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都村敏子さんのわが町

続いての登場は、さいたまゴールドシアター所属の都村敏子さん

想い出のわが町 会津若松

終戦の翌年、私は小学校5年生だったが、両親の元を離れて会津若松に疎開をしていた祖母の元に行かされた。祖母は映画館の中の売店をし、そこで生活していた。その頃の若松は雪が降ると春迄、土を見ることが出来ず土が恋しかった。冬になると新明通りの雪道の上に小さな小屋がたくさん並び十日市が開かれた。夜になるとカンテラの灯りがともされカーニバルの匂いが鼻をついた。

夏にはお盆にその新明通りに櫓が組まれ、芸者衆が櫓の上で会津盤台山を歌った。私は輪に入って踊った。学校が早く終わった時には、よく飯森山や鶴ヶ城に遊びに行った。飯森山のあの階段を一気にかけ上り、帰り道おいしい湧水を飲んで帰った。

春には鶴ヶ城でお花見をした。あの頃ライトアップはなかったが夜桜がとても美しく、いつ迄も印象に残った。60年も昔のことである。

いよいよ、稽古スタート!

本日12:30から、「顔合わせ」が行われました。新国立劇場内のリハーサル室に集合した、ほぼすべての出演者、スタッフを一人ずつ紹介。その数なんと、70名! 今回の公演の規模の大きさを実感したしだいです。

演劇部門の芸術監督で、今回の演出を担当する宮田慶子が、「高い意志をもって、自由なのびのびとした舞台を作り上げたい」と挨拶すると、翻訳の水谷八也さんは「大人の舞台を期待したい」とコメント。

これから来年1月13日の初日に向けて、出演者、スタッフともに決意を新たにしました。

その後さっそく、台本の読み合わせ、いわゆる「本読み」がスタート。机を円形に並べ、出演者一人一人が自身の役の台詞を声に出して読むと、このキャスティングへの期待値が一気に高まりました。みんな適役なんです!


なお、出演者の皆さんが「思い出の“わが町”」を綴るエッセイが、本サイトのブログ「OUR TOWNS ~思い出のわが町~」で連載開始です。こちらもどうぞお楽しみに。(ま)

宮田監督が学校訪問し講義を行いました。

11月11日(木)、宮田慶子芸術監督は、東京都小金井市にある東京工学院専門学校の演劇・声優科を訪問、講義を行いました。
初めに、現在の学生の皆さんと同じ目線に立って、自らが演劇の世界へと歩み始めた当時のエピソードや、実際に職業として携わった駆け出しのころが話題となりました。
また、演出を控える「わが町」では大規模なオーディションを実施。そこで選ばれた出演者を対象に、これまで数回に渡って開催してきたワークショップの内容を解説しました。身体的なコミュニケーションの取り方、言葉を発する上でのさまざまなニュアンス、発声のポイントなど、実践的な側面をもった内容でした。
さらには、俳優・声優を目指す学生の皆さんとあって、プロフェッショナルであるために必要な日常での人間観察や徹底した自己管理について具体的なアドバイスも。それに応えてノートにペンを走らせる学生の皆さんの様子が印象的でした。将来への期待を込めた、厳しくも刺激的な講義は、有意義なひとときとなりました。

小堺一機さんのわが町

トップバッターは、舞台監督役の小堺一機さんです。

ニューヨークです!!

25年前に、初めて仕事で訪れた時の驚きと感動と興奮は今でも忘れられません。

ブロードウェイの大人さ、成熟した芸術の香りに、胸が震えました。

そして、美しい摩天楼、セントラルパーク、ビレッジ街の雰囲気、あらゆる文化の渦のような街、そこに居るだけで、心が満ちてくるような感覚、今もあれから毎年一回必ず旅しています。
1日中セントラルパークに居たり、メトロポリタンに居たり、とにかく僕にとっては一年に一度ふところに飛び込んでいく街です。

色々な意味で“わが町”です。

第2回  『わが町』と全裸・舞台

 水曜ワイルダー約1000字劇場、劇場主の水谷です。先週の続きで……ええっと、ソーントン・ワイルダーのお芝居の多くは舞台上に装置がありません。何の変哲もない椅子やテーブルは使いますが、背景を示す装置はまず使いません。『わが町』も「幕なし。舞台装置も一切ない」が冒頭のト書きです。今でこそ舞台上に何もなくても観客は驚きませんが、1938年の初演当時は違いました。その時の舞台写真を見ると、その「何もなさ」は現在の感覚からしても、過激だと感じるほど徹底してます。有名なのは第三幕のエミリーの葬儀の場面の写真ですが、左側に椅子にすわってじっと前方を見つめる死者たち、右側に黒い大きなこうもり傘を差した参列者の一群が客席に背を向けて立っているそのむこう側に見えるのは、スチーム・パイプが張り巡らされたヘンリー・ミラー劇場の壁そのものです。

Our Town, 1938 (Billy Rose Theatre Division)

©New York Public Library

 アメリカではブロードウェイに乗り込む前に、地方の都市で「試演」を重ね、観客の反応を見て台詞や演技などを調整しますが、『わが町』のボストンでの試演のさなか、幕の途中なのに、マサチューセッツ州知事夫人が突然立ち上がり、舞台に背を向け通路をツカツカと進んで、そのまま劇場から出て行き、何人かがそれに続いたという「事件」が起こりました。中には「わたしは劇場の壁を見に来たわけじゃない」と不平をもらす人もいたようです。またブロードウェイでの初日でも、芝居が始まる前に席についたある観客は、薄明かりの中、幕が上がったままの何もないガラーンとした寒々しい舞台を見て、思わず隣の客に日にちを確認したというエピソードもあります。
 当時のブロードウェイの他の舞台の写真を見ると、確かに具体的な装置が舞台に詰め込まれているのが普通だし、中にはもうそこに住みたいと思えるほど完璧な部屋になっているものもあります。多分それが当時は普通だったし、今でも「お芝居」と言えば、そんなセットを思い浮かべる人もいるでしょう(現在は本当に多様なので、これは年齢などにより、個人差があるかもしれませんが・・・)。そんな基準からすると『わが町』の裸舞台の「裸」は「全裸」であり、珍しいを通り越して異様であり、何もつけてないなんて「失礼な!」と思ったお上品なお客様がいても不思議はありません。
 では、ワイルダーは一部の観客を「敵」に回してまで、なぜこの「裸」にこだわったのでしょうか。実はワイルダーが敵に回したのは一部のお客様だけではありませんでした。一体誰を敵に回してしまったんでしょう。それはまた来週。

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