2013年7月
2013年7月4日
「結婚」イギリス初演のあれこれ
落下した隕石から出てきた火星人によって、地球が侵略されています――
1938年アメリカ。このラジオドラマを本物のニュースだと勘違いした人々によって大騒動が巻き起こったことがあったのは有名です。
問題のラジオドラマはオーソン・ウェルズ脚本の「宇宙戦争」。
その原作を書いたのは、イギリスの小説家、SFの父と言われ、「タイムマシン」「モロー博士の島」「透明人間」など数々の名作を残したH.G.ウェルズです。
このH.G.ウェルズ、実はバレエ・リュスの「結婚」のロンドン初演を見て、熱烈な手紙を書き残しているのです。
今回は、このウェルズの手紙をもとに、「結婚」ロンドン初演についてみていきたいと思います。
“私は「結婚」のように興味深く、面白く、新鮮で興奮さえも感じるようなバレエはほかには知らない。私はこれを何度でも何度でも見たいと思う、そしてそうすることでこの演目をプログラムから排除しようとする愚かな陰謀に抵抗したいと思う。”
“このバレエは農民の魂の音と捉え方を、重さを、熟考と愚鈍を孕む複雑さを、密かに様々な要素を併せ持つリズムを、深くに隠された興奮を描き出し、そしてこれを見た知的な紳士淑女の皆に驚きと喜びをもたらすのである”
“音楽と場面の歪みと唸りが未だに心の中に現れては消え、渦巻いているような輝かしい公演を見ることができたことは、素晴らしい経験だった。この最も新鮮で最も力強い、今後長い間褒め称えられるべきである作品を、鬱憤を晴らすかのようにありふれた安っぽい表現でもって粗探ししようとする批評家には大変驚かされる。”
Eric Walter White, ”Stravinsky: The Composer and His Works”, University of California Press, 1980 p260-261より(日本語訳)
「結婚」は、1923年にパリで初演され、1926年6月4日のロンドン初演はその再演でした。
(ちなみにこの作品の特徴の一つに四人のピアニストが使われるという点がありますが、ロンドン初演はその布陣も豪華です。
映画「ローマの休日」などの音楽を後に担当する映画音楽の大家、ジョルジュ・オーリック、作曲家・フランシス・プーランク(オーボエ、バソンとピアノのための三重奏曲は「のだめカンタービレ」でも有名になりました)など!ともに公演当時27歳でした)
パリで初演されたときにも様々な波紋を呼んだこの作品ですが、ロンドンではその時以上に物議を醸したといわれています。
手紙の上記の引用部分からも、当時様々に意見が入り乱れ、公演プログラムからこの演目を排除しようとする動きすらもあったことがわかります。
ウェルズは、具体的な舞台美術、音楽にも言及していますので、少し挙げてみます。
●書割り(後ろの幕)…“一つの窓を描くことで一軒の家を、二つの窓でもう一軒の家を描くという驚くべきシンプルな幕は、そこからストーブやテーブルまでを想像することも可能であるのに、芸術の守護者たち(=批判者)は想像力が欠如している”
●衣裳…“ばからしくてかわいいばかりのヴァトーやフラゴナール(注:ともにロココ調の画家)とは一線を画している。ファンシーな衣装の農民の代わりに白と黒(注:実際は白と茶色の衣装であるが、当時黒と取り違えた人が多かった)のシンプルな衣装の農民は、”“一種ユーモラスなまじめさを醸し出している。”
●音楽…“「魅力的」な結婚を描こうとして失敗した音楽、という批判があるが全く見当違いである。” (Eric White, 同書)
マスコミの批判も相当ですが、文明批判と皮肉に溢れた作品を残したウェルズの応酬もなかなかですね。
この抗議の手紙はマスコミに採用されることはありませんでしたが、公演の行われたHis Majesty’s劇場にて、印刷されたものが来場者にプログラムとともに渡されました。
このHis Majesty’s劇場は、ロンドンに今も現役の劇場として現存します。
Her Majesty’s Theatre, London 2012.8.22撮影
(現在のイギリスは国王ではなく女王統治ですので、劇場の名前はHer Majesty’s劇場に変更になっています)
1897年に完成したこの劇場、なんと今年11月に新国立劇場で行われる演劇公演、ジョージ・バーナード・ショーの「ピグマリオン」の初演を主催した劇場でもあるのです。
その後は「ウェストサイドストーリー」など主にミュージカルが多く上演され、現在は1986年からの「オペラ座の怪人」がロングラン公演中です。
写真は昨年、「オペラ座の怪人」が25周年を迎えていた時のものです。ライトアップがなんともいい雰囲気を醸し出していますね。
中は残念ながら撮影禁止なのですが、赤と金、緑で統一された豪華な客席とロビーの素敵な劇場です。
イギリス初演の空気が少し伝わったでしょうか?
新国立劇場で今回上演するのは、振り付けも美術、衣装、もちろん音楽もH.G.ウェルズの見たものと同じバージョンです。
SFの大家、空想世界の極地を常に目指していたH.G.ウェルズをも唸らせた「結婚」。
公演をどうぞお楽しみに!