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ありがとうございました!!!!

先週の土曜日、たっっっくさんのお客様にご来場いただき、
「わが町」は無事、千秋楽を迎えました!!!
本当に本当にありがとうございました。

ピアニストの稲本さんも含めて35人の出演者たち、
バックステージを支えてくれた、舞台監督・澁谷さん始め、
演出部、衣裳さん、ヘアメイクさん、
そして劇場のテクニカルスタッフたち。
営業のみなさん、案内係のみなさん、楽屋係のみなさん、チケット売り場のみなさん、物販してくれたみなさん……
総勢で何人の方々が関わってくれたのか、もはや全くわかりませんが
おそらく日々「わが町」の現場にいたのは120名を超える巨大チームでした。

お客様も、毎日本当に暖かい拍手を送ってくださいました。
120名のカンパニー、そして日々の700人強のお客様が
一体となって、毎日「わが町」が初台に現れていました。
確かにあの時、あの瞬間に、あの場所にはグローヴァーズ・コーナーズが
在りました。

幸せな、贅沢な、あたたかい日々でした。
本当に本当にありがとうございました!

新国立劇場では、今後もまだまだ注目作が目白押しです。
また是非、初台でお目にかかれることを祈りつつ……

(も)

第12回 もう最終回。じゃ、おやすみなさい。

 水曜ワイルダー約1000字劇場、お掃除係の水谷です。あっという間の最終回。ダラダラまとまりないことを書いてきましたが、ちょっとだけ振り返ってみます。

 ワイルダーは、20世紀の劇作家でしたが、その戯曲には前・近代的な要素が多く、その実験的な方法は「近代劇」から想像力を解放させることにおいて、「近代」に反旗を翻していたと言えます。それは表現上の問題にとどまらず、作品世界とも深く関わっていて、彼の戯曲は、能やヨーロッパ中世の宗教劇、シェイクスピアの作品に見られるように、現実世界を超えた何ものか、「大いなるもの」「永遠なるもの」と人間を結びつけることで、あるいは20世紀という非・宗教的な世俗の時代に、人間を宗教的に見ようとすることにより、「人間存在」そのもののあり方を「近代的」なあり方から解放しようとしていた、と言えるのではないでしょうか。

© Yale Collection of American Literature, Beinecke Rare
Book and Manuscript Library, Yale University

[舞台監督を「演じる」ソーントン・ワイルダー]

 前回は日本の現代演劇のなかのWi的なものについて書きました。そこで触れた現代の日本の劇作家たち、それに第4回に登場した岡田利規さんも含めて(そう言えば、チェルフィッチュの新作のチラシの裏には、またまた超Wi的なことが書かれていますよ)、彼らのお芝居は、少なくともその表現方法においてWi的でした。同時に、人間を捉えようとするその姿勢もとてもWi的だと思います。もちろん彼らは宗教的ではないでしょう。でも、何もない舞台の上に「死」を持ち込んだり、宇宙の時間と人の一生を重ねたり、日常の一コマを反復させたりすることで、岡田さんのチラシの言葉をそのまま使うと、「誰の日常も、その日常よりもずっと大きなスケールを持つ何かと、絶対につながっているのだ」という感覚を想起させようとしているのは間違いないと思います。

 そのスケールが、家族から宇宙まで・・・その程度に差こそあれ、彼らの作品は、このわたしの位置とその存在の仕方を模索し、現在の位置とあり方を再確認しようとしているように思えます。わたしは今どこにいるのか、どんな状況に置かれているのか、見えにくいが故のことでしょう。ワイルダーならびにWi的は、わたしたちの目をこの「人間存在」の根幹へと向けてくれます。

Barrow Street Theatreの『わが町』のポスター。

 じゃ、アメリカではどうでしょう? 昨年9月、1年半以上続いたオフ・ブロードウェイ、バロウ・ストリート・シアターでの『わが町』(デヴィッド・クロマー演出)が幕を閉じました。『わが町』としては最長の上演期間です。また同じオフ・ブロードウェイのキーン・カンパニーは2004年から断続的ですが、ワイルダーの一幕劇や三分間劇の一部を上演し続けています。さらに『ニューズ゙・ウィーク』誌のジェレミー・マッカーターは、「ここ数年はちょっとしたワイルダー・ブーム」(09年10月21日号)と書いています。アメリカの方はWi的ではなく、Wiそのものですが、以前よりも注目度は高いようです。大きな流行ではないにせよ、ワイルダーが注目を浴びているのは日本だけではないんですね。

 広い文脈で考えるなら、袋小路に入り、完全に煮詰まってしまった「近代」という人間中心の時代、時代精神に違和感を抱く人たちにとって、洋の東西を問わず、ワイルダーの作品、あるいはWi的な方法って魅力的なんだ、ということなんじゃないかなぁ、と。つまり、近代の終焉でこそ、ワイルダー、あるいはWi的は光り輝く。アメリカでも、日本でもワイルダーへの関心が以前よりも高くなった背景にはこんな理由があるんじゃないか、と個人的には考えています。だから、もっと読もう、ワイルダー!

 ということで、いつもまとまりのない駄文を読んでくださり、ありがとうございました。さて、書き散らかしたものをお掃除しなくちゃ・・・あ、お休みなさい・・・

(最後の最後まで「1000字」守らなかったね、ミズタニさん…… え? 数字に弱い? ワイルダーと一緒だね♪〈も〉)

「わが町」をお得に観る方法

おかげさまで「わが町」を観終わったお客様からは、毎回お世辞抜きの絶賛が寄せられています。まことにありがたい限りです。
そこで、ぜひ多くの方にこの公演をご覧いただきたいのですが、「演劇のチケットって高そう!」「学生だからお金ないし…」とお嘆きの方もいるかと思います。
しかし、新国立劇場の主催公演には“1500円のZ席”“当日学生割引”というお財布に嬉しいサービスがあるのをご存知でしょうか。

まずZ席というのは、公演当日朝10時から劇場のボックスオフィス窓口のみで販売される1500円のお席です(1人1枚、電話予約不可)。今回は2階席3列目の左右計26席(座席表はこちらから〈PDF〉)。多少舞台が見えにくいですが、とてもお手頃な価格でご観劇いただくことができます。チケットを買った後は、開場時間まで劇場5階の情報センターで演劇に関する資料や過去の公演の映像を見て、時間を有効に使うという人も。新国立劇場ならではの楽しみ方です。

【スタッフのオススメ】
昼夜2回公演の日は、朝10時に発売されるZ席も昼と夜の2公演分。つまり52席もあるので、比較的余裕を持ってお買い求めいただけます! …とはいえ売り切れの際はご容赦を。次の2回公演日は27日(木)です。

もう一つ当日学生割引は、学生の方がS・A・B席の当日券(Z席を除く)を買うと半額になるというもの。こちらも公演当日朝10時から、劇場のボックスオフィス窓口かチケットぴあ限定店舗にて、学生証を提示して当日券をご購入いただくだけで、なんと50%OFFです(1人1枚、電話予約不可)。2階のB席なら半額で1575円ですから、映画を見るような気軽さでご観劇いただくことができます。ただし、当日残席がある場合に限られますので、今週の火・水・木あたりが狙い目です。

【スタッフのオススメ】
上記の「チケットぴあ限定店舗」は、新宿・渋谷・横浜・有楽町にあって、劇場のボックスオフィスと同じ残席から当日券を販売しています。だから劇場まで行かなくても、お住まいや学校の近くのチケットぴあで買うことができるんです。詳しい場所はこちらでご確認ください。

すでに2度目、3度目のご観劇という方もいらっしゃる評判の舞台です。千秋楽まで残すところあと5日間、6回公演となりました。新国立劇場のお得なサービスを使って、「わが町」をお楽しみください!(ま)

青木和宣さんのわが町

続いては、ウォレン巡査役の青木和宣さんのわが町です。

私は1953年秋に、歴史ある落合の火葬場裏のボロアパートで生まれ、その後新宿区上落合三丁目、中井二丁目内を二十歳過ぎ迄、父母を弟の4人で借屋、借家の梯子暮らしだった。子供の頃、お世話になった小さな商店街を四十数年振りに歩いてみた。

太い指でパンクを直していた自転車屋さん、乾物屋のおばちゃん、和菓子屋さん、肉屋さん、おそば屋さん、お風呂屋さん。テーラー、おもちゃ屋さん。八百屋さん、ヤギヤのパン屋さん、畳屋さん。商店街中央の妙正寺川に架かる橋を渡るとタバコ屋さん、洋品屋さん、果物屋さん、そーだ!あそこに在った豆腐屋のおじさん、手品が上手だったなぁー、町内会なんかのイベントには必ずご披露していた。僕が鍋を持って豆腐を買いに行くと「おや、かずのりちゃんお使い?!エライネー」と言って両手を合わせて「あっ!親指が取れちゃったー!」…?私は6才でこの手品を会得した。数十軒の小さな商店街も今は小綺麗になったおそば屋さん、お風呂屋さん、米屋さん、畳屋さんしか残っていない。もう西武新宿線の踏切だ。帰ろうとしたら遮断機は下りて来た。すると踏切の向こう角に、半世紀、変わらぬままの床屋さん!ドアからおじさんが出て来た。肥っちゃたけど確かにおやじさん。ごみバケツを片付けている。懐かしいー。小学生になる前から五年生に成って、東京オリンピックが開催された1964年頃迄、俺のヘアーをずっと坊ちゃん刈りにしてくダサッたおやじさん。いつまでも元気でいて下さい。有り難う、わが町。

第11回  日本の現代演劇とワイルダー「的」な

 水曜ワイルダー約1000字劇場、大道具の水谷です。さて、気がついてみると、このブログもそろそろ終盤です。最初の回で、このところ日本で『わが町』が頻繁に上演されたり、ワイルダーへの関心が高まっていることに触れました。今回は日本の現代演劇に見られるワイルダー「的」(略して「ワイ的」=「Wi的」。字数エコ対策。)な要素について書いてみます。つまり、ワイルダーの作品そのものではないけど、そう、このブログの第4回目で岡田利規さんの戯曲の「今から『クーラー』ってのをやります」という台詞と『わが町』の最初の台詞が似ていると書きましたが、そういう「的」なことですね。

 昨年秋に開催されたフェスティバル/トーキョーで上演された前田司郎さん率いる五反田団の『迷子になるわ』は、劇場に入ったとたん、思わず「オッ」と声を出してしまいました。何もない舞台に、何の変哲もない椅子が整然と並べられていたからです。直感的に「これはお墓だ」と思いました。『わが町』の第三幕のお墓の場面、舞台の下手側に単純な椅子が並べられているあの場面(当ブログの2回目の画像参照)と同じだ、と。そして、お芝居が始まると、実際その椅子は芝・増上寺のお墓として(も)使われていました。そして下の写真の中央に見えますが、上から吊るされた赤と白のロープが東京タワーになるんですね。ああ、「Wi的」!と思いました。

前田司郎 作・演出・出演  五反田団 『迷子になるわ』

 でも、その舞台の使い方のみならず、物語は奇妙奇天烈な展開であるのですが、「死」が作品の真ん中にドーンと据えられていて、そこもWi的だなぁと思いました。そう言えば、2008年に岸田戯曲賞を取った『生きてるものはいないのか』では、最終的に登場人物全員が死んでしまい、目に見えないけれど、実質主人公は「死」そのものでしたね。前田さんは小説でも、飄々と「神様」を出してたりして、日常の中に「絶対」を持ち込む手際がすごいWi的だなぁと思います。

 もうひとつ、フェスティバル/トーキョーで、偶然見てしまった「マームとジプシー」の『ハロースクール・バイバイ』という作品。まるで『長いクリスマス・ディナー』のように同じ場面が何度も少しずつ角度を変えて反復されていました。その繰り返されていること自体はありきたりの青春物ですが、反復されることで何か「時間の本質」が見えてくるような気がして、Wi的だぁ、と思いました。

 そして反復と言えば、柴幸男さん。柴さんの『反復かつ連続』は今回の『わが町』のボーイズ&ガールズの一人、内山ちひろさんが一人で高度な技術を見せる舞台でしたが、この作品も誰もが経験するであろう朝の食卓の風景が幾層にも反復され、その果てに日常では感じ取れない、しかし確実に日常の基盤にある「何ものか」を浮き立たせていて究極のWi的です。そして柴さんの岸田戯曲賞受賞作『わが星』はもうそのタイトルからワイルダーとの関連がすぐに嗅ぎ取れるわけですが、宇宙の広がりの中に一家の食卓の風景を置いたり、宇宙の時間と一人の女性(星)の一生を重ねたり、これもワイルダーが『わが町』や『危機一髪』で好んでやっていることで、ほとんどWi。

 Wi的と思える戯曲、劇作家に共通するもっとも重要な共通項は、おそらく、現在の「生」のあり方への違和感と、存在しているにもかかわらず日常では隠されてしまっている「生」の根幹に触れてみたいという極めて真摯な態度だと思います。それを形にするには日常を超えた視座が必要であり、そのために演劇という形式、裸舞台が有効だという認識ではないでしょうか。日本の現代演劇の最前線がかなりWi的というのは、興味深い現象だと思います。(もう開き直った字数で、申し訳ない! 許してください、〈も〉さん!)次回、最終回、まとまらないまとめを。そしてみなさん、是非舞台を見てください! 美しいです! 〈美〉に勝る説得力はありません。

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