その本質ゆえにさらなる虚偽の増殖を呼び起こす。
4 演劇のアクション(筋・出来事)は永遠の現在において展開する。

 なかなか魅力的で、的確なまとめ方ですね。裸舞台や舞台監督による道具のセットなど、どうも3番目の特色に関連があるようです。ワイルダーは嘘を演劇の特質と考え、それを隠すのではなく、むしろ積極に見せていたわけです。でもこれはワイルダーの専売特許ではありません。ずーっと昔から行われてきたことです。一番わかりやすいのは・・・やっぱりシェイクスピアですかね。

 あ、もう1000字を越えてる。続きはまた来週・・・どうも1000字だと窮屈ですね。来週から約1250字劇場にしようかな・・・どうです?

ページの先頭へ