
2013年10月31日
翻訳者雑感その2 ~ロンドンのキャブ~
果たして「キャブ」はタクシーなのか、それとも馬車(辻馬車)なのか。ちなみに、「キャブ」は、もともとは辻馬車を意味する言葉だった。さっそく調べてみると、ガソリンで動くキャブが登場したのが、パリでは1899年、ロンドンでは1903年だという。となると、完全に普及するのはもう少し後ということになる ― うう、微妙。1912年に書かれた『ピグマリオン』は、もっと早くから構想は練られていたようだから、作者ショーの頭の中でイメージされているコヴェント・ガーデンで「ピィーッ!」と口笛を吹いて呼ぶのは・・・どっちだろう?
いくら考えてみても答は出ないので、「白旗」をあげて『マイ・フェア・レディ』のDVDを見てみることにした。ドキドキしながら冒頭シーンを見つめていると ― コヴェント・ガーデン ― 劇場の芝居がはねて上流の観客がぞろぞろと外へ出てくる ― あ、タクシー。あ、馬車。あ、タクシー。あ、馬車。なんと、タクシーと馬車がかわるがわるやってくる! うん、そりゃそうだろうな。ちょうど移行期なのだから。なるほど、納得。
と、納得はしたもののまだ訳せない。この「急な雨降り」のシチュエーションで口笛を吹いて「なかなか捕まらない」キャブを捕まえるとなったら、タクシーだろうと馬車だろうと、捕まった方に乗るだろう。つまり、「フレディったらまだキャブを捕まえられないの?」と言うのは「フレディったらまだタクシーも辻馬車も捕まえられないの?」ということになる。問題は、タクシーと辻馬車の両方を表わす日本語がない、ということだ。さんざん悩んで、結局、「車」という言葉で表すことにした。「まだ車を捕まえられないの?」でも、これだと「タクシー」寄りの響きになるので、完璧とは言えない。
実は、この段階で、手に入る唯一の既存訳、倉橋健先生の訳を覗いてみた。すると ― やはり「車」という言葉があてられていた。ああ、初めから参考にさせてもらえばよかった。でも、先生もきっと同じことで悩まれたのだろうな、と想像するとちょっと嬉しい。ちなみに、倉橋先生のご令嬢、祐子さんは大学院時代同じゼミに所属し、「親の顔に泥の塗り合い」(注・僕の父はシェイクスピアの小田島雄志)と言いながら切磋琢磨した仲。彼女は今ではアメリカ、オハイオ州のKent State大学の先生になっている。
『ピグマリオン』は1912年に執筆、ロンドン初演は1914年だった。(ウィーン、ベルリン、ニューヨークでそれぞれ1913年に上演されていたが、ロンドン初演は主演女優パトリック・キャンベルが自動車事故にあったため上演が遅れてしまった。ここでも自動車の存在が問題になっていた!)その後、ショーは何度かこの作品に加筆・修正を施している。1938年の映画の脚本にも関わった。そして、1941年に『ピグマリオン』の決定版(Authorized Version)が完成する。今回の舞台の台本はこの版を訳したものだ。どうやら、イライザが「ベッキンガンちゅうでんにやってくれ」と言ってタクシーに乗る場面はかなりあとから書き加えられたものらしい。ここを指して「映画のスクリーンやよほど設備の整った劇場でないと上演できない場面」とショー自らが但し書きをしている。
今年の3月、久しぶりにロンドンへ行った。80年代の学生の頃から何度か訪れているが、いまだにロンドンのタクシーに乗るとついわくわくしてしまう。黒いオースチン、通称ブラックキャブ。最近は真っ黒とは限らず広告などがペイントされているものもあるが、それでもブラックキャブ。もっとも、ちょっと贅沢なのでそうしょっちゅう乗るわけではない。旅行の最終日、せっかくだから、ホテルで「空港までのタクシーを頼む」と言ったところ ― ぴかぴかのメルセデス・ベンツが来た! いわゆるロンドンタクシーではなくホテルが契約している会社の車だという。ちょっとがっかり。だが、乗ったら、ラッキー!なんという爽快感! 初めてタクシーに乗った花売り娘の気持ちがちょっとわかったような気がした。
と、翻訳の話をしようと思ったのに、最初のところで躓いた話を最初に話して躓いてしまった。肝心のコクニー(ロンドン訛り)のことを話さなければ・・・
小田島恒志


ピグマリオン+3公演 お得なセット券 発売!!
2013/14シーズンは、前半4作品通しのお得なセット券をご用意いたしました。
「OPUS/作品」(9月公演・小劇場)、「エドワード二世」(10月公演・小劇場)、「ピグマリオン」(11-12月公演・中劇場)、「アルトナの幽閉者」(2014年2-3月公演・小劇場)の四作品の特別割引通し券を発売します。(「ピグマリオン」S席・他作品A席)
チケット料金(税込み)
一般:21,000円 (正価24,150円)
会員:18,900円 (郵送申込、先行販売期間)、19,950円(一般発売日以降)
前売開始
2013年6月23日(日) 前売開始
会員先行販売期間:2013年6月2日(日)~ 6月19日(水)
チケットに関するお問い合わせ
新国立劇場ボックスオフィス
(受付時間:10:00〜18:00)
03-5352-9999
または新国立劇場ボックスオフィス窓口まで