2014年1月
2014年1月15日
「死の都」の舞台 ブルージュ紀行
text by 後藤菜穂子(音楽ライター)
コルンゴルトのオペラ《死の都》の原作であるローデンバックの短編小説『死都ブルージュ Bruges-la-morte』(1892年刊)では、土地と物語がきわめて密接に展開していく。作者自身、前書きにおいて「ブルージュの街はまるで人間のようだ...街はそこに住むすべての人に強い影響を及ぼす」と述べており、読者にもこの街の持つ影響力を感じてもらおうと、初版ではブルージュの街並みの写真が文中に挿入された。まるで街自体も小説のキャラクターの一人であるかのようだ。
現在のブルージュはフランドル地方有数の風光明媚な観光地として生まれ変わっており、ローデンバックが描いたような、衰退をたどっていた19世紀のブルージュの寂寞とした暗さはない。それでも小説に登場する名所や街並の多くは今も往時の姿をとどめている。ここでは原作およびオペラの中で重要な役割を果たすブルージュの名所をたどってみよう。
1.運河とローゼンフッド河岸
ブルージュはしばしば〈北方のヴェニス〉とも呼ばれるように、運河の街として有名である。実はブルージュがもっとも繁栄した13~14世紀には街の北部に港があり、そことの間に運河が整備され、活発な交易が行われていた。しかし15世紀以降、港が徐々に沈泥でふさがれてしまい、運河も海から切り離されていき、ブルージュは貿易港としての地位を失って衰退していった。ローデンバックの描く「死都」とはそうしたブルージュなのだ。
小説の主人公ユーグ(オペラではパウル)が、妻マリーの死後、ブルージュに居を定めたのはそうした街の陰鬱な雰囲気が、自分の心の癒えない悲しみに合っていたからであった。彼は街の中心地のローゼンフッド河岸の邸宅に住み、夕暮れになると人気の少ない運河沿いを散策するのを日課としていた。そうした散策中のある日、亡き妻マリーに生き写しの女性ジェイン(オペラではマリエッタ)を初めて見かけ、たちまち彼女に夢中になるのである(オペラではマリエッタに出会った直後からストーリーが始まる)。
現在のローゼンフッド河岸はお店やレストランが並び、遊覧ボートの乗り場もあり、観光客でにぎわっているが、中心を少し離れた運河沿いの通りには、小説のままの静かな街並が残っている。
2.ブルージュの鐘
ブルージュの中心部には大きな教会がそびえ立ち、それらは小説の中にも登場する。たとえば散歩の途中に主人公ユーグが好んで立ち寄る聖母教会は13世紀から15世紀にかけて建てられ、高さ122メートルの尖塔が街並を見下ろす。またゴシック様式の救世主大聖堂はブルージュ最古の教会だが、高さ100メートルの塔は 19世紀に増築されたものである。ユーグはこうした塔から鐘が鳴り響くたびに、亡き妻マリーの葬式を思い出し、ますます鬱々とした気分にひたっていく。
コルンゴルトはこれらの鐘の音をオペラ《死の都》の中でも効果的に取り入れている。とりわけ印象的なのは、パウルにとって鐘の響きが亡き妻マリーを思い出させるものから、マリエッタに恋してしまった自分の罪をとがめる鐘へと変化していく場面だ。第2幕第1場のモノローグにおいて、パウルはマリエッタの家の前にたたずみながら、聴こえてくる鐘の音に、「妻を葬った時も 鐘はこんな風に泣いた/その響きがいまも この身を戒める/鐘よ わが罪の告白を赦し給え」と歌う。
3.〈聖血の行列〉
毎年5月のキリスト昇天祭の日に行なわれる〈聖血の行列〉はブルージュの伝統行事であり、12世紀の第二次十字軍遠征に参加したフランドル伯爵が持ち帰ったという聖血(キリストの血)に由来する。この聖血は通常、ブルグ広場にある聖血礼拝堂に奉納されているが、年に一回、聖遺物箱に入れられ街をパレードする。行列には聖職者を始め、十字軍の騎士など中世の装束に身を包んだ市民や子供たちが参加し、聖血礼拝堂を出発点とするルートを練り歩く。
そしてこの〈聖血の行列〉は小説およびオペラのクライマックス・シーンにおいて鮮やかな背景を形作っている。パウルの家で展開するオペラの第3幕はまさに昇天祭の日という設定で、マリエッタがマリーと対決する第1場でもパウルと口論になる第2場でも、外ではこの行列がにぎやかに繰り広げられている。最初は子供たちの行進、続いて中世の衣装をまとった人々、そして聖職者らが窓の外を行進する様子が合唱によって歌われる。
このように、コルンゴルトは原作において丹念に描きこまれているブルージュの風景をオペラでも見事に音楽化している。今回の演出全体におけるブルージュの描かれ方とともに、ぜひこうした音楽面での工夫にも注目しながら聴いていただければと思う。