COLUMN

ケントリッジ演出の『魔笛』を視る 吉岡 洋

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[ ジ・アトレ6月号より ]

ドローイングに残された時を視る
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ウィリアム・ケントリッジは1955年に生まれた南アフリカの美術家である。1990年代以降、その作品は国際的な評価を得て世界各地で展示され、日本においても2001年の「横浜トリエンナーレ」や、2014~15年の「PARASOPHIA 京都国際現代芸術祭」その他を通して紹介されてきた。

美術家とはいっても、美術大学で教育を受けたわけではない。政治学とアフリカ研究で大学を卒業した後、別な機関で芸術の学位もとったが、1980年代初頭にはパリに赴いてマイムと演劇の勉強をし、1991年まではヨハネスブルクで演出や俳優の仕事をしていた。だが結局、自分には俳優の才能はなく、自分にできるのはドローイングなのだと悟ったそうである。

美術家にとってドローイングは、油彩その他の大作を準備する下描き的なものと位置付けられる場合も少なくない。けれどもケントリッジの場合はそうではない。彼にとってそれは、その本来的意味において、中心的な表現形式となっている。本来的意味というのは、ドローイングには作者の手(身体)の運動がハッキリ感じられるということである。またドローイングには、最終的に選ばれたもの以外の描線も残っていることが多い。いわば私たちはドローイングの中に、単なる形ではなく、それに至るまでに作者が経験した時間をも、同時に視ているのである。

ケントリッジの名を世界的に有名にしたきっかけのひとつは、彼が1989年以降制作してきた短編アニメーションである。「アニメーション」と聞くと、セル画(最近ではCG)や、粘土などをコマ撮りした作品を思い浮かべるかもしれないが、ケントリッジの場合、それは紙に木炭で描くドローイングを用いて制作される。それもフレーム毎に違う絵を描くのではなく、同じ紙の上で一部を少しずつ消しては書き加えてゆくプロセスをコマ撮りしてゆく方法で製作される。紙に木炭だから、当然以前の描線は完全に消えることはなく、うっすらと残っており、それが独特の効果を生み出す。(ケントリッジの動画作品は現在YouTube等のネット上にあるので、この技法がどんな印象をもたらすかは簡単に確認できる。今は同じ技法を用いるアーティストは増えたので、どこかで見たと思う人もいるかもしれない。)

ケントリッジのアニメーションはある種のストーリーを持つお話であるが、その内容は南アフリカの歴史に関わるものであり、アパルトヘイト(人種隔離政策)時代の南アフリカ社会を白人として生きた、自分自身の経験から産み出されたものである。人種差別や虐殺を批判・告発するものではあるが、単純なメッセージ ではなく、複雑で内省的なイメージが重層する物語であり、そのためにドローイングによるアニメーションという技法が極めて効果的に作用している。作品は南アフリカという特定の国の歴史にとどまらず、植民地支配をめぐる普遍的な物語になっており、だからこそ世界的に高く評価されているのだと思う。

光の勝利の物語に宿る矛盾を視る
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さてこのケントリッジが1998年、ブリュッセルのベルギー王立歌劇場(モネ劇場)から、モーツァルトの『魔笛』の演出を委託され、2005年に初演された。『魔笛』はこれまで、音楽ファンに限らず美術家たちをも魅了してきたオペラであり、美術家がその舞台に関わるのも、けっして初めてのことではない。グスタフ・マーラーの未亡人アルマとの恋愛でも知られるオーストリアの画家オスカー・ココシュカは、1954年ザルツブルグでの『魔笛』公演のためにその舞台や衣装をデザインしている。他にも、マルク・シャガールやデイヴィッド・ホックニーの例もある。けれどもケントリッジの場合、たんに舞台美術や衣装のデザインを担当するということをはるかに越えて、『魔笛』という作品の解釈そのものを大きく刷新するものとなっており、それが何をおいても注目すべき点である。

『魔笛』が初演されたのは1791年、モーツァルトが亡くなる直前である。18世紀末のヨーロッパ、時はまさに市民革命と啓蒙思想の時代である。「啓蒙(Enlightenment, Lumière)」とは封建的・因習的な社会の「闇」を知識の「光」によって駆逐することを意味していた。『魔笛』の物語もまた、その謎めいた細部はともかく全体としては、闇に対する光の勝利、知識による暴力の克服と人類の進歩という、啓蒙主義の文脈を手掛かりとして理解することができる。

けれど私たちは、啓蒙の理想に導かれたフランス革命が、同時に恐怖政治(テロル)を生み出したことも知っている。それだけではない。その後今に至る200年間、自由と啓蒙を目指して行われた多くの政治的革命は、やがては抑圧と暴力へと転化していった。また地球上のより「遅れた」文明に知識の光をもたらし人類を解放するという理想(植民地主義)が、その理想とは真逆の、差別と搾取と暴力へと変質してゆく過程も、私たちはイヤと言うほど見てきた。こうした歴史から得られた最も重要なポイントは何か? それは、啓蒙や進歩という高邁な理想が支配欲や破壊衝動のような「悪」によってたまたま道を踏み誤まらされたのではなく、実は啓蒙や進歩という理想それ自体の中に、支配や暴力への傾向がビルトインされていたのではないか? という問いである。

モーツァルトはもちろん、ナポレオン戦争も、19世紀の植民地闘争も、ナチスのガス室も、スターリン政権下のロシアも、そして現在の「テロとの闘い」も知らない。にもかかわらず彼は、「啓蒙」という理想、つまり闇に対する光の勝利という物語それ自体が、深い矛盾と両義性に貫かれていることを直観しているようであり、そのことが『魔笛』という作品の大きなポテンシャルとなっている。ケントリッジの演出は、作品を啓蒙と植民地主義という文脈に置くことによってこのポテンシャルを顕在化させ、タミーノの運命やザラストロの存在の意味を、神話的な夢物語からアクチュアルな世界史の中に連れてくる試みであると言える。

とにかく、『魔笛』を観ることがオペラのファンに限らず、ワクワクするスリリングな体験となるだろうと期待している。日本における公演は本当に喜ばしく、楽しみである。

吉岡 洋

京都大学こころの未来研究センター特定教授。
専門は美学・芸術学。主な著書に,『情報と生命』(新曜社,1993)、『〈思想〉の現在形』(講談社,1997)等。京都ビエンナーレ(2003)、岐阜おおがきビエンナーレ(2006)総合ディレクター。美学会会長。

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