2013年10月24日
連載コラム第4回 小説『死都ブルージュ』からオペラ《死の都》へ
text by 中村伸子(音楽学)
コルンゴルトも賞賛するすばらしいオペラの台本を作った“パウル・ショット”は一体何者だったのでしょうか。実はこれは架空の人物であり、その正体はコルンゴルト父子です。父ユリウスは、よく知られた音楽批評家である自分が台本作成に関わったことが公になると、作品の評価が揺らいでしまうかもしれないと考え、ペンネームを使ってこのオペラを公開することにしたのです。「パウル」はこの物語の主人公の名前から、「ショット」はこの楽譜が出版されたショット社から取られました。この真実は、コルンゴルトの死後20年近くして、1975年にニューヨーク・シティ・オペラで再演されるまで、公にされませんでした。コルンゴルトの楽譜は、ほとんどがショット社から出版されています。
台本作成にあたって、原作から変更された点はいくつもありますが、ここでは三つに絞ってご紹介します。一つ目は、登場人物の名前です。主人公「ユーグ」には歌いにくいことを考慮して「パウル」、小説で名の無かった亡き妻には、戯曲では「ジュヌヴィエーヴ」という名が付いていましたが、台本では神聖さを示す「マリー」の名前が与えられました。踊り子「ジェーン」は、マリーを俗化し、二人を対照的に示す効果のある「マリエッタ」、と名付けられました。
二つ目は、主人公と踊り子の出会いの場面です。ブルージュという舞台を、原作以上に生かしています。小説では、主人公と踊り子は偶然町で会うというだけの設定でしたが、台本では、出会いの場を、ブルージュの街を特徴づける運河の水面越しとしたのです。
三つ目は、数ある変更点の中でも当時の批評家からの特に高く評価された、結末の描き方です。コルンゴルト父子は、主人公パウルが踊り子マリエッタに没頭して殺すまでの出来事を、すべて夢の中で行われるものとしました。いわゆる「夢オチ」です。最後の場面では、夢から覚めた主人公が、亡くなった妻マリーはもう戻らない現実を受け入れ、「死の都」ブルージュを去ります。この夢の処理のアイデアを“パウル・ショット”に持ちかけたのはユリウスだったと、彼本人が回想で語っています。
この修正があったからこそ、物語の幻想性はより説得力を持って舞台の上に現われました。その舞台効果の一例をご紹介しましょう。第1幕では、パウルの家の一室に見立てた舞台上に、亡き妻マリーの肖像画が置かれています。第6場で舞台が暗くなると、その肖像画が照らし出され、その額縁からマリーが歩み出て、語り始めるのです。これは、物語の一部がパウルの幻想として描かれることで初めて可能になったことでした。
音楽については、コルンゴルト自身は歌劇場の機関誌への寄稿文で、「原作が夢心地で幻想的なので、ドラマ性を補うようにした」「歌い手が登場するときの、色彩的に主題をもって導かれるオーケストラの雰囲気や描写、心理学的・劇的特徴を考慮して、感情や情緒を映し出す歌の旋律を劇的にしようとした」と綴っています。劇的効果がうまく発揮されるように、原作から台本への改編を、音楽でさらに後押ししようとした思いが窺えます。