ブログ

第一週目、終了~

初日から4日目、本日、第一週最後のステージでした。
明日は最初の休演日です。
舞台稽古から数えると9日間連続で舞台に立っていた俳優さんたちも
明日はお休み。
スタッフは年明けからノンストップでしたので、ほぼ2週間ぶりのお休みです。
みんな、しっかり休んで、身体のコンディションを整え、
第2週目に突入したいところ。
来週も、一人でも多くのお客様と「わが町」を作り上げたいと思います!!


写真は、廊下に並ぶ衣裳の数々……。
出演者の人数が多い上に、一人何点かの衣裳を着る人もいるので、
その数は膨大です。
しかも今回の衣裳は「麻」系。つまり、簡単にお洗濯が出来ません。
衣裳スタッフが三人がかりで毎日高温スチームをかけ、
殺菌消毒&しわ取りをしてくれています。
なので、衣裳掛けの横にはこんな注意書きが貼ってあります。

みんな、細心の注意をはらっての毎日です。
でも、この町の人たちのやわらかな風合いの衣裳たちが
役者さんの身体をおおい、舞台に立った時……
そこには間違いなくグローヴァーズ・コーナーズが出来あがるんです。
あまりに素敵過ぎて、客席でほうっとため息をついてしまうほど。
なんでもない衣裳に見えますが、みんな少しづつ形が違ったり、
色が違ったり。二幕ではシンプルな飾りがついたり。
そんな衣裳の数々も、要チェックポイントの一つです!

来週からもエンジン全開、皆様をお待ちしておりますので
ぜひ劇場でお会いいたしましょう!!!

菅野隼人さんのわが町

昨日、無事、初日を迎えました!!

続いての登場はBoys&Girlsの菅野隼人さんです。

僕の思い出の町は福島県福島市です。

福島市は自分の生まれ育った所です。中井商店というお菓子屋さんに小学校1年の頃から通っています。小さい頃は母と一緒に買いに行っていました。昔からお菓子屋さんのおばちゃんとお喋りするのが、とても楽しみでした。小さい頃から変わらないお店の雰囲気がとても居心地よくて、いつも時間を忘れて長話しをしてしまいます。学校帰りに中井商店ではお菓子を買って、近くの山の下にある公園で友達と食べたりしていました。たまにその山の第2展望台まで自転車を引きながら登って、そこからまた来た道をブレーキをかけずに一気に下ったりしていました。すごいスピードなのでストレスも吹っ飛んでしまう程です。第2展望台までは舗装されている道路なので、駆け降りている時に車と出くわしてブレーキをかけなければいけない時もありますが、車が来なければ、とっても気持ちが良いです。雨上がりにそれをやった事があって、カーブを曲がりきれずに小さな段差にそのままぶつかって、吹っ飛ばされて、自分は腕を打って、自転車はパンクした事もありました。

僕にとって様々な出会いや、思い出がある町です。

開幕!!

「わが町」本日、無事に開幕いたしました!!!
エミリー、Boys&Girlsのオーディションの公募を発表したのがちょうど1年前!
3月のオーディションを経て、6月からワークショップを重ねてきた
若者チームとは、すでに半年以上の付き合いです。
ゴールドシアターの皆さんは10月のワークショップからの参加でした。
メインキャストの皆さんとだって、稽古初日が2010年11月19日でしたから
もう2か月も前のことです。
振り返れば、意外にも長い長い道のりでした。
あんなことやこんなこと、いろいろなことが走馬灯のように脳裏をよぎります。

楽屋もロビーも、改めてお客様を迎える、いい緊張感に包まれて、
いよいよ開場の時間を迎えます。

やれることはやりきった、という自信と、どうしようという不安。
ないまぜな感情に頭がちょっとだけグルグルしながら、
(も)もたくさんのお客様とともに初日の舞台を見守らせていただきました。

本当に暖かいお客様にめぐまれ、稽古で重ねてきた成果を存分に発揮できた
素晴らしい初日でした。
客席のあちこちから聞こえる笑い声、そしてすすり泣き……
(も)もうっかり涙してしまう場面もあり。
出演者、スタッフ、そしてお客様、みんなで一つの大きな想いをを
分かち合うことが出来た、そんな初日が迎えられたと思います。

さあ、あと16ステージ! 日々、全力で邁進するのみ!!! です♪
皆さまのご来場を、本当に本当にお待ちしております!!!

第10回  三分間劇集『癒しの池、天使がさざ波立てるとき』 の序文

 水曜ワイルダー約1000字劇場、プロンプターの水谷です。もう今週が初日! ドキドキしてきますねぇ。

 さて、ワイルダーは演劇をこの世界とそれを超える次元とを結ぶ回路だと考えていたようだ、ということを前回書きました。彼の演劇観は『三戯曲集』の序文(1957)に一番良く出ていますが、もうひとつ、彼の演劇観を知る上で重要なものが、今回、演劇講座でも紹介する「三分間劇」です。これは1925年、彼がオベリン大学の学生だった頃から、大学の文芸誌に投稿していたもので、登場人物が三人、上演時間(必ずしも上演を念頭に置いてないのですが)が三分という枠を自分に課していた時期のものです。ワイルダーはイェール大学進学後も、ローレンスヴィル高校のフランス語教員時代にも、この形式の戯曲を書き続け、1928年に初の戯曲集『癒しの池――天使がさざ波立てるとき』として出版しました。

 この奇妙な戯曲集には16編の三分間劇が収められており、その大半が「死」や「宗教」を扱ったものです。この凝縮された個々の戯曲の内容も読み応えがあるのですが、冒頭に付された序文は注目に価します。

 この序文の中で、ワイルダーは「偉大な宗教的テーマに見合うだけの精神を、それもお堅い教訓に陥ることのない精神を発見したかった」と書いています。彼は宗教を、(外から強制を加える)教訓としてではなく、内発的なものとしてとらえていて、「美」が唯一の説得力を持つものだ、と熱弁をふるってます。そして最後の部分で「宗教の復興は、ほとんどレトリックの問題だ。その作業は困難で、多分不可能だろう。しかしそれで思い起こすのは、神が聖書の中で《鳩のように柔和であるだけでなく、蛇のように賢くあれ》と勧めていることである」としめくくっています。

 ワイルダーは最初の戯曲集で、20世紀という非・宗教的な時代に、あえて宗教的作家を目指すのだと、宣言しているわけです。ワイルダーが28年にこの文章を書いて以来、20世紀がどんな時代だったか、どれほど超・人間中心主義だったか、わたしたちはすでに知っています。

『サン・ルイス・レイの橋』(1927) 初版の表紙

 ワイルダーは明らかにその時代の流れに逆行しています。彼の初の小説『カバラ』や『サン・ルイス・レイの橋』でも、ワイルダーの姿勢は同じです。物語は人間世界のことを描いていますが、すでに見てきたように、こちら側の世界を描いて、向こう側の世界を、読者(観客)に想起させるのが彼の方法です。最終的に彼が内面に創出しようとしていたのは、こちらとむこうを結ぶ関係性でした。『サン・ルイス・レイの橋』の最後の部分は有名で、2001年9月11日のテロで亡くなったイギリス人を追悼する席で、当時のブレア首相もそこを引用しました。「存在するのは生きている者の国と死んでいる者の国だけであり、そこをつなぐ橋が愛なのだ、それこそが唯一生き残るものであり、唯一意味のあるものなのだ」という部分。ここだけ読むと陳腐な感じですが、通して最後にここを読むと、曰く言い難い空気に包まれます。それは『わが町』でも同じです。その空気を創出するのに、実験的な形式は不可欠な要素になっています。

 ジャンルを問わずワイルダーの全作品に見られる形式への執拗な実験は、「蛇のような賢さ」で、非・宗教的な時代に「大いなるもの」を想起させるための方途でもあったのです。

舞台稽古に入りました!

劇場は絶賛舞台稽古中です。
稽古場から劇場へ移動してきて思うことは
……広い!!! 中劇場、広い!!!
ということ。
これまで稽古場で決めてきた距離感を、少しづつ中劇場にあわせて
修正していっています。
衣裳もつけて、照明も入って、毎日、本当に素敵な場面の数々が
出来あがりつつある日々です。

時に笑い、時に涙し、毎日たくさんの想いを持たされて
帰宅の途に着きます。

乞う、ご期待! です!!

  • 2015年 1月
    << 2015年 1月  
     1234
    567891011
    12131415161718
    19202122232425
    262728293031  
  • 関連サイトバナーリンク

    チケット情報クラブ・ジ・アトレ新国立劇場

ページの先頭へ