2013年9月30日
河合祥一郎さんのコラム「マーロウの素顔④」
では、河合祥一郎さんのコラム、第4弾です! サスペンスの様相全開の展開です。復讐劇「スペインの悲劇」が好評を博した同時代の劇作家トマス・キッドも登場しています。
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1593年、ロンドンでは外国人排斥運動が起こっていた。5月上旬、何者かの手によって、ロンドンのブロード・ストリートにあるオランダ教会の敷地の壁に53行からなる韻文を記したプラカードが打ちつけられた。マーロウ流の弱強五歩格で綴られたその韻文は、マーロウの戯曲数編に言及しつつオランダ人たちに出ていけと命じるものであり、最後に「タンバレイン」と署名されていた。 5月12日、枢密院はこれを『タンバレイン大王』の作者マーロウの犯行と断定し、マーロウの部屋に踏み込んだが、マーロウは不在で、代わりに同居人の劇作家トマス・キッドが拘束され、拷問を受けた。キッドが翌年36歳の若さで死んだのは、このときの拷問のせいだと言われている。 しかし、頭のいいマーロウが、私を逮捕してくださいと言わんばかりの犯行に及ぶだろうか。学者のなかには、これはエセックス伯の一派が、マーロウを陥れるために起こした事件だと考える者もいる。エセックス伯の一派は、マーロウとその友人であるサー・ウォルター・ローリーの一派と対立していたからだ。 キッドが拷問を受けているあいだマーロウが逃げ込んだ先は、フランシス・ウォルシンガムのはとこサー・トマス・ウォルシンガムの屋敷だった。マーロウはそこで逮捕されるものの、2日後の5月20日には毎日の出頭を条件に保釈されている。マーロウのボスであるフランシス・ウォルシンガムがまた救いの手を差し伸べたのだろうか。 だが、それにしても逮捕しながらすぐ保釈するとはどういうことか。また、保釈しておきながら10日後に暗殺したのはなぜなのだろうか。(つづく)