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2010年 12月

佐々木友里さんのわが町

続いてもBoys&Girlsの佐々木友里さんです。

私の思い出のわが町は、生まれ故郷、広島県の呉です。

かつては軍港として栄えた港町であり、「肉じゃが発祥の地」という、家庭的な感じの名物もあったりして、見どころ満載、盛りだくさんな町なのです。

町からちょっと行くと、瀬戸内海が広がっています。学校帰りに仲良しの友達と海沿いの防波堤に座って、夕日を見ながら「あーだ、こーだ」おしゃべりしたり…。本当に若かったなぁと思い出します。

でもやっぱり呉が大好きな一番の理由は、人々が暖かいことです。

私は中学時代、学校の選抜メンバーで作る「ソーラン隊」の踊り子として活動していました。放課後になると、呉の風物にちなんだ、オリジナルのソーラン節を練習し、休日にはお祭りや、老人ホームへ訪問して披露するというのが「ソーラン隊」の使命でした。練習は厳しかったのですが、観客の暖かい応援や拍手で、演じることがどんどん楽しくなりました。今の私があるのも、わが町呉と、そこに暮らす人々のおかげだと思います。

故郷に帰ると、一瞬で肩の力が抜けるような感じがします。潮風が優しく吹く、そんな呉の町が私は大好きです。

横山央さんのわが町

続いてはBoys&Girlsの横山央さんの登場です。

静岡は西部に掛川という街があります。

私が生まれ育った街であり、帰る場所でもあります。                            

 18歳で上京した東京の最初の印象は、“なんて狭いのだろう”でした。空は狭く星は見えず、目を心を癒す緑が無い。それなりに住み慣れるまでは、地元に戻りたいと毎日のように思っていたものです。                               

 住み始めて7年、多くの人に出会い、多種多様の文化にも触れ、私という存在の可能性を広げてくれた東京に今では感謝しています。それでも、今でも地元に帰りたいと思うことはあるのです。そうさせるのは、家族、仲間、そして自然。楽しく昔話をできる仲間がいる、こどもの頃に遊んだ自然がそこにはある、それは今の私の存在証明でもあるわけです。仲間の中には結婚した者、更にはこどもができた者もいます。私の“わが町”は素敵に巡っていて、これから、また新たな“わが町”になりそうな予感がしています。                              

 真面目に書きましたが、私、横山央は面白い人間ですよ(笑 )

中野富吉さんのわが町

続いてはさいたまゴールドシアターの中野富吉さん。

ベーリング海のピロブロフ島のある校長からホームスティの要請の手紙が届いたのは、57才の秋、定年後の行先を求めていた時であった。ほどなく、州の許可が下りず中止、緊急時ヘリコプターによらなければならないからだ。異国の人間を滞在させるには過酷すぎたのであろう。

アラスカ州ホーマーに行ったのは10月の末、

比較的温暖な街だ。5マイルをカチマック湾に細長く突出しているホーマースピッツは実に美しい岬である。突端には小さな漁船が賑賑しく終結していて、時に200K級のおひょうが秤量されているのが見られる。馬の背よりも高い、がっしりとしたムースが民家の庭に入ってくる。大型野生動物との共生も楽しい。5月は卒業の時期である。キャップとガウンをつけて教師たちと一緒に儀礼のステップを踏みつつ登場、その年の卒業生80名のトップをきってホーマーハイスクールの校長からディプロマを授与される。人生で最も鮮烈で頼もしいものだった。

橋本淳さんのわが町

続いてはBoys&Girlsの橋本淳さんの登場です。

わが町(第3のふるさと)=福井県小浜市

小浜市には以前あるドラマの撮影で長期滞在していました。
基本的には何もありません、町を歩けば数人とすれ違うだけ、コンビニもない 。
あるとすれば山や海に小さな商店街。。。
しかし、ある時ふと気がつきました。 そこにはたくさんの笑顔があったことを
暖かい人と人の繋がり、海や山からの自然の恵み、』耳を澄ませば波の音に混じって子ども達の明るい笑い声
それを感じとった時から、スーッと自分の中から何かが抜け落ちました。
自然と優しい気持ちになれた。
ああ、これでいいんだ。笑顔で溢れているだけで幸せなんだと。

東京で生まれ育って徐々に忘れかけていた大切なものを取り戻して  もらった大切な町。
今となってはかけがいのない存在です。

オバマ氏で盛り上がってしまう町の雰囲気が大好きです(笑)

中村元紀さんのわが町

続いては、ハウイー・ニューサム役の中村元紀さんです。

僕にとって“わが町”と呼べる場所はやはり生まれ育った「日野」です。

東京の西側にある、二つの川に挟まれた、ごく普通の街ですが、少年時代の僕にとっては世界の全てでした。
友達と毎日のように、川へ魚やカエル、ザリガニなんかを捕りに行っては、ビショ濡れになって帰宅して、母を困らせました。
父の手伝いで、家業の雑貨店の店番をするのは、自分が一人前に扱われてるような気がして、とても誇らしい気分でした。
田んぼに囲まれた通学路、土手のグラウンド、神社の境内、団地の原っぱ、楽しかったエピソードは沢山あります。
子供の頃はあんなにも広かった世界ですが、大人になった今は、なんだか少し狭くなったように感じます。
でもこの街の記憶は、僕の心の原風景であり、大切な自慢の“わが町”です。

日野の浅川の風景

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