
2013年11月8日
翻訳者雑感その3 ~ロンドン訛り(コクニー)~
コクニー英語の特徴のうち、2つの点がよく知られている。「エイ」が「アイ」になることと、「H」の音が落ちる(ハヒフヘホがアイウエオになる)ことだ。『マイ・フェア・レディ』の中で、ヒギンズはイライザに2つのセンテンスを何度も復唱させる。
The rain in Spain stays mainly in the plain.
(ザ・レイン・イン・スペイン・ステイズ・メインリー・イン・ザ・プレイン。 = スペインの雨は主に広野に降る。)
In Hertford, Hereford and Hampshire, hurricanes hardly happen.
(イン・ハートフォード・ヘリフォード・ハンプシャー、ハリケインズ、ハードリー、ハップン= ハートフォードとヘリフォードとハンプシャーでは、ハリケインは滅多に起きない。)
これを花売り娘のイライザはコクニーで「ザ・ライン・イン・スパイン・スタイズ・マインリー・イン・ザ・プライン」「イン・アートフォード・エリフォード・アンド・アンプシャー、アリケインズ、アードリー・アップン」と発音してしまう。で、特訓の末、ついにちゃんと発音できるようになって、感動の歌(と踊り) ― とミュージカルでは盛り上がるのだが、ストレートプレイの『ピグマリオン』にはこの歌は出てこない。(誤解を恐れず敢えて言っておけば、『マイ・フェア・レディ』と違って『ピグマリオン』はそういう形で観客を感動させることを目指していないのだ。が、それはまた別の話。)
さて、まず「H」が落ちること。これをそのまま日本語でやってみると結構面白い。語尾などにもアレンジを加えて「花代払ってくれよ」を「あなだいあらっちくりよぉ」に、「なんだ、そのヘンテコな字?」を「なんでぇ、そんエンテコな字?」に、などなど。やっていて面白いのだが、台本に表記する場合、意味が分からなくなるので、「あな(花)代あら(払)っちくりよぉ」などと不思議な但し書きを加える必要があった。かなり面倒くさい。面倒くさいとは言え、「ハヒフヘホ」→「アイウエオ」は比較的スムーズにできた。が、「エイ」→「アイ」はそうはいかなかった。例えば、「きれいな英語」を変換すると「きらいなあいご」となるわけだが、え、「嫌いな愛護」って何? みたいに、元の言葉を連想しにくくなってしまうのだ。恐らく、日本語の場合、英語ほど「エイ」の音が頻発しないのも原因だろう。どうしよう、と思っているうちに、ふと気がついた。日本語では逆に「アイ」→「エイ」(「エー」)にすればいいんじゃないか、と。「痛い」→「いてー」、「中産階級」→「中産けーきゅう」など。これなら自然に汚い(なんのこっちゃ?)日本語のように聞こえる。
24年前、ロンドン留学中にコクニーのことで一つ気がついたことがある。映画『マイ・フェア・レディ』のおかげもあって、「エイ」が「アイ」になることは知っていたので数字の「8(eight)」が「アイト」、「門(gate)」が「ガイト」だと言われても驚かなかった。が、こちらが「アイ」と言ったものまで「エイ」だと思われることが多々あったのだ。特に「小田島」と言う名前を人にスペルで説明するとき。「O-D-A-S-H-I-M-A」(オウ・ディー・エイ・エス・エッチ・アイ・エム・エイ)と言うと、「エイ」はちゃんと「A」と書き取ってくれるのだが、「アイ」も「A」と書かれてしまう。いやいや、そこは「アイ(I)」ですよ、と念を押すと、ああ、わかってる、「アイ」だろ? と言いながら、既に書き取った「A」の文字を太くなぞっている。おかげで、駅前のクリーニング店では1年間「ODASHAMA」という名前で通すことになった。顔を覚えられて、店に入ると「ハーイ、オダシャマ!」と呼ばれるので、なんだかどっちでもよくなってしまった。
『マイ・フェア・レディ』という題は、実は『メイフェア・レディ』のコクニー読みの洒落だと聞いたことがある。メイフェア(Mayfair)というのはロンドン中心にある高級住宅街のこと。現在では商業地区としても発展しており、いわば東京の銀座と田園調布と千代田区一番町を合わせたようなところ。これが、コクニー発音だと「マイフェア」になる。だが、待てよ? それなら「レディ」も正しくは「レイディ(Lady)」だから「ライディ」になるはずだ。「メイフェア・レイディ」はコクニーでは「マイフェア・ライディ」になる・・・などと余計なことを考えているうちに、ん、この「ライディ」って響きがいいな、と思って、『ピグマリオン』にも取り入れることにした。すなわち、「アイ」を「エイ(エー)」と読む原則を作っていたところに、「レイディ」のように英語の単語は本来のコクニーらしく「エイ」を「アイ」にして「ライディ」としてみたのだ。
要するに、かなり適当にいろいろ混ざった訛りができ上がったということ。その適当に作った言葉を稽古場で石原さんや小堺さん(主に訛る役のお二人)が一所懸命覚えようとしている姿を見て、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。ああ、適当なのに。すみません、申し訳ない ― 弱気な僕は到底ヒギンズのような厳しい先生にはなれそうにない。
と、思っていたら、情け容赦なく厳しいダメだしを畳み掛ける怖い声が ― あ、いた、ヒギンズのような厳しい、怖い、徹底的に妥協せずに完成を目指す先生が・・・あ、いえいえ、僕の勝手な妄想ですよ、宮田さん、あ、言っちゃった。


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2013/14シーズンは、前半4作品通しのお得なセット券をご用意いたしました。
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チケット料金(税込み)
一般:21,000円 (正価24,150円)
会員:18,900円 (郵送申込、先行販売期間)、19,950円(一般発売日以降)
前売開始
2013年6月23日(日) 前売開始
会員先行販売期間:2013年6月2日(日)~ 6月19日(水)
チケットに関するお問い合わせ
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(受付時間:10:00〜18:00)
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