2013年9月
2013年9月3日
中村 中インタビュー
シリーズ「Try・Angle―三人の演出家の視点―」第二弾、森 新太郎演出による「エドワード二世」。タイトルロールのエドワード二世とその王妃イザベラを演じる柄本 佑&中村 中は、それぞれ古典の史劇初体験となる。生粋の演劇一家に生まれ育った柄本と、シンガーソングライターとして無比の世界を築く中村。稽古の前段階とはいえ二人の豊かな感性は、戯曲や役についての入口を求め、すでに触手を伸ばし始めているようだ。その対照的なアプローチ、個性的な言葉に耳を傾けてみる。
インタビュアー◎尾上そら(演劇ライター)
イザベラという
女性を肯定し演じながら
彼女の不幸と幸福を確かめたい
中村 中
私の舞台出演は歌が必要な場合が多いので、今回は芝居だけということが一番の楽しみであり挑戦です。「エドワード二世」にお声がけいただいたと知らされた時は、驚きとキョトンとする気持ちに襲われて、何度か聞き直したほど。出演者を見るたび、名だたる俳優たちの中に自分の名前が載っていることをいまだに不思議に思います。
俳優の仕事をするうえで今の私は〝期待に応えること〟が、まず大事だと思っているんです。演出家の森 新太郎さん、新国立劇場の方々はじめ選んでくださった方がいらっしゃるから私はここにいる。その期待に対しても、見てくださる方に対しても、直球でも変化球でも構わないけれど全力で応えるのが、選んでいただいたことへの感謝を示す唯一の方法。歌ならば隠せるかもしれない自分のビビリな部分と直面しながら、〝表現〟することの新たな方法を見つけるつもりです。今はドキドキとワクワクが、自分の中でせめぎ合っている感じですが、表現者としての自分を探り直す経験になる気がしています。
戯曲を読ませていただいて感じたのは、言葉の美しさと難しさ。加えて、演じるイザベラという女性の真意の分からなさも印象に残りました。若い頃から他国の王に嫁ぐことを決められていて、実際に結婚したら愛も優しさも自分には向けてもらえない。イザベラの立場を〝自分だったら〟と置き換えて読んだなら、耐えるばかりでつらい暮らしだったろうと思うはずですよね。
でも、そういう現実に適応する術を身につけたのか、イザベラの言動にはどこか空虚感が漂う。悲しみを大きな熱量で表すこともあるけれど、それは〝フリ〟のような気もしてくるんですね。最終的には、自分の息子からも責められてしまうので、本当に悲しいことだと思いますが。
私は〝女性の喜び〟を想像することしかできませんが、女性は夫よりも産んだ子供のほうへより強い愛情を注ぐ気がするんですね。だとすると、息子から見放されるのは絶望以外のなにものでもない。それでもエドワード二世の死後、彼女は生き続ける。愛や怒りや深い悲しみ、何が起こっても自分の中で消化し、許すことができる人なのかもしれません。私の感じた空虚感、見えない部分にこそ真意がありそうだというところに、今は女性らしさを感じています。
スケールの大きな作品のなかに、芝居の経験の少ない私が〝歌〟という武器を持たずに飛び込むのは、正直不安です。けれど、演出の森さんに対して何故か今の段階から安心感があって、「この人の言うことは信じられる」という気がするんです。どんな無茶を言われても大丈夫と思えるし、それに、歌というフィルターを通さないからこそ、自分にとって〝表現〟がどういうものかを再確認できる気がします。
まずはイザベラという女性を肯定すること。そして彼女の生きた人生、そこにある不幸と幸福がどういうものだったかを、演じながら確かめたいと思っています。
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●なかむら・あたる 歌手・作詞作曲家・俳優。2006年「汚れた下着」でデビュー。代表曲は「友達の詩」「リンゴ売り」「風立ちぬ」など。アルバム「少年少女」では(日本レコード大賞優秀アルバム賞受賞)最新作「聞こえる」好評発売中。自作以外にも作詞・作曲家として多数のアーティストに作品を提供。舞台活動も積極的に行い、主な作品に「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」「牡丹燈籠」「LOVE LETTERS」「ガス人間第1号」「ニッポン無責任新世代」「教授」など。
(新国立劇場・情報誌 ジ・アトレ 7月号より)