2013年9月2日
柄本 佑 インタビュー
シリーズ「Try・Angle―三人の演出家の視点―」第二弾、森 新太郎演出による「エドワード二世」。タイトルロールのエドワード二世とその王妃イザベラを演じる柄本 佑&中村 中は、それぞれ古典の史劇初体験となる。生粋の演劇一家に生まれ育った柄本と、シンガーソングライターとして無比の世界を築く中村。稽古の前段階とはいえ二人の豊かな感性は、戯曲や役についての入口を求め、すでに触手を伸ばし始めているようだ。その対照的なアプローチ、個性的な言葉に耳を傾けてみる。
インタビュアー◎尾上そら(演劇ライター)
この作品は、 豊かな回り道を いっぱいさせてくれる予感がする
柄本 佑
古典、そのうえ史劇などというものは、僕のこれまでの演劇経験では、ほぼ接点のないジャンルなんです。あるとすれば親父の劇団(東京乾電池、主宰・柄本明氏)が上演した「ハムレット」で、日替わりのフォーティンブラス役を二度ほど演じたくらい(笑)。ゴロゴロ死体が転がっているラスト・シーンに突然現れ、場を仕切り出すフォーティンブラスが可笑しくて、吹き出さずには台詞が言えず苦労しました。後で蜷川幸雄さんが演出した「ハムレット」を映像で見る機会があったのですが、フォーティンブラスがカッコ良くてビックリ。僕の解釈とは、かなり違っていました(笑)。
そんなわけで、演出の森 新太郎さんはエドワード二世という人物が僕にピッタリだと随分買いかぶってくださっているのですが、どんな稽古をすればいいのか、どういう作り方が良いのかすらイメージできない今の僕に言えるのは、〝頑張らせていただきます〟ということだけ。すみません、不安要素しか挙げられなくて(笑)。
でも戯曲を読み、ここに書かれている普段は使わないような言葉や言い回しの台詞を喋ること自体は、きっと楽しいと思えるんです。言葉の量も膨大ですし、徹底的に喋ることで作品や役に対して想像力がより働いていくのではないか、と。僕は無駄がたくさんある舞台が好き。いや、無駄というと失礼ですね。ある種の過剰さや回り道、そういう時間が舞台を豊かにしてくれると思っているんです。そんな豊かな回り道を、この作品はいっぱいさせてくれる予感がする。だから森さんをはじめとする、皆さんとの稽古をとても楽しみにしています。濃い先輩方が多いですしね(笑)。
役についてはまだ、戯曲から読み取った情報だけ。でも本当に最初から最後まで救いもなければ進歩や変化も何もない、このエドワード二世という人には。加えて、王様らしくもなければ味方も少ないんです。こういう時代は演劇が新聞がわり、当時のゴシップを劇中の登場人物に重ねて描いたりもしたと聞いたことがありますが、よほどダメな王様だったのでしょうね(苦笑)。でも、決めつけだけで演じるようなことはしたくないんです。
〝史劇〟〝王失格の男〟など、戯曲の表層からすくったことにとらわれず、芝居をつくりながら戯曲を検証していく、と言えば良いでしょうか。芝居には本来正解などないはずなのに、僕は安心したくて、答えを探すようなことをしてしまう時があるんです。そういう誘惑に負けたり、安易な答えに逃げずに、最後まで戯曲を疑い続ける。そのうえで本当に自分の腑に落ちることを探し、最終的にはジャンルや先入観に縛られることなく、舞台の上に立ち、自由に台詞を喋ることができるようになる。そんな方向に持っていけたら素敵ですよね。
そこまでたどり着くにはきっと、森さんにも多大な迷惑をかけてしまいそう……でも僕は稽古で生まれたことが芝居の全てだと思っているので、そこは諦めておつきあいいただければうれしいです(笑)。
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●えもと・たすく 2003年公開の映画「美しい夏キリシマ」で主演デビュー。同作でキネマ旬報ベスト・テン新人男優賞、日本映画批評家大賞新人賞を受賞。その後、舞台・映画・テレビと幅広く活躍中。主な舞台作品に「あれから」「絶滅のトリ」「みんな我が子」「ハンドダウンキッチン」、最近の映画作品に「臨場—劇場版」「横道世之介」「フィギュアなあなた」(6/15公開)、ドラマに「生むと生まれるそれからのこと」「遅咲きのヒマワリ」「野良犬」など。新国立劇場では「シュート・ザ・クロウ」に出演。
(新国立劇場・情報誌 ジ・アトレ7月号より)
★次回は中村 中インタビューを掲載します。