2013年9月6日
日本で紹介されたバレエ・リュス ~シリーズ:大正ロマンとバレエ・リュス(3/3)
シリーズ 大正ロマンとバレエ・リュス(3/3)
連載第三回 日本で紹介されたバレエ・リュス
“この小さい書物によって露西亜舞踊の進化が幾分でもその名称に憧れる我が国の人々に了解されたならば、私の幸福はこれに過ぎない”
(大田黒元雄『露西亜舞踊』1917年)
これは、日本でバレエ・リュスについて書かれた最初の本である、音楽批評家の大田黒元雄による『露西亜舞踊』の冒頭の一節です。
この一文から、バレエ・リュスに憧れる日本人、というのが当時から少なからず存在していたのがわかります。
この、大田黒元雄による『露西亜舞踊』。最初に出版されたもの(1917年)は残念ながら国会図書館などに行かなければお目にかかれませんが、加筆修正を加えた第二版として1926年9月に750部のみ限定出版されたもの(こちらもとても貴重なものです!)の方は、新国立劇場5階の情報センターで閲覧出来ます。(閉架なので、受付で申請してみてくださいね)
バレエ・リュスが当時の世界にどのように伝播し受容されていたのか、日本ではどのようなところがもてはやされたのか、を、生々しく伝えるとても面白い資料です。
1926年版では、序詞の部分に、「これは絵本である。文章は、ほんの解説に過ぎない。その代り、挿絵は、かなりの苦心を以て、収集され選択された。この本が、世の好事家の愛玩を受けることを、私は期待している(原文旧字体)」と記されています。
この文句の通り、冒頭には今回のブログの宝塚の項で登場したレオン・バクストの衣装画や、今回新国立劇場で上演される『火の鳥』や『結婚』の衣装を手がけたゴンチャローワをはじめ、ドランやピカソ、ローランサンなどの舞台美術がカラーで収録されています。また、竹久夢二も集めていたカルサヴィナの火の鳥の写真など数々の舞台写真から、ロポコワ(経済学者ケインズの奥さん、詳しくはブログ「アベノミクスとバレエ・リュス!?」)、ピカソによるストラヴィンスキーのスケッチなどなど、バレエ・リュス時代を伝えるビジュアル資料が満載の作りになっています。
この本では、当時日本人にバレエ・リュス作品がどのように紹介されていたのかも知ることができます。
1917年版、1926年版の共通の項目として、「舞踊十二番」と称して、いくつかの作品に焦点を当ててストーリー解説が書かれたパートがあります。
その、火の鳥の項を少し紹介しようと思います。
全文は長いので、イワン(文中イヴァン)王子が王女ツァレヴナを追って、カスチェイ(文中コッチェイ)の城に乗り込み、火の鳥の力を借りて王女を助け出す、クライマックスのシーンのみの引用です。
“そのうちに暁が来た。少女たちの許された時間は過ぎた。彼等は、悲しげに恐ろしい城の中へ帰っていく。イヴァンは、我を忘れてその門を押し開く。門は開いた。それと共に、異様な物音が聞こえて無数の怪物が城の方から駆けて来る。城の主、コッチェイは彼等の喧騒の間にあらわれて、イヴァンを捕えようとする。皇子は、その魔力のために危うくなったが、その時、先に火の鳥から贈られた美しい羽根を取り出す。そして、その魔法の踊りにつれて、コッチェイを始め、すべての怪物どもは、異様な踊りを始めた挙句、眠ってしまう。その間に、火の鳥は、コッチェイの魂を隠した大きな卵のありかをイヴァンに教える。コッチェイの気のついた時には、卵は既に皇子の手にある。コッチェイは愕然として皇子を襲う。然し、卵は地上に叩きつけられ、それと共に不死といわれた魔物もその場に倒れて死ぬ。そして、すべての怪物は立派な人間の姿に戻って、遥かな空へ飛び去る火の鳥を見送りながら歓喜する。”
(大田黒元雄『露西亜舞踊』1926年)
簡潔ながらもなかなかに情緒あふれる文体で、場面が目に浮かぶようですね。
門の中に帰っていく少女たちを見るイワン王子の悲しみ、思わず彼女たちを追って門を開いてしまう様子から、以降の緊迫感に満ちた展開を、躍動感に溢れた、畳み掛けるような文章で、いきいきと描いています。
舞台のクライマックスの盛り上がりが存分に伝わってきますね。
100年前の日本で、これだけバレエ・リュスが受容されていたとは驚きですが、なんだか少し、過去が身近になったような気がしませんか?
かつてバレエ・リュスに憧れた先人たちに思いを馳せながら、劇場に足を運ぶのもまた一興。
11月の公演を、どうぞお楽しみに!
(M.K.)