OPERA PALACE Tokyo 新国立劇場 バレエ・リュス ストラヴィンスキー・イブニング

新国立劇場 2013/2014シーズンバレエ公演 「バレエ・リュス」特設サイト

Ballets Russes NATIONNAL BALLET OF JAPAN New National Theatre Tokyo
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バレエ・リュス アラカルト

2013年9月6日

日本で紹介されたバレエ・リュス ~シリーズ:大正ロマンとバレエ・リュス(3/3)

シリーズ 大正ロマンとバレエ・リュス(3/3)
連載第三回 日本で紹介されたバレエ・リュス

“この小さい書物によって露西亜舞踊の進化が幾分でもその名称に憧れる我が国の人々に了解されたならば、私の幸福はこれに過ぎない”
     (大田黒元雄『露西亜舞踊』1917年)

これは、日本でバレエ・リュスについて書かれた最初の本である、音楽批評家の大田黒元雄による『露西亜舞踊』の冒頭の一節です。
この一文から、バレエ・リュスに憧れる日本人、というのが当時から少なからず存在していたのがわかります。
この、大田黒元雄による『露西亜舞踊』。最初に出版されたもの(1917年)は残念ながら国会図書館などに行かなければお目にかかれませんが、加筆修正を加えた第二版として1926年9月に750部のみ限定出版されたもの(こちらもとても貴重なものです!)の方は、新国立劇場5階の情報センターで閲覧出来ます。(閉架なので、受付で申請してみてくださいね)

バレエ・リュスが当時の世界にどのように伝播し受容されていたのか、日本ではどのようなところがもてはやされたのか、を、生々しく伝えるとても面白い資料です。
1926年版では、序詞の部分に、「これは絵本である。文章は、ほんの解説に過ぎない。その代り、挿絵は、かなりの苦心を以て、収集され選択された。この本が、世の好事家の愛玩を受けることを、私は期待している(原文旧字体)」と記されています。
この文句の通り、冒頭には今回のブログの宝塚の項で登場したレオン・バクストの衣装画や、今回新国立劇場で上演される『火の鳥』や『結婚』の衣装を手がけたゴンチャローワをはじめ、ドランやピカソ、ローランサンなどの舞台美術がカラーで収録されています。また、竹久夢二も集めていたカルサヴィナの火の鳥の写真など数々の舞台写真から、ロポコワ(経済学者ケインズの奥さん、詳しくはブログ「アベノミクスとバレエ・リュス!?」)、ピカソによるストラヴィンスキーのスケッチなどなど、バレエ・リュス時代を伝えるビジュアル資料が満載の作りになっています。

この本では、当時日本人にバレエ・リュス作品がどのように紹介されていたのかも知ることができます。
1917年版、1926年版の共通の項目として、「舞踊十二番」と称して、いくつかの作品に焦点を当ててストーリー解説が書かれたパートがあります。
その、火の鳥の項を少し紹介しようと思います。
全文は長いので、イワン(文中イヴァン)王子が王女ツァレヴナを追って、カスチェイ(文中コッチェイ)の城に乗り込み、火の鳥の力を借りて王女を助け出す、クライマックスのシーンのみの引用です。

“そのうちに暁が来た。少女たちの許された時間は過ぎた。彼等は、悲しげに恐ろしい城の中へ帰っていく。イヴァンは、我を忘れてその門を押し開く。門は開いた。それと共に、異様な物音が聞こえて無数の怪物が城の方から駆けて来る。城の主、コッチェイは彼等の喧騒の間にあらわれて、イヴァンを捕えようとする。皇子は、その魔力のために危うくなったが、その時、先に火の鳥から贈られた美しい羽根を取り出す。そして、その魔法の踊りにつれて、コッチェイを始め、すべての怪物どもは、異様な踊りを始めた挙句、眠ってしまう。その間に、火の鳥は、コッチェイの魂を隠した大きな卵のありかをイヴァンに教える。コッチェイの気のついた時には、卵は既に皇子の手にある。コッチェイは愕然として皇子を襲う。然し、卵は地上に叩きつけられ、それと共に不死といわれた魔物もその場に倒れて死ぬ。そして、すべての怪物は立派な人間の姿に戻って、遥かな空へ飛び去る火の鳥を見送りながら歓喜する。”
     (大田黒元雄『露西亜舞踊』1926年)

簡潔ながらもなかなかに情緒あふれる文体で、場面が目に浮かぶようですね。
門の中に帰っていく少女たちを見るイワン王子の悲しみ、思わず彼女たちを追って門を開いてしまう様子から、以降の緊迫感に満ちた展開を、躍動感に溢れた、畳み掛けるような文章で、いきいきと描いています。
舞台のクライマックスの盛り上がりが存分に伝わってきますね。

100年前の日本で、これだけバレエ・リュスが受容されていたとは驚きですが、なんだか少し、過去が身近になったような気がしませんか?
かつてバレエ・リュスに憧れた先人たちに思いを馳せながら、劇場に足を運ぶのもまた一興。
11月の公演を、どうぞお楽しみに!

(M.K.)

カテゴリー:コラム

2013年8月23日

竹久夢二とバレエ・リュス ~シリーズ:大正ロマンとバレエ・リュス(2/3)

シリーズ 大正ロマンとバレエ・リュス(2/3)
連載第二回 竹久夢二とバレエ・リュス

*竹久夢二*
竹久夢二といえば、大正ロマンを代表するといってもいい画家の一人です。
黄色い着物の女性が黒猫を抱いた『黒船屋』の絵をはじめ、「夢二式美人」と呼ばれる数々の独特の美人画は、当時の女性にとっての憧れの的でした。

その竹久夢二ですが、作品のヒントを得るために明治期から大正期の雑誌の切り抜きを集めたスクラップブックを何冊か残しています。
実は、そのスクラップブックの中に、バレエ・リュスに関する記事が収められているのです。

例えば、アメリカの雑誌である『VANITY FAIR』(1913年創刊、文化やファッションが主なジャンル)からの切り抜きや、バクストの衣装デザイン、シェエラザードの金の奴隷に扮するニジンスキー、などなど。いずれもバレエ・リュスの初期の作品で、当時の西欧を圧巻していた余波が日本に伝わってきたのがわかる資料です。

この集められたバレエ・リュスの切り抜きは、竹久夢二のどのような作品に活かされたのでしょうか?
画像を見ながら、少し説明したいと思います。

大正時代には『カチューシャの唄』『ゴンドラの唄』など、様々な流行歌がうまれ、全国的に普及しました。
この普及に一役買ったのが、妹尾幸陽の出版するセノオ楽譜のシリーズです。
セノオ楽譜は、独唱曲、合唱曲からヨーロッパの名曲、歌劇、童謡にいたるまで、幅広い内容の楽曲を網羅していました。
そのうちの、約270点ほどの表紙が夢二の手によるものでした。
手頃な価格と、絶大な人気を誇る夢二の表紙により、セノオ楽譜は、音楽の大衆化、流行歌の誕生に大きく寄与しました。

さて、妹尾との信頼関係のうちに成り立っていたこの夢二の表紙企画は、夢二にとっても美人画だけでなく、様々なジャンルの絵画に挑戦することができる貴重な場だったようです。
ここで、竹久夢二はバレエ・リュスの数々の写真から得た知識、技術を存分に発揮した作品を描きます。

例えばバレエ・リュス作品の「ル・カルナヴァル」に登場するアルルカン(道化役で、ダイヤの柄の衣装に身を包んでいるキャラクター)は、「Don’t Cry Swanee/ドント・クライ・スワニイ」(イギリス・ロンドンの高級ホテル、Savoy Hotelで演奏していたSavoy Havana Bandというダンスバンドの曲。ちなみに、ディアギレフはロンドンに滞在するときはこのホテルを好んで使っていました)の表紙や雑誌「国粋」の表紙に見られます。

その、「Don’t Cry Swanee」の表紙が、こちらです。
dontcryswanee

そして、竹久夢二の集めていた写真のうちの、アルルカンのフォーキンの写真が、こちら。
fokin

本当に、集めた写真から影響を受けて自らの作品に活かしていたということがわかりますね。
おどけたような独特の動き、ポーズは、軽快なダンスバンドの曲のイメージにもよく合っています。(”Don’t Cry Swanee”で検索すると、原曲の聴けるサイトがあります)

海外の譜面を楽譜化した時にどんな表紙にするのか、というのは、竹久夢二にとっても様々な工夫のできる面白い挑戦の場だったようですね。

また、こちらは当時のフランスで、ジャポニズム、シノワズリ趣味を取り入れた絵で好評を博したイラストレーター、ジョルジュ・バルビエによる、「ル・カルナヴァル」の絵です。
carnaval

そして、こちらは竹久夢二の『白鳥の歌』の表紙の絵。
hakucho
いたずらな顔をした町娘の雰囲気や、アルルカンの衣装、また、舞台の幕が描かれているところもこの2つの絵で特徴的なところです。
夢二の絵で、二人の登場人物が幕の中に半分隠れているというのも、面白い構図です。

また、『火の鳥』の初演を踊った、タマラ・カルサヴィナの写真も、夢二は丁寧に切り取り保存していました。
その写真は、セノオ新小唄『曙光』の表紙に大きな影響を与えています。

こちらが、『曙光』の表紙。
shoko

そして、こちらがカルサヴィナの火の鳥です。
firebird
ズボン型の衣装や、背中を反らせるという今までの日本にはない独特の動きは、バレエの影響を受けていることが明らかです。

竹久夢二も夢見た世界、バレエ・リュス。
当時の日本人にどれだけ衝撃を与え、熱狂させたのかも、うかがい知れますね。

連載最後の次回は、当時の日本でバレエ・リュスがどのように紹介されていたのか、その空気の伝わる本をご紹介します。

(M.K.)

カテゴリー:コラム

2013年8月20日

宝塚歌劇とバレエ・リュス ~シリーズ:大正ロマンとバレエ・リュス(1/3)

シリーズ 大正ロマンとバレエ・リュス
連載第一回 宝塚歌劇とバレエ・リュス

大正ロマン。
西洋の文化が日本の文化に入り混じり、そこに新しい時代への高揚感が加わって生まれた、活き活きとして、そして今振り返るとどこか懐かしいような、同時に逆に新しいような感じもする時代の文化です。
大正ロマンブーム、レトロブーム、なんかも最近耳にしますね。

そんな大正ロマンのまっただ中、バレエ・リュスもまた、当時の日本人の憧れの的でした。

当時ヨーロッパに留学していた作家の島崎藤村は日本の新聞にてバレエ・リュスの海外での活動を報告し、作曲家の山田耕筰はエッセイにバレエ・リュスを観た感動を書き綴り、1917年(大正6年)には音楽評論家の大田黒元雄による本格的なバレエ・リュスの書物が書かれます。
バレエは当時、新聞や雑誌に記事が載るほどのポピュラーな話題だったのです。
もちろん、そんな最先端のアート、バレエ・リュスにインスピレーションを受けた作品も沢山生まれました。
浅草で流行した大衆演劇の浅草オペラでも、バレエ・リュスの東方的な色彩を取り入れたエキゾチックな衣装が人気を集めていました。

今回の連載では、バレエ・リュスの日本に与えた大きな影響の中から、宝塚歌劇団と竹久夢二について、紹介してみたいと思います。

*宝塚歌劇*

現在でも人気を誇る宝塚歌劇団の前身である、宝塚唱歌隊が結成されたのが、大正2年、1913年のことです。(初公演は1914年)
1919年には宝塚少女歌劇と改称されましたが、この宝塚少女歌劇は実はバレエ・リュス作品が元になった演目を何作品も上演しています。

例えば、宝塚を代表する唱歌、「すみれの花咲く頃」の作詞でも有名な白井鐵造の御伽歌劇、『金の羽』(1922年)は、鳥のバレエを作りたいと考えた白井が、バレエ・リュス『火の鳥』からインスピレーションを得た、と、『宝塚と私』(1967年)の中で述べています。

また、バレエ・リュス作品と同じタイトル、衣装、音楽を用い、振付の一部まで使用した作品として、楳茂都陸平の『牧神の午後』(1929年)、『薔薇の精』(1935年)などもあります。
『薔薇の精』の“振付は、フォオキン夫妻の型を基本とし、楳茂都先生の創意を加味されたもの”で、“舞台意匠とコスチュームは、かの有名なレオン・バアークストに依るもの”で、“舞台芸術を口にする人々は一見しなければならないもの”である、と、雑誌『歌劇』(宝塚に関する雑誌で、今なお続刊中)の1934年8月号に書かれています。(フォーキンとバクストは舞台鑑賞者にとって非常に特別な名前だったのだろうというのもわかります)

こちらが、フォーキンの振り付けによる、ニジンスキーとカルサヴィナの薔薇の精。
Rose

そして、こちらが、宝塚版の薔薇の精です。
tkrzk

同じ衣装で同じようなポーズを取り入れていたのがわかりますね。

この、宝塚版の薔薇の精を作った楳茂都陸平は、上方舞の楳茂都流の家元で、宝塚音楽学校の教師兼振付師でした。
彼は、彼にとっての西洋舞踊の最初の先生は人間ではなく書物であり、ロシアン・バレーや近代バレーの原書が到着するたびに丸善に駆けつけた、と著書、『舞踊への招待』(1958)の中で述べています。
彼は実際のバレエ・リュスを観たわけではなく、書物からその知識を得て作品を作っていたというのですから、また驚きです。
この文献からは、当時の日本にはバレエ・リュスに関する本や雑誌の原著が流通していたこともわかりますね。

ヨーロッパ中を熱狂させたバレエ・リュスは、娯楽の殿堂、きらびやかで華やかな皆の憧れの的となる宝塚歌劇で求められた魅力、スペクタクル性を見事に備えていたのでしょう。

次回連載では、竹久夢二とバレエ・リュスについてご紹介します。
彼もまた、バレエ・リュスに関する雑誌や情報を熱心に集めていた一人だったのです。
お楽しみに。

(M.K.)

カテゴリー:コラム

2013年7月26日

今夜、どこかのバーで「バレエ・リュス」でもいかが?

蒸し暑い日が続く日本列島。仕事帰りに軽く冷たいお酒を一杯飲みたくなる日もありますよね。

そんな日におすすめしたいカクテルがあります。

その名も「バレエ・リュス」。

写真

名前の由来はよくわかっていないようですが、このカクテルの名前がフランス語”ballet russe”であることからディアギレフ率いる「バレエ・リュス」にちなんで名付けられたものだと考えられています。

レシピはウォッカ、クレーム・ド・カシス、ライムジュースまたはレモンジュースをシェークします。

フランス・パリで一世を風靡したロシアのバレエ団ということで、ロシアの国民酒であるウォッカと、フランスで作られたクレーム・ド・カシスを入れているのでしょうか。

スタンダードカクテルではないので、お店によってはレシピを言わないと作られないかもしれません。

またニューヨークにある”Russian Tea Room”という店のバーテンダー、Brice Moldovanによって考案された違うレシピの「バレエ・リュス」も存在します。

この”Russian Tea Room”ですが、亡命してきたマリインスキー劇場バレエ(現)のメンバー達が開いた店で、バレエ・リュスのメンバーであるアレクサンドラ・ダニロワや、ジョージ・バランシンも通っていました。ジョーシ・バランシンの自伝でも、「話がしたいのかい、ではRussian Tea Roomに行こう。」と言った描写が出てきます。若き日のマドンナが働いていたとしても有名です。

こちらのレシピは2種類のウォッカ、ライチジュース、グラン・マルニエ・グレナデン シロップを使用します。

非常に飲みやすいお酒ですが、アルコール度数は高めなのでご注意を。

新国立劇場で「バレエ・リュス」を観たあとに、軽く一杯、「バレエ・リュス」はいかがですか?

 

カテゴリー:コラム

2013年7月25日

ストラヴィンスキーの音楽による魅惑の3つのバレエ

20世紀初頭、各方面の先鋭の芸術家が集まり、
バレエというかたちで総合芸術の最先端を見せつけたバレエ・リュス。
「バレエ・リュス ストラヴィンスキー・イブニング」では、
ストラヴィンスキーの音楽による3作品を上演する。
3作品はそれぞれどんな作品なのか、ご紹介しよう。文◎實川絢子

「火の鳥」
ロシア民話による魔法の物語

 〈バレエ・リュス〉という名は、もはやそれ自体が魔力を持った記号のようだ。二〇世紀初頭に西ヨーロッパに登場し、活動期間はたった二〇年余りながら、バレエ史上最高のバレエ団と呼ばれたバレエ・リュス。現代芸術全般に与えた影響は計り知れず、今なおその革新と魅惑に満ちた歴史は、半ば伝説となって多くの人々を魅了し続けている。
 フランス語で〈ロシア・バレエ〉を意味するこのバレエ団は、あらゆる芸術に精通した興行師ディアギレフのもとにロシア人ダンサーが集まり、一九〇九年パリにて結成された。バレエ・リュスが他のどのバレエ団とも違うのは、パヴロワ、ニジンスキーをはじめとする傑出したダンサーの他、ストラヴィンスキー、ラヴェル、ピカソ、マティス、コクトー、シャネルといった分野を超えた一流の芸術家を結集して、〈総合芸術〉としての新しいバレエを作り上げたことにある。当時、西ヨーロッパで衰退の一途をたどっていたバレエ芸術に新たな息吹を吹き込んだバレエ・リュスの遺産は、解散後も世界各地で受け継がれ、私たちが今バレエを楽しむことが出来るのは、このバレエ・リュスあってのお陰と言っても過言ではない。
 そんなバレエ・リュス結成時から初期にかけて活躍した振付家が、フォーキンであり、現在まで上演されている代表作のひとつが、一九一〇年初演の「火の鳥」だ。ロシア民話を下敷きにしたこの作品は、振付、音楽、美術すべてがロシア人アーティストによるオリジナル。エキゾチックで色彩豊かなロシアのエネルギーに満ち満ちた、バレエ・リュスの傑作だ。
 魔法の鳥に魅了される王子、邪悪な魔法使いに捕らわれた乙女たち、対照的な二人のヒロインといった「白鳥の湖」とよく似たモチーフを取り上げながら、フォーキンは自然なマイムとダンスにより展開していく、よりリアリティのある物語バレエを目指した。その結果、ほぼ全員がキャラクターダンスを踊る中で、ただ一人火の鳥だけがトウシューズを履いてクラシック・バレエを踊り、その魅惑的な異質性を際立たせることに成功。振付と同時進行で作曲されたドラマティックな音楽、色鮮やかな背景、全ての要素が一体となって、総合芸術としてのバレエの醍醐味を堪能できる。「白鳥の湖」をご覧になった方は、二作品を比較してみるとより一層面白いだろう。
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「アポロ」
踊りと音楽の幸福な結婚

 「アポロ」は、ディアギレフに見出されてバレエ・リュス最後の振付家となり、のちにニューヨーク・シティ・バレエを設立したバランシンが一九二八年に振付けた出世作。ミニマルな衣裳に、複雑なストーリーも舞台背景もない、あるのはダンサーの身体と音楽だけ─そんないわゆる抽象バレエが二〇世紀にたくさん作られるようになったきっかけとなり、〈目で見る音楽〉と言われるバランシン作品の原点ともいえるのが、この「アポロ」だ。
 この作品の核にあるのは、物語ではなく、純粋な踊りそのもの。シンプルな白いレオタード姿のダンサーの身体が織りなすポーズやステップの幾何学的な美しさ、その音楽との調和が何よりの見所になっている。
 同時に、作品中にみられる、全員でのパ・ダクシオン、それぞれのヴァリエーション、男女のパ・ド・ドゥ、そして全員のコーダという一連の構成は、三大バレエを生んだプティパが確立したクラシック・バレエの基本構成に則っており、プティパに対する尊敬の念が随所に感じられる新古典主義作品と言えるだろう。
 生まれたばかりの神アポロが、自らの創造力に目覚め、詩の女神カリオペ、マイムの女神ポリヒムニア、舞踊の女神テレプシコールを率いてパルナッソス山に登っていく─この、芸術を司る神が成熟していく過程というモチーフは、一連の初期作品を経て、バランシンそしてストラヴィンスキー自身が、芸術家として開花していく姿とも重なる。二人が目指した、どこまでも純粋な、踊りと音楽の幸福な結婚。技術・音楽性ともに優れた新国立劇場バレエ団のダンサーなら、このバランシン作品の真髄を存分に体現してみせてくれるはずだ。
APOLLO.BRB.24-9-2003

「結婚」
緊迫感みなぎる集団の踊り

 一九二三年六月、パリで初演された「結婚」。振付けたのは、あのバレエ・リュス伝説のダンサー・ニジンスキーの妹、ニジンスカだ。ロシアの農村での結婚をテーマに、それをあくまでも抽象的な儀式として描いたこの作品は、二〇世紀の最高傑作のひとつとの呼び声も高い。この作品を観たかどうかで、バレエというものの概念が変わるといってもよいくらい、バレエ史上重要な作品である。
 まずは作品を観て、「結婚」というタイトルに一見そぐわない異様なまでの緊迫感を肌で感じるのが一番だと思うのだが、この作品の革新性をひとつ挙げるとするなら、それは何より徹頭徹尾抽象的な〈集団〉の踊りであるということにある。バレエには大抵主役がいるもので、それが結婚式の場面であればなおさらであるが、このバレエにおいては、集団こそが主役なのだ。
 幕が開くなり、花嫁も、その両親と友人も、皆が無表情で、結婚式を目前にした華やぎや喜びがまったく感じられないことに驚くだろう。全員が、まるで動く彫刻のように機械的にフォーメーションを作っていく様子から、結婚前夜の家族の様子すらもが儀式のようにみえてくる。花嫁も花婿も、主役というよりは儀式の中の単なる記号に過ぎず、個性らしいものは一切浮かび上がってこない。
 結婚の祝祭が始まると、それまでの静的な踊りから一転、花嫁と花婿が舞台後方でじっとしている前で、友人たちが地面を踏み付けるように跳躍を繰り返し、激しい動的な踊りを展開する。丸められた拳を突き上げ、まるで鎖のように連なっていく友人たちは、結婚を通して、淡々と繰り返し再生されていく人間の生を象徴しているかのようでもある。
 おとぎ話的な結婚ではなく、現実の結婚が意味するところに深く迫り、それをシュールで抽象的な視点から描いた「結婚」。九〇年も前に作られたというのが信じられないほどの斬新なセンスに驚かされることは間違いない。
LesNoces.photo-V.Baranovsky(5)

新国立劇場・情報誌『ジ・アトレ』6月号より

カテゴリー:コラム

2013年7月4日

「結婚」イギリス初演のあれこれ

  落下した隕石から出てきた火星人によって、地球が侵略されています――

1938年アメリカ。このラジオドラマを本物のニュースだと勘違いした人々によって大騒動が巻き起こったことがあったのは有名です。
問題のラジオドラマはオーソン・ウェルズ脚本の「宇宙戦争」。
その原作を書いたのは、イギリスの小説家、SFの父と言われ、「タイムマシン」「モロー博士の島」「透明人間」など数々の名作を残したH.G.ウェルズです。

このH.G.ウェルズ、実はバレエ・リュスの「結婚」のロンドン初演を見て、熱烈な手紙を書き残しているのです。
今回は、このウェルズの手紙をもとに、「結婚」ロンドン初演についてみていきたいと思います。

“私は「結婚」のように興味深く、面白く、新鮮で興奮さえも感じるようなバレエはほかには知らない。私はこれを何度でも何度でも見たいと思う、そしてそうすることでこの演目をプログラムから排除しようとする愚かな陰謀に抵抗したいと思う。”
“このバレエは農民の魂の音と捉え方を、重さを、熟考と愚鈍を孕む複雑さを、密かに様々な要素を併せ持つリズムを、深くに隠された興奮を描き出し、そしてこれを見た知的な紳士淑女の皆に驚きと喜びをもたらすのである”
“音楽と場面の歪みと唸りが未だに心の中に現れては消え、渦巻いているような輝かしい公演を見ることができたことは、素晴らしい経験だった。この最も新鮮で最も力強い、今後長い間褒め称えられるべきである作品を、鬱憤を晴らすかのようにありふれた安っぽい表現でもって粗探ししようとする批評家には大変驚かされる。”

Eric Walter White, ”Stravinsky: The Composer and His Works”, University of California Press, 1980 p260-261より(日本語訳)

「結婚」は、1923年にパリで初演され、1926年6月4日のロンドン初演はその再演でした。
(ちなみにこの作品の特徴の一つに四人のピアニストが使われるという点がありますが、ロンドン初演はその布陣も豪華です。
映画「ローマの休日」などの音楽を後に担当する映画音楽の大家、ジョルジュ・オーリック、作曲家・フランシス・プーランク(オーボエ、バソンとピアノのための三重奏曲は「のだめカンタービレ」でも有名になりました)など!ともに公演当時27歳でした)

パリで初演されたときにも様々な波紋を呼んだこの作品ですが、ロンドンではその時以上に物議を醸したといわれています。
手紙の上記の引用部分からも、当時様々に意見が入り乱れ、公演プログラムからこの演目を排除しようとする動きすらもあったことがわかります。

ウェルズは、具体的な舞台美術、音楽にも言及していますので、少し挙げてみます。
●書割り(後ろの幕)…“一つの窓を描くことで一軒の家を、二つの窓でもう一軒の家を描くという驚くべきシンプルな幕は、そこからストーブやテーブルまでを想像することも可能であるのに、芸術の守護者たち(=批判者)は想像力が欠如している
●衣裳…“ばからしくてかわいいばかりのヴァトーやフラゴナール(注:ともにロココ調の画家)とは一線を画している。ファンシーな衣装の農民の代わりに白と黒(注:実際は白と茶色の衣装であるが、当時黒と取り違えた人が多かった)のシンプルな衣装の農民は、”“一種ユーモラスなまじめさを醸し出している。”
●音楽…“「魅力的」な結婚を描こうとして失敗した音楽、という批判があるが全く見当違いである。”          (Eric White, 同書)
マスコミの批判も相当ですが、文明批判と皮肉に溢れた作品を残したウェルズの応酬もなかなかですね。
この抗議の手紙はマスコミに採用されることはありませんでしたが、公演の行われたHis Majesty’s劇場にて、印刷されたものが来場者にプログラムとともに渡されました。

このHis Majesty’s劇場は、ロンドンに今も現役の劇場として現存します。
her majesty's theatre
Her Majesty’s Theatre, London 2012.8.22撮影
(現在のイギリスは国王ではなく女王統治ですので、劇場の名前はHer Majesty’s劇場に変更になっています)
1897年に完成したこの劇場、なんと今年11月に新国立劇場で行われる演劇公演、ジョージ・バーナード・ショーの「ピグマリオン」の初演を主催した劇場でもあるのです。
その後は「ウェストサイドストーリー」など主にミュージカルが多く上演され、現在は1986年からの「オペラ座の怪人」がロングラン公演中です。
写真は昨年、「オペラ座の怪人」が25周年を迎えていた時のものです。ライトアップがなんともいい雰囲気を醸し出していますね。
中は残念ながら撮影禁止なのですが、赤と金、緑で統一された豪華な客席とロビーの素敵な劇場です。

イギリス初演の空気が少し伝わったでしょうか?
新国立劇場で今回上演するのは、振り付けも美術、衣装、もちろん音楽もH.G.ウェルズの見たものと同じバージョンです。
SFの大家、空想世界の極地を常に目指していたH.G.ウェルズをも唸らせた「結婚」。
公演をどうぞお楽しみに!

カテゴリー:コラム

2013年6月20日

アベノミクスとバレエ・リュス!?

現在日本を席巻しているアベノミクスとバレエ・リュスに一体何の関係が?実は面白い関係があります。

1909年にパリにて旗揚げ公演を行ったディアギレフ率いるバレエ・リュスですが、信じられないほどの著名な文化人が多く関わりを持ち一大センセーションを巻き起こしました。

 

その中にアベノミクスに大きく関わっている人物がいます。20世紀の最重要人物の一人、イギリスの経済学者ジョン・メナード・ケインズです。

ケインズはそれまでの経済学の常識であった「供給が需要を創造する」から全く逆の「需要が供給を決定する」という説を提唱し、世界の経済学を一変させました。金融の緩和、財政出動政策の有効性など現在のアベノミクスの基礎となる経済学を作り上げたケインズですが、実は大のバレエファンであり、バレエ・リュスのプリマである?リディア・ロポコワと結婚したのです。

 

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リディア・ロポコワとジョン・メナード・ケインズ。おどけた感じが可愛いですね。

 

ケインズの面白い投資理論に「美人投票」というものがあります。「もし美人コンテストが開催されたとして、自分自身が考える一番美人の人を選ぶのと、誰が最も多くの得票数を得るかを予想することは違う。後者はその他多数の人々が美人だと思いそうな人を選ぶ。株などは美人投票結果の予想のようなものだ」と語っております。然しながらケインズが実生活で選んだのは、バレエ・リュスのプリマ?、リディア・ロポコワだったとは。流石お目が高い!

 

その後ケインズは経済学の巨人として君臨する傍ら、バレエ・リュスを支援し続け、ケンブリッジ芸術劇場を建設、その経営にも関わり、英国ロイヤル・オペラ・ハウスの理事長も勤めました。

 

アベノミクスの基礎理論の中心であるケインズとバレエ・リュスのプリマである?リディア・ロポコワ。是非、天国にいるケインズ夫妻に経済・バレエ共々アドヴァイスをいただきたいものですね。

カテゴリー:コラム

2013年6月13日

二つの「火の鳥」~バレエ・リュスと手塚治虫~

火の鳥。
火の鳥ときいて、何を想像しますか?
まばゆいばかりの光で全身覆われ、弓で射ようと槍で突こうと絶対に死なず、数百年に一度火の中に飛び込んで自らを焼き新しい体に生まれ変わる。何百年何千年生きているかもわからない。その血を飲めば飲んだ人間も不老不死の存在になれるという。人間以上に知恵があり、人の言葉も理解し、時に人にテレパシーで 話しかけることもできる…。

…こんなところでしょうか。実は今列挙した特徴は、全てかの有名な手塚治虫氏の傑作、漫画「火の鳥」の作中で描かれたものです。
鳳凰、不死鳥、フェニックス、世界中で様々な名前で存在する不死の鳥ですが、私たち日本人にとってはこの手塚治虫版が最も馴染み深いものではないでしょうか。

アニメ化、舞台化、映画化とさまざまにメディアミックスされ、各方面に多大な影響を与えた手塚治虫の「火の鳥」と、今回のバレエ・リュスの「火の鳥」。
この二作品、全く畑違いのように見えて実はとても深~~い関係があるのです。

“ぼくはある劇場で、ストラビンスキーの有名なバレエ「火の鳥」を観ました。バレエそのものももちろんでしたが、なかでプリマバレリーナとして踊りまくる火の鳥の精の魅力にすっかりまいってしまいました。
火の鳥の精は、悪魔にとらえられた王女を救うために、出発する王子の案内役をつとめる鳥で、ロシアの古い伝説なんだそうです。その情熱的で優雅で神秘的なこの鳥は、レオに匹敵するドラマの主人公として最適のように思えました。
そういえば、どの国にも、火の鳥のような不思議な鳥の存在が伝説としてのこっています。蓬莱山伝説にあらわれるホーオーという鳥、あるいは不死鳥とよばれている一連のいいつたえなどに、なにか超自然的な生命力の象徴を鳥の姿に託したような感じがします。“  
講談社『手塚治虫文庫全集 火の鳥②』p288より(初出:1968年12月20日発行「火の鳥 未来編」掲載)

引用は、手塚治虫が火の鳥連載中に書いた「私と火の鳥」というエッセイの冒頭部分です。
なんと、手塚治虫は、バレエ・リュスの「火の鳥」から漫画「火の鳥」の着想を得ていたのですね!

手塚治虫が影響を受けたと思われる個所は、キャラクターのみならず、作中のシーンにもいくつか見受けられます。
そのうちのひとつをご紹介しましょう。

「火の鳥」黎明編で、火の鳥を狩りにきた若者・ウラジは、弓矢の効かない火の鳥を素手で捕まえようとしてその火に焼かれて死んでしまいます。
遺体となって村に帰ってきた彼の手に握られていたのは、火の鳥の存在を証明する、一枚の羽でした。
悲劇的な場面の中でひときわ輝く羽の美しさと、村の勇者でさえも黒こげにしてしまう強さ。火の鳥の二つの大きな特徴が象徴的に描かれる、名シーンです。

一方バレエ・リュスでのイワン王子も弓矢で火の鳥を捕まえることに失敗し、素手で火の鳥を捕まえます(ここで王子と火の鳥が踊るパ・ド・ドゥは緊張感に満ちて火の鳥の強かさと妖艶さの魅力に溢れており、「火の鳥」見所の一つです)。
疲れた火の鳥は、見逃してくれる代わりに、と、あるものを王子に渡します。そのあるもの、というのが、一枚の羽なのです。
バレエ・リュスを見た手塚治虫は、この場面に強く感銘を受けたのではないでしょうか。

体そのものをけして明け渡さず、一枚でも美しく光り輝く羽を人間の手に託すという行為は、火の鳥の神秘性と強かさを強調し、両作品においてとても印象的なシーンとなっています。

手 塚治虫の「火の鳥」黎明編では、その後、火の鳥に魅入られた人間が何人も命を落としていきます。不死の命を求める人間たちはそれを追い求める過程で皮肉な ことに死んでいくのです。一方、懸命に生きていこうとする人間を火の鳥は見守り、時に話しかけ、時に道案内として導きます。
対して、バレエ・リュスの火の鳥は、イワン王子の危機に王子が羽を翳した瞬間に約束通り現れ、王子と王子が恋に落ちた王女ツァレヴナを結びつけるために尽力してくれます。
「超自然的な生命力の象徴」と手塚治虫の評した火の鳥のタイトルを冠した物語が、最後に結婚式のシーンで幕を閉じるのは、とても興味深いところですね。

バレエ・リュスの火の鳥は、作中のヒロインの一人ですが、バレエにはたおやかなヒロインの多い中で、とても力強く美しく人を超越した魔力を持った存在として神秘的に踊られます。
人間たちの生き様を見つめ続ける、気高く美しい手塚治虫の火の鳥がここから生まれたのかと思うと、また違った視点から作品への理解を深められそうです。

私たち日本人の火の鳥像を作った手塚治虫、実はその原点であったバレエ・リュス「火の鳥」。
11月の上演をどうぞお楽しみに!

カテゴリー:コラム

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