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わが町案内版

CM放映中!!

HPのTOPに掲載している「わが町」CMが、昨日より、銀座の町で流れています。

場所は銀座4丁目の交差点、三愛ビルにある大型ディスプレイHot Visionです。

1時間に8回、朝9:00~夜の12時まで流れています。

1月15日まで放映しておりますので、年末年始、銀座にお出かけの際には、
是非、交差点の上を眺めてください。

 

第7回  クリスマスには「長いクリスマス・ディナー」 +その他の一幕劇のことなど

 水曜ワイルダー約1000字劇場、照明担当の水谷です。

 かつて日本の劇団の養成所で『わが町』と並んで好んで取り上げられていた戯曲にソーントン・ワイルダーの「長いクリスマス・ディナー」という一幕劇がありました。見えないクリスマス・ディナーが置いてある長いテーブルと椅子、舞台の両端におかれた二つの戸口だけで、あとは何も具体的な装置のないお芝居です。アメリカの独立当時から続く古い一族、ベヤード家の90年に渡るクリスマスの晩餐の様子が約30分に圧縮されていますが、その時間は途切れることなく滑らかに、そして残酷なほど早く流れていきます。と言っても、早回しでやるわけじゃありません。場面は常にクリスマスのディナー。そこで交わされる挨拶や会話は、多少の変化があるにしても、毎年ほぼ同じようなものなので、数年前の会話がいつの間にか、現在の会話にスライドするというような独特のスタイルで時間が経過します。

 舞台両端の戸口は「誕生」と「死」を表していて、90年の間にこの一家に何人もの子どもがその戸口から生まれ、また何人もの人物が死んで、「死」の戸口から退場します。自分の出番が終われば、舞台から消えてしまう。『マクベス』の台詞そのままですね

『華麗なる招待』©ままごと/ズキュンズ 撮影=細川浩伸

 ワイルダーの「長いクリスマス・ディナー」を誤意訳
 した柴幸男演出による『華麗なる招待』の舞台。横浜
 STスポットの小さな空間中央にテーブルがセットされ
 観客は一列に壁に沿って座り、90年を体感しました。

 この「長いクリスマス・ディナー」は、1932年に一幕劇集として、他の5編(後に1編が削除されます)と共に出版されますが、そのうち3編がセットを使わない(全)裸舞台で上演されるものでした。その中の1編、『寝台特急ハイアワサ号』は、ニューヨークからシカゴへ向かう寝台列車の乗客だけでなく、その列車が通過する草原や夜の時間までが台詞を言うという奇妙奇天烈な芝居ですが、その中で、乗客の一人ハリエットが心臓発作で死にます。死んだ彼女は天使に伴われ、天へと向かいますが、地上に別れを告げるときの台詞は『わが町』のエミリーの原型だと言えるものです。また、線路の工事をしているときに死んでしまったドイツ人の幽霊もしゃべります。ほんと、変な芝居(だから、めちゃくちゃおもしろい!)。

『寝台特急“君のいるところ号”』©中野成樹+フランケンズ
撮影=鈴木 竜一朗

 ワイルダーの『寝台特急ハイアワサ号』を演出家・
 中野茂樹が大胆に誤意訳した舞台。 「君のいる
 ところ号」というタイトルのつけ方にワイルダー
 への愛着が感じられます。『華麗なる招待』同様、
 2010-11年の「ワイワイワイルダー」の一環とし
 て上演されました。

 もう1編の何もない舞台で演じられる「幸せな旅」は、ある一家が車で嫁ぎ先の娘を訪ねる話ですが、上演の大半は車での移動中のことで、『わが町』同様、なんてことはない情景が描かれてます。しかし最後、その娘の家に着くと、彼女は出産した直後にその赤ん坊を亡くして退院したばかりで、一家はその彼女をお見舞いに来たのだということがわかります。そうそう、車に乗っているときに葬列に出会うという場面もありました。

 『わが町』も含めて、何もない舞台を使う場合に、ワイルダーは好んで「死」を戯曲の中に入れています。能との類似点は確かにいくつかあるのですが、前回書いたように、影響を受けているとは言えません。むしろ、彼の演劇に対する考え方自体が元々、能に近かったと言った方が良いかもしれません。では何もない舞台に、死を持ち込むことで、ワイルダーは何をしようとしていたんでしょうか?

文庫本の帯

今回の『わが町』は、このブログで「水曜ワイルダー約1000字劇場」を連載いただいている水谷八也さんの新翻訳でお届けするのですが、これまでに色々な方に翻訳されてきました。古くは森本薫さんから、最近では柴幸男さんが翻案した『わが星』という岸田國士戯曲賞受賞作もあります。

海外の翻訳戯曲を多く出版しているハヤカワ演劇文庫では、鳴海四郎さん訳の『わが町』が2007年に発行されています。そこで今回、新国立劇場の『わが町』上演に合わせて、文庫本に帯を掛けていただきました。よく本屋さんで、“テレビドラマ化決定!”とか“来春、映画公開!”という帯が掛かった書籍がありますが、あんな感じですね。小堺さん、斉藤さんの大きめの写真が人目を引くデザインになっています。首都圏ターミナル駅の主要な書店に置いてありますので、お手にとっていただければと思います。

ちなみに、水谷さんの翻訳(今回の上演版)は、同じ早川書房から出ている演劇誌『悲劇喜劇』2011年1月号でお読みになることができます。2つの翻訳を読み比べてみても面白いかも知れません。本屋さんの棚の中でも、『わが町』盛り上がってきています!(ま)

ハヤカワ演劇文庫『わが町』(鳴海四郎訳)

第6回  何もない舞台の歴史 その2

 水曜ワイルダー約1000字劇場、照明担当の水谷です。

 何もない舞台の王道は、間違いなく日本の能舞台です。シェイクスピアの時代よりもずっと前にその形式が完成していて、さらにその当時の上演形態がそのまま現在まで残っているのは、本当に驚異です。ギリシア悲劇も文字としては残っていますが、上演形態は残っていません。エリザベス朝の公共劇場も1642年に始まる内乱の結果、すべて破壊され、当時どんな風に上演されていたのか、文献から想像して「再現」するしかないのに、能舞台では600年以上も前の上演形態、演技が一子相伝により現在形で伝わってきているわけです。いやぁすごい、日本の演劇。

 ご存知のように、能舞台もエリザベス朝の舞台同様、張り出しており、観客の視線をさえぎる幕もなく、すべてが見えています。装置を使う場合にも、『わが町』のように芝居が始まる前に観客の目の前で運び込まれます。それに能も狂言も、舞台上で何か本物らしさを求めることはまったくありません。所作はすべて極度に様式化されています。台詞劇の狂言でもそう。実際、誰もあんな動き方はしないし、戸を開けるときに「グァラ、グァラ、グァラ」なんて音はしないし、笑うとき「ハーッハーッハッハッ」なんて笑う人はいないし(たまにいるか・・・)。『わが町』に様式化された演技はありませんが、本物らしさを求めてはおらず、「嘘」のかたまりであることが歴然としている点では能舞台と同じです。

国立能楽堂舞台正面

 さらに能と『わが町』では驚くような類似点があります。それは「死者の眼」です。『わが町』の方は舞台で確かめていただくとして、能のことをちょっと。能には現在能と夢幻能があります。現在能は舞台となるのが現在であり、そこから時間が動くことはありませんが、夢幻能のほうは複雑です。

 夢幻能では主人公であるシテが霊的な存在で、そのシテがワキ(副主人公的存在)の夢の中に現れて、生きていた頃のことを回想したり、あるいは再現し、多くはその感情の頂点で舞った後、ふたたび霊界へ去り、ワキが目覚めるというところで終わります。何もない舞台の上で死者の目を持った者が生きている世界に戻り、ふたたび帰るという構造だけでなく、それをわざわざワキの夢の中に入れ込むという複雑に構築された時間軸、死者と観客の橋渡し的な役割を果たすワキの存在など、『わが町』との類似で気になる点がいくつもあります。『わが町』の時間軸に関しては、よーく台詞を聞きながら、実感してみてください。非常に滑らかですが、結構複雑に入り組んでいます。それから、舞台監督という存在。彼はワキのように、過去と現在、未来、あるいは生と死の世界、そして舞台と観客の橋渡し的な役割を果たします。

 で、ワイルダーは能に影響を受けていた、なーんて言う積もりはまったくありません。彼が能の作品をはじめて読むのは、日本の『わが町』の翻訳者(多分、故・松村達雄氏)が能の本を彼に送ったあとのことです。だとすると、いつ、なぜ彼は・・・。ちょっと『わが町』以前のワイルダーの戯曲が気になりますねぇ。次回は彼の一幕劇のことを。

第5回 何もない舞台の歴史 その1

 水曜ワイルダー約1000字劇場、音響担当の水谷です。今週はちょっと時代をさかのぼって、ワイルダーが理想と考えていた演劇空間のひとつ、エリザベス朝の舞台の話を。シェイクスピア(1564-1616)が活躍した時代ですね。

 現在わたしたちは翻訳でシェイクスピアの戯曲のすべてを読むことが出来ます。たとえば『ハムレット』を読んでいるとしましょう。1幕5場で、ハムレットは亡霊からその死にまつわる秘密を打ち明けられ、興奮して「おお、満天の星よ」と呼びかけ、クローディアスへの復讐を誓います。この場面を読んで、みなさんならどんな舞台を想像しますか? 「満天の星」ですから、夜のエルシノア城の城壁近くで、風が吹いていたり・・・。『マクベス』の魔女の場面はどうでしょう? あるいは『ロミオとジュリエット』の有名なバルコニーのシーンは(これも夜ですね)? 

 みなさん、ひょっとしたら、映画のような場面を想像していませんか? でも、シェイクスピアの時代、当然、照明はありません。ちょっと当時の劇場の模型を見てみましょう。エリザベス朝の公共劇場は円筒形の建物で、屋根は舞台の一部とその舞台を囲む客席の上にしかありません。真ん中は青天井で、円の中央に張り出している舞台の上に太陽光が入るようになっており、すべては日の光の下で演じられていました。

©New York Public Library

※シェイクスピアが座付作者であった宮内大臣一座の劇場、グローブ座の模型 

 さらに良く見ると、幕を引いて舞台を隠すようには作られていません。つまり舞台転換をするにしても、隠すことができないし、何かを舞台に運び込む場合も、丸見えです。隠すという発想がそもそもなかったのかも。つまり芝居とは「嘘」であることが大前提だったということですね。さらに当時、女優は存在していませんでした。女性役は声変わりをする前の少年俳優が演じていました・・・ジュリエットも・・・(ということは、男同士が、昼日中、舞台の上で・・・歌舞伎も同じか)。

©New York Public Library

※グローブ座内部の模型

 この時代、「芝居を見る」という言い方は普通ではなく、「芝居を聞く」(hear a play)という言い方が一般的でした。台詞の大半は無韻詩という型の詩で書かれていたんですね。つまり、何もない舞台から語られる台詞(詩)により、観客は何もない舞台の上に夜だろうと、嵐だろうと、海だろうと、妖精だろうと、美女だろうと、太陽光の下で、すべてを「想像力」の助けで見ていたということになります。

 これもシェイクスピアですが、『ヘンリー5世』のプロローグにこんな台詞があります。(すでに1000字を越えてますが、お許しを!)

  われらのたらざるところを、皆様の想像力でもって
  どうか補ってください、一人の役者は千人をあらわし、
  そこに無数の大軍がいるものと思い描いてください。
  われらが馬と言うときは、誇らしげな蹄を大地に印する
  馬どもの姿を目にしているものとお考えください・・・・
  数年間にわたって積みかさねられた出来事を
  砂時計の一時間に変えるのも、皆様の想像力次第です。
                         (小田島雄志 訳)

 昔、演劇はそういうものだったんですね。と言うか、これが演劇の本質なのではないでしょうか。嘘と想像力のコラボ。少なくともワイルダーはそう考えていたと思います。でも、シェイクスピアよりも前に、もっと『わが町』に近いものがあるんですよ、結構身近に・・・それはまた来週にでも。

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