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2011年 01月 19日

1月19日 青木和宣さんの...

続いては、ウォレン巡査役の青木和宣さんのわが町です。

私は1953年秋に、歴史ある落合の火葬場裏のボロアパートで生まれ、その後新宿区上落合三丁目、中井二丁目内を二十歳過ぎ迄、父母を弟の4人で借屋、借家の梯子暮らしだった。子供の頃、お世話になった小さな商店街を四十数年振りに歩いてみた。

太い指でパンクを直していた自転車屋さん、乾物屋のおばちゃん、和菓子屋さん、肉屋さん、おそば屋さん、お風呂屋さん。テーラー、おもちゃ屋さん。八百屋さん、ヤギヤのパン屋さん、畳屋さん。商店街中央の妙正寺川に架かる橋を渡るとタバコ屋さん、洋品屋さん、果物屋さん、そーだ!あそこに在った豆腐屋のおじさん、手品が上手だったなぁー、町内会なんかのイベントには必ずご披露していた。僕が鍋を持って豆腐を買いに行くと「おや、かずのりちゃんお使い?!エライネー」と言って両手を合わせて「あっ!親指が取れちゃったー!」…?私は6才でこの手品を会得した。数十軒の小さな商店街も今は小綺麗になったおそば屋さん、お風呂屋さん、米屋さん、畳屋さんしか残っていない。もう西武新宿線の踏切だ。帰ろうとしたら遮断機は下りて来た。すると踏切の向こう角に、半世紀、変わらぬままの床屋さん!ドアからおじさんが出て来た。肥っちゃたけど確かにおやじさん。ごみバケツを片付けている。懐かしいー。小学生になる前から五年生に成って、東京オリンピックが開催された1964年頃迄、俺のヘアーをずっと坊ちゃん刈りにしてくダサッたおやじさん。いつまでも元気でいて下さい。有り難う、わが町。

1月19日 第11回  日本...

 水曜ワイルダー約1000字劇場、大道具の水谷です。さて、気がついてみると、このブログもそろそろ終盤です。最初の回で、このところ日本で『わが町』が頻繁に上演されたり、ワイルダーへの関心が高まっていることに触れました。今回は日本の現代演劇に見られるワイルダー「的」(略して「ワイ的」=「Wi的」。字数エコ対策。)な要素について書いてみます。つまり、ワイルダーの作品そのものではないけど、そう、このブログの第4回目で岡田利規さんの戯曲の「今から『クーラー』ってのをやります」という台詞と『わが町』の最初の台詞が似ていると書きましたが、そういう「的」なことですね。

 昨年秋に開催されたフェスティバル/トーキョーで上演された前田司郎さん率いる五反田団の『迷子になるわ』は、劇場に入ったとたん、思わず「オッ」と声を出してしまいました。何もない舞台に、何の変哲もない椅子が整然と並べられていたからです。直感的に「これはお墓だ」と思いました。『わが町』の第三幕のお墓の場面、舞台の下手側に単純な椅子が並べられているあの場面(当ブログの2回目の画像参照)と同じだ、と。そして、お芝居が始まると、実際その椅子は芝・増上寺のお墓として(も)使われていました。そして下の写真の中央に見えますが、上から吊るされた赤と白のロープが東京タワーになるんですね。ああ、「Wi的」!と思いました。

前田司郎 作・演出・出演  五反田団 『迷子になるわ』

 でも、その舞台の使い方のみならず、物語は奇妙奇天烈な展開であるのですが、「死」が作品の真ん中にドーンと据えられていて、そこもWi的だなぁと思いました。そう言えば、2008年に岸田戯曲賞を取った『生きてるものはいないのか』では、最終的に登場人物全員が死んでしまい、目に見えないけれど、実質主人公は「死」そのものでしたね。前田さんは小説でも、飄々と「神様」を出してたりして、日常の中に「絶対」を持ち込む手際がすごいWi的だなぁと思います。

 もうひとつ、フェスティバル/トーキョーで、偶然見てしまった「マームとジプシー」の『ハロースクール・バイバイ』という作品。まるで『長いクリスマス・ディナー』のように同じ場面が何度も少しずつ角度を変えて反復されていました。その繰り返されていること自体はありきたりの青春物ですが、反復されることで何か「時間の本質」が見えてくるような気がして、Wi的だぁ、と思いました。

 そして反復と言えば、柴幸男さん。柴さんの『反復かつ連続』は今回の『わが町』のボーイズ&ガールズの一人、内山ちひろさんが一人で高度な技術を見せる舞台でしたが、この作品も誰もが経験するであろう朝の食卓の風景が幾層にも反復され、その果てに日常では感じ取れない、しかし確実に日常の基盤にある「何ものか」を浮き立たせていて究極のWi的です。そして柴さんの岸田戯曲賞受賞作『わが星』はもうそのタイトルからワイルダーとの関連がすぐに嗅ぎ取れるわけですが、宇宙の広がりの中に一家の食卓の風景を置いたり、宇宙の時間と一人の女性(星)の一生を重ねたり、これもワイルダーが『わが町』や『危機一髪』で好んでやっていることで、ほとんどWi。

 Wi的と思える戯曲、劇作家に共通するもっとも重要な共通項は、おそらく、現在の「生」のあり方への違和感と、存在しているにもかかわらず日常では隠されてしまっている「生」の根幹に触れてみたいという極めて真摯な態度だと思います。それを形にするには日常を超えた視座が必要であり、そのために演劇という形式、裸舞台が有効だという認識ではないでしょうか。日本の現代演劇の最前線がかなりWi的というのは、興味深い現象だと思います。(もう開き直った字数で、申し訳ない! 許してください、〈も〉さん!)次回、最終回、まとまらないまとめを。そしてみなさん、是非舞台を見てください! 美しいです! 〈美〉に勝る説得力はありません。

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