幅広く豊かな様式と多種多様なテーマを持つ膨大なオペラのレパートリー。バレエ・カンパニーは時には嫉妬にも近い眼差しでそれらをみつめることがある。例えばたった一人の作曲家、ヴェルディによって生み出されたオペラの数に比べて、繰り返し上演される全幕バレエの数はわずかである。そのため、振付家が新しい全幕バレエ作品を創りたいと考えた時には、驚くべきことに二つしか方法がないのである。一つは、失敗するリスクをも負う形で全く新しい音楽を委嘱する、そしてもう一つは振付家の想像力を掻き立て、さらにはドラマティックでダンスに必要な条件を満たす音楽のスコアを集めることのできる、幅広い音楽作品に通じた優秀で気の合った協力者を得ることである。

ピーター・ダレルの作品の強みは、その演劇的要素だ。彼は説得力ある様式化されたダンスと物語を一体化する卓越した能力を持っていた。物語を語るために、ダレルは彼の手にぴったり合う手袋を見つけ出すように、ぴったりの音楽を選び出す選択眼を持っていた。リストの《ファウスト交響曲》をシェークスピアの悲劇《オテロ》と組み合わせる妙はまさに天才的である。完成した作品を検証すれば明らかであるが、半音によるつかみどころのなさがオテロの執着とラーゴの思い上がったたくらみを見事に示唆し、おだやかで透明感のある全音階がデスデモーナの純真さと心温まる愛らしさを表している。つまり、この物語の重要な要素である愛と嫉妬、あるいは生と死、といった露骨なまでに白黒のはっきりしたコンセプトを扱ううえで、この音楽の持つ対極的な表現要素にダレルは惹かれたのであろう。その一方で、繊細で内的な世界を、デビッド・アールが書き下ろした音楽で表現した《シェリ》がある。ダレルはここでもまた、あらゆる音楽様式に対する造詣の深さをもってプーランク（プーランクの音楽を使ったのはローラン・プティで、ダレルはアールに委嘱した音楽を用いた《シェリ》を1980年にスコティッシュ・バレエ、キングシアターで初演しています。なお物語の主人公の名前はフレッド・ペルーFred Peloux、おそらく主人公の“ペルーの折衷的な世界”の意と思われます。）の折衷的な世界を描くようにアールを奨励し、生み出された音楽表現は多様性に富み、コレットの中編小説の時代と雰囲気を見事に内包したものとなっていた。さらに幸運なことに、ダレルはロッシーニやオッフェンバックと言ったオペラのオリジナル譜を入手し、そこから《シンデレラ》や《ホフマン物語》を制作している。

ではこの二つの作品に共通項はあるのだろうか。いずれも比較的短い音楽によって構成されており、そこに描かれる感情が多岐にわたることはない。そして二人の作曲家の作風にはエネルギッシュなリズム進行とエッチングのように鋭く細部に至るメロディー構成が見られ、それらはダンスの起動力となるだけでなく、聴衆へ直接的に訴える力があり、公演後も長く印象に残るものである。しかしながら、自らの《シンデレラ》と《ホフマン物語》の制作にあたって、ダレルはオペラの音楽そのものでは彼の要求は満たされないことを認識し、優秀かつ気の合う音楽面での協力者の存在が必要となった。音楽をオペラのためのものからバレエのためのものにするには、歌の部分をオーケストラによる演奏に直す以上に何かしらの修正が求められるのが常なのである。

振付家にとって音楽は、ダンス、および物語を語るための特定のセクションに分けることが可能な状態でなくてはならない。ダレルの《美女と野獣》の音楽を作曲したティア・マスグレーヴは次のように語っている；
「オペラならば言葉やレスタティーボに頼ることもできますが、バレエではそうはいきません。ダンサーは踊らなくてはなりませんし、それを支えるリズムは歌手のリズムとは全く違ったものになります。ダンサーなら踊りを通してさほど時間をかけずに表現できることが、歌手ならばもっと時間をかけなくてはならないこともあれば、歌手が二言で表現できることをダンサーがより長い時間をかけて表現しなくてはならないこともあります。」
これらを踏まえたうえで、それぞれのセクションの構成と長さ、および関係性が明確に決定されるわけだが、これらが決定して初めて作曲家、あるいは編曲者は自分の仕事を始めることができるのである。編曲者であれば、選ばれた作品の音楽を自由裁量で選び、組み替えて、振付家が自由にその視覚コンセプトをぶら下げることのできるような骨組みを作り上げていかなくてはならない。ガイ・ウールフェンデンは、アンドレ・プロコフスキーの《アンナ・カレーニナ》の音楽のために、何日も、いや、おそらく、何週間もかけてチャイコフスキーの全作品を、有名な交響曲から忘れられてしまったような声楽やピアノのための小品に至るまで、くまなくあたっている。音楽は作品と共に順調にそのまま進むかのように始まることもあれば、次の瞬間、急にわき道にそれてしまうことだってある。あるいは長さが問題となることも多々あり、必要に合わせて削除して短くすることもあれば、短すぎる部分を補うために原曲と同じようなスタイルのパッセージを作曲して足すこともある。何の関連性のないような楽想をつなぎ合わせて、聴衆の“無垢な”耳にとってはまるでチャイコフスキー自身が作曲したかのように聞こえる旋律で自然な流れを持った音楽となるようにしなくてはならないのだ。

逆の例もある。バーリントン・フェラングは、ロバート・コーエンの２幕からなる《真夏の夜の夢》の制作にあたって、オリジナルのメンデルスゾーンの付随音楽の内容と関連性のある作品を作曲をしたが、出来上がったものは彼のスタイル以外の何物でもなかった。しかしながら彼はメンデルスゾーンの旋律を断片的に織り込んでおり、物語が進行する中で現れる様々な世界を際立たせている。

ホフマンのスコアをめぐってダレルとジョン・ランチベリーの間で交わされたであろう会話は、その前にランチベリーがサー・フレデリック・アシュトンと共に《ラ・フィユ・マル・ガルデ（リーズの結婚）》を制作した時に交わされたであろう会話の内容と似たものであったと、容易に推測される。「２度目に出てくるメロディーの繰り返しは省略して、その代わりにエキサイティングなコーダをつけよう。」とか「ここで愛の主題をもう一度、数小節ほど登場させるわけにはいかないか。」（ここではオリジナル作品と見まがうような音楽の作曲が必要。）

《シンデレラ》と《ホフマン物語》は、まさに物語的バレエ作品であることが特徴である。《シンデレラ》の物語は勧善懲悪であり、魔法も出てくるようなロマンティックな筋立てとなっている。《ホフマン物語》では、主人公がオリンピアから懐疑的なまでのユーモアと屈辱で繰り返し拒絶されるところに始まり、涙を誘うアントニアの悲劇、そして快楽に身をゆだねるジュリエッタへと物語は進行していく。全く違う場面の登場はまさにオッフェンバックのオリジナル譜どおりである。 ジャック・オッフェンバックは、1819年にケルン近郊で生まれ、パリのオペラ＝コミック座のチェリストとして音楽家のキャリアを歩み始める。オッフェンバックにとって《ホフマン物語》は初めて取り組んだ本格的なオペラであり、1880年の彼の死によって完成をみることはなかった。しかし未完ながらもこれが彼の作品を代表する傑作であることは疑いの余地がない。その結果、この作品は多くの学者、音楽家、そして演出家の興味を引くところとなったのである。今日に至るまで多くの改訂がなされ、多くの楽譜が日の目を見ることとなったが、おそらくその多くは頭の良いオッフェンバック自身が破棄したものと思われる。実際のところ、この春のイングリッシュ・ナショナル・オペラの《ホフマン物語》の公演は4時間にも及び、オッフェンバックが《ホフマン物語》のために書いた全てを並べた一覧表のようだと評されている。ダレルは自分の術を生かし、どのような版を作るか自らの決断を下したが、ジョン・ランチベリーは自由な選曲を行いながら、ダレルの考え方を支持している。

ダレル版《ホフマン物語》では、当然ながらアントニアはオペラの花形歌手ではなく、バレリーナになる夢を持っている。そのため、聴衆の想像の世界において彼女がバレリーナである姿が見えてこなければならず、彼女のロシアン・バレエ風、かつ悲劇的なソロが必要であった。ランチベリーはここでロシア的な性格を持ち、オリジナルがオッフェンバックの作品であることがうそのような音楽を付けている。チャイコフスキーの知られていない作品に違いないと思われるような音楽だが、実際にはオッフェンバックが植えた種が元となっているのである。演劇的にもこれ以上にふさわしいものはなく、音楽の純粋主義者でもなければ分からないであろう。これ以外にもランチベリーによっていくつもの種がそこここに蒔かれている。例えばホフマンがピアノを弾く場面は、ややもするとラフマニノフへと舵を切るかのような危険性すら感じさせるし、その先の悲劇を予感させるかのように、ワーグナーの《神々の黄昏》の最後のモティーフさえも用いて、この世の終わりを描いたシナリオを暗示している。

聴衆を満足させるような物語性の高いバレエを制作するためには、振付家と作曲家、あるいは編曲者が密接に協力することが不可欠である。このことはオペラにも当てはまる。例えばヴェルディとボイト、シュトラウスとホフマンスタール、プッチーニと彼の台本作家たち、といった具合に作曲家と台本作家もまた話し合いを綿密に繰り返しながら作品を作り上げていったのだ。チャイコフスキーは、プティパから彼のバレエについて詳細にわたって指示を得たうえで作曲を行っていた。ディアギレフは多様な才能や精神を一つにする天才であった。例えば、フォーキン、ニジンスキー、マシーンらをストラヴィンスキー、ドビュッシー、ラヴェル、デ・ファリャ、そしてプロコフィエフと結びつけた。これらのコラボレーションの強みは、“プーニ（チェーザレ・プーニ、1802～1870、イタリアの作曲家）とミンクス（レオン・ミンクス、1827～1917、ロシアで活躍した作曲家）による単純なブンチャ―ブンチャのメロディー”とは一線を画した21世紀を代表する音楽作品とバレエを結びつけたことだった。ピーター・ダレルもまた、音楽や共同制作者を選ぶときに、彼の音楽性と創作性と同じきらめきを発揮したのである。

―スコティッシュ・バレエ『ホフマン物語』プログラムより
Background Photography by Bill Cooper

50年以上にわたり、男性たちがその芸術形態を支配し続ける可能性は高かった。しかし1726年にマリー・カマルゴ（1710～1770）がオペラ座のステージでデビューを飾り、それに続いてマリー・サレ（1707～1756）がその翌年に登場して、変化は決定的なものとなった。スカートは数インチ短くなり、衣裳のデザインも軽やかとなった。そして何よりも女性もまた男性同様のテクニックの修得が求められるにいたったのである。1734年、ドルリーレーン劇場において自らの演出で踊った《ピグマリオン》で女性が身につけていた煩わしいパニエを捨てたのがサレ、その人なのである。

ノヴェール、リュリ、アンジョリーニ、ガーデル、そしてドーヴェルバルと言ったバレエ・マスターたちは卓越した存在として18世紀後半にその名を知られるようになった。そしてお気づきの方もいるだろうが、多くの場合、彼らは自分のお気に入りのバレリーナをそのミューズとした。《プシュケ》《ニーナ》そして《ラ・フィユ・マル・ガルデ》といったタイトルのバレエが登場し、19世紀はロマンティック・バレエの時代となり、この時代のバレエは現在もレパートリーに存在している。
《ジゼル》《ラ・シルフィード》《シルヴィア》《オンディーヌ》《コッペリア》《ラ・ペリ》《ラ・エスメラルダ》と言ったバレエは皆ヒロインの名前がタイトルになっており、女性ダンサーによるコール・ド・バレエがその特徴であった。一方でバレエの中の男性の役割はどんどん小さくなっていき、優美で空気のような存在であることが求められていった。新たな脚本の登場と共に軽やかなフットワークは超自然的な要素と結びついていった。つま先だけで立つポワントがいつ始まったのか、よくわかっていないが、1820年代には必要なテクニックとなっていた。こうしてヒロイン偏向が著しくなり、男性は運搬を担うパートナー役へと追いやられたのだ。

19世紀になると、オペラの人気が高まり、バレエ人気に陰りがみられるようになる。その中で例外だったのがロシアとデンマークだ。デンマークではオーギュスト・ブルノンヴィル（1805～1879）がロマンティック・バレエの伝統を引き継いだが、男性ダンサーが女性とより対等な役割を果たすようになった。ロシアではバレエは豪華で壮麗なものとなり、この時代のプティパやイワーノフのような偉大なバレエ・マスターのもとで、我々にも親しみのある全幕バレエが台頭した。チャイコフスキーによる三大バレエ《白鳥の湖》《眠れる森の美女》《くるみ割り人形》は《ライモンダ》《ラ・バヤデール》《シンデレラ》と共に女性ダンサーにとって核となる伝統的な役柄となった。《くるみ割り人形》では王子が中心のように想像される向きもあるだろうが、実際には金平糖の精や雪の女王、そしてクララ自身がバレエの展開における中心となっている。確かに他のヨーロッパ諸国に比べてロシアでは男性ダンサーが重用され、ダンサーは男性の職業と考えられていたが、同時にコール・ド・バレエを踊る大勢の女性のダンサーも必要であり、女性が優勢を占める傾向は変わらなかった。

ディアギレフ時代には古典バレエの様式にも変化がもたらされ、3幕のバレエは1幕の新作バレエにとって代わられた。しかし女性がほとんどの場合において優先されることには変わりはなかった。《ラ・エスメラルダ》《ラ・フィユ・マル・ガルデ》《オンディーヌ》《シンデレラ》と言った初期の古典作品に新しい振付けを施し、ときには新しい音楽も付けた新制作のバレエ作品だけでなく、《マノン》《メリー・ウィドウ》《ロザリンダ(こうもり)》《カルメン》といったオペラのバレエ・バージョンも新しく制作された。

その中でも例外だったのが《ロメオとジュリエット》である。この作品では男性と女性のダンサーが完全に対等に扱われている。このバレエもまたチャイコフスキーのバレエ同様、プロコフィエフの音楽の質の高さとシェークスピアの物語という万国共通のアピールがあいまって様々なバージョンが作られてきた。まさに世界的なレパートリーの礎石とも言える作品となったのである。
男性の主人公と言う意味で《マイヤリング（うたかたの恋）》もまた忘れてはならない作品だ。これは地名がタイトルになっているが、内容はオーストリアのルドルフ皇太子の物語である。ピーター・ダレルは、最初1963年にウィニペグで１幕からなる同作品のバレエを制作し、その後1966年にウィーンで再び振付けをしている。だが、現在最も知られているのは、ケネス・マクミランが1978年に制作した全幕作品である。
では、どれだけのバレエがヒーロー、それも卓越したダンサーの名を冠しているだろうか。19世紀の作品で皆さんが思い浮かべるのは、現代においても上演される《海賊》くらいであろう。20世紀に入ってからは《ドン・ファン》《ハムレット》《オテロ》の様々なバージョンが作られ、レパートリーとなってきた。バランシンは《アポロ》《オルフェウス》《放蕩息子（Prodigal son)》、ベジャールは《ニジンスキー》《神の道化（Clown of God）》《我々のファウスト（Notre Faust)》を制作し、この他にもガーブルのプロデュースした《ドラキュラ》を始めとして多くの作品が生み出された。しかしながらこれらの中で全幕のバレエはほとんどなく、19世紀の様式をも踏襲していない。

このような中で、ピーター・ダレルの《ホフマン物語》は、ジョン・クランコの《オネーギン》とならんで全幕のグランド・バレエであるだけでなく、題名にもなっている主人公、つまりこの作品の中心人物が男性であることがとてもユニークなのである。

ホフマンは、バレエの男性キャラクターの中でも、おそらく最も複雑で難しい役柄と言えよう。ダンサー兼演技者はプロローグでは老人を演じることから始めなくてはならない。そしてそのあと続けて20代、30代、そして40代（ホフマンの年代については原文通り）と、異なる世代を3幕をとおして演じるのである。若さゆえの衝動は激しいまでの熱情となり、遂には破壊的な欲望に至る。そして最後には失望の果ての絶望へと続く。ホフマンの異なる年齢とその時々の様々な感情は彼自身が語る物語の中に映し出されていく。そしていずれの物語においても彼の敵役（もう一人の男性ダンサーのキャラクターとなる完璧なまでに武装した悪魔）の影が付いて回るのである。
この《ホフマン物語》は１つの人生にまつわる異なるエピソードから成り立っていることから、ダレルは思いのままに３つの異なる振り付けのスタイルを取り入れることができた。未熟なキャラクター設定の気取った第１幕からグランド・ロシアン・クラシック様式の第２幕が続き、さらに感覚に訴えるネオ・クラシック様式の第３幕となっている。

《ホフマン物語》の初演から２５年以上が過ぎており、その間にバレエも変化を遂げてきた。振付家はもはや慣習的な３幕様式の罠に落ちることがなくなった。その一方でいまだに多くの聴衆が全幕の夕べを渇望している。しかし、マッツ・エックの《ジゼル》や《白鳥の湖》やペーター・シャウフスによる近年の《チャイコフスキー三部作》、マシュー・ボーンの《くるみ割り人形》《白鳥の湖》、マーク・モリスの《ハード・ナット》といった古典に対する現代的な解釈は、決まった構成に縛られることもなければ、一列に並んだ女性が片足でエレガントかつ軽やかに舞う姿といったものに対する期待を持たせることもない。バレエを女性のための芸術形態ととらえる傾向は薄れ、近年では大人気のショウにさえなったのである。実際のところ、ウエストエンドで大変なヒットとなったマシュー・ボーンの《白鳥の湖》では、白鳥は皆男性のダンサーであり、物語の感情表現における焦点は同性への思慕となっていて、古典バレエの世界では事実上いまだに認知されていない分野であった。興味深いことに、デビッド・ラドキンの舞台作品をもとに現代的なテーマを扱った全幕バレエ《Sun into Darkness》はダレルの作品であるが、これこそが始めてバレエの舞台で同性愛をあからさまに取り上げた作品だったのである。この作品の主人公もまた男性の“ストレンジャー（よそ者）”である。またダレルが１９７７年に制作した《白鳥の湖》では、主人公はオデットあるいはオディールではなく、ジークフリード王子となっている。これもまた同性愛を暗示するものであった。
刺激的な物語、そして男性が主役となりうる事実。《ホフマン物語》の再演を通して、我々はバレエにおける平等主義の道を切り開いたダレルがいかに大きな存在であったのか、を改めて認識せずにはいられない。

―スコティッシュ・バレエ『ホフマン物語』プログラムより
Background Photography by Bill Cooper

昔あるところに若い芸術家がいました。彼が最も愛する対象と彼との間にここぞというときに何かが立ちはだかるのを彼は感じずにはいられませんでした。・・・・これはある意味《ホフマン物語》の本質的な要素です。そして曲がりなりにも、かつてのウエスタン・シアター・バレエがスコットランドにその根を下ろさんとしていた時のピーター・ダレル自身の若き日々の体験を映し出しています。

1969年、スコティッシュ・シアター・バレエ団は、国立のバレエ団として新たな役割を担い、創設された。バレエ団の最初のシーズンのレパートリーを一つ一つ丁寧にたどってみれば、すぐさま、バレエ団がとても興味深いレパートリーを次々加えているのにもかかわらず、振付家としてのピーター・ダレルの名前を多く見つけることができない事実に気が付かれるだろう。彼の時間とエネルギーのほとんどは、バレエ団のスタンダードの確立と定着、更にはその未来に向けられていたのだ。

良きにつけ、悪しきにつけ、私はエキサイティングなひとときに安住する気などさらさらない。ダレルは、自分のカンパニーのダンサーと共に創造的な仕事をする瞬間を何よりも愛していた、と言っても過言ではないだろう。そしてスコットランドに移ったことで彼がスタジオで過ごすことのできる、かけがえのない時間はわずかになってしまった。にもかかわらず、彼のスコティッシュ・バレエへの傾倒が揺るがなかったのは、ロンドンの外でもバレエの大輪を咲かせたい、とする強い想いがあったからだ。彼はそのためには自ら振付ける計画や夢までをも二の次にして理想を追い求めたのだ。そしてこのような背景を考えれば、1972年4月に初演を迎えた《ホフマン物語》が、3つの素晴らしいバレエを１つの舞台に詰めこんだ感があるのも驚くに値しない。

振り返ってみると、この《ホフマン物語》がバレエ団、そしてダレル自身の成長において大きな意味があったことがよく分かる。これは彼がバレエ団のために初めて制作した、まったく新しい全幕バレエであり、大変な反響を呼んだ作品であった。スコティッシュ・バレエ団のために制作され、その魅力を披露する絶好の作品となった《ホフマン物語》は、多くの人々の心を動かし、印象に残り続けたが、およそ10年にわたって再演されることはなかった。この作品の登場は、これまでの異なる小品を組み合わせる公演から、慣習にとらわれない現代的で急進的な近年の様式へと流れが変わったことをも意味していた。

スコットランドに移り、そこに腰を据えるべく活動をする間で、ナショナル・バレエ団としてのアイデンティティーを確立し、他とは異なる個性を持つためには何が必要なのか、ダレルはじっくりと見極めようとしていたとも考えられる。そしてその道しるべは古典作品に向けられている。こうして書きながら私にはダレルが楽しそうに話す声が聞こえてくるような気がする。 「そうさ、でもね、古い帽子をかぶせた退屈な古典のバージョンを提供しなくてはいけないって、誰が言ったかな。」 時代を超えて愛されてきた古典作品の再演、《くるみ割り人形》《白鳥の湖》《ジゼル》もダレルが手をつけるや否やそこには新たな息吹が吹きこまれた。物語の構成の細かな陰影にまで目を配り、鋭い洞察力に基づいた人物設定を行って、聴衆が心の底から共鳴できるような人間ドラマを描き出してみせた。

《ホフマン物語》は本当にさまざまなことを予感させる物語だ。そしてバレエの世界の外にそのインスピレーションを求めるのは、ダレルらしさの一つである。確かにモーリス・ベジャールは1961年にオペラ版（ブリュッセルのモネ劇場）の振り付けを行っており、さらに10年ほどさかのぼれば、パウエルとプレスバーガー（マイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガー、映画の共同制作、監督・脚本で有名）がマシーンを振付家に迎えて映画を撮っている。しかし物語の原点に戻り、それをバレエのために書き直したのはダレルが初めてであった。

ここでダレルの興味を引いた要素の中のいくつかをあげてみよう。まずはホフマンとリンドルフ議員の間の心理的な駆け引きだ。特殊な才能をもった悪魔、リンドルフ議員がホフマンにしつこく忍び寄ってくるが、そこには悪意と相手をコントロール下に置きたいとする動機以外、特別な理由はない。

そしてホフマン自身の性格。ダレルの傑作の中には、ホフマンの影や痕跡を見出すことができるものが多々ある。彼は深く傷ついた心を持ちながらも世をすねたりすることがなく、常識を超えた無軌道なまでのロマンティストであり、今度こそうまくと信じている。でも、果たして実際はどうなのだろうか。一方でダレルは現実主義者の一面を持っていることから、心理学的に、あるいはドラマ的に鋭く、ほろ苦いひねりをそこに加えている。つまり、ホフマンは確かに被害者ではあるが、同時に自分の不幸と常に戯れているようなところがあり、チャンスがやってきてもそれを捕まえようとはしないのだ。彼は実際にどこにでもいるような人物であり、そのわかりやすい人間性は、ダレルの芸術上の規範を知る上での目安となるものである。

風刺的な要素、ユーモアのフィルターを通して語られる社会に対する皮肉なコメント、そして流行の最先端にいる人々にホフマンが囲まれるパーティの場面における鋭く、辛辣な観察眼もまた特徴的だ。ダレルは、おしゃれをして、もったいぶった中上流階級の人々が、長く伸びた首で頭をうなずいている様子を振り付けているが、それはクジャクの羽をまとった禿鷹のようでもある。選り抜いたわずかなしぐさや様子を通して、彼は喋々階級、つまりギャラリーの落成などにやってきてはちょっとばかりのゴシップと暖かなワインを楽しむ人々を描き、からかって見せている。
同じような虚栄心に満ちた、愚かな人々の姿は他の作品においても描かれている。《シェリ》に出てくる噂話を言い触らし、スキャンダルを嗅ぎ付ける人々や《シンデレラ》の中で皆の邪魔をして苛立たせる小男などがそうだ。特に彼はまとわりついてくるうるさい輩の類でもある。

《ホフマンの物語》には3人の異なる女性の主人公が出てくるが、これは彼のバレエ団の非常に優秀な女性ダンサーたちへの抱擁とも思える。1973年にアメリカン・バレエ・シアターがこの演目をレパートリーに取り入れたときには、この3人の女性を一人の女性ダンサーが踊っている。歴史は繰り返すと言われ、ホフマンが求めても、求めても永遠に得ることのできない理想の女性を描く観点から一人の女性が全てを演じることも考えられないわけではないが、1人で踊るには負担を大きすぎる、と私は考える。それぞれの幕において女性のダンサーは非常に高いレベルのテクニックと様式理解を求められる。でもここで問題となるのはそのために大変なスタミナを要することではなく、むしろそれぞれ3人の性格付けである。

オリンピアに始まり、ロマンティックなアントニア、そして妖艶な高級娼婦ジュリエッタ。3人は肉体的にもそれぞれ違ったタイプであり、少なくともカメレオンのように全く違った性格を演じる必要がある。ダレルのバレエにおいて、重要なのは決してステップだけではない。むしろそのステップの向こうにある真の感情こそが求められるのである。気持ちが定まらず、揺れる人物の思いさえもダレルは振付の中に組み込み、たとえ甘い物語であったとしても真実の棘を指すことを忘れない。女性の主人公を分け合う実際的な必要性といった事情があったとしても、このことを通してダレルは道化とスペクタクルの両方を暗い心理の網目を広げて見事に表現している。

この作品がエジンバラで初演されてからすでに25年以上が過ぎている。この作品が今の時代においてより深く、暗く、心に訴えるものがあるとすれば、ストーキングであろう。リンドルフがホフマンにしているのは、まさにストーキングであり、現代では立派な犯罪である。また、毎週行われるロトくじは、何百万もの人々をだまし、つかまえどころのない夢を信じて、追いかけさせる･･･。インターネット上のバーチャル・リアリティーの中で“生きている人形”に心を奪われてしまった人の数は一体どれだけにのぼるのだろうか。さらに、どこかのバーで聞き手を得た人物が、自分と自分の最も愛する対象との間に悪辣なライバル、あるいはおぞましい出来事がいかに立ちはだかったのか、と語ることだって、どこでも起きうる事態である。これはまさに人生であり、ダレルが古典バレエのボキャブラリーを用いて振付、制作し続けてきたことだ。《ホフマン物語》は、とてもおいしい喜劇、悲劇、幻想、そしてエンターテインメントの実例なのである。

―スコティッシュ・バレエ『ホフマン物語』プログラムより
Background Photography by Bill Cooper

振付：ピーター・ダレル
（1929 ～ 1987）

Choreography: Peter Darrell

英国リッチモンド生まれ。サドラーズウェルズ・バレエ学校に学び、1946 ～ 47年サドラーズウェルズ・シアター・バレエで踊る。同団を離れ、ミュージカル、ロンドン・フェス ティバル・バレエなどに出演。51年に初の振付作品『ミッドサマー・ウォッチ』をバレ エ・ワークショップで発表。57年エリザベス・ウェストと共にウェスタン・シアター・バレ エを設立。62年のウェストの死後は単身で監督を務め、69年本拠地をグラスゴーに移し、スコティッシュ・シアター・バレエと改名。（現在のスコティッシュ・バレエ）。設立当初からダレルの作風により同団独特のイメージが形成される。『囚人』（1957年）では、ダンスによって社会問題を真正面から取り上げた。また、ビートルズの音楽を使用し た『モッズ・アンド・ロッカーズ』など多彩な作品を創作。本拠地がグラスゴーに移ったあとには、作品の幅を拡げ『ジゼル』（1971年）、『ホフマン物語』（1972年）、『白鳥の湖』（1977年）、『シンデレラ』（1979年）といった作品を生み出した。また、様々な 小品も振り付けており、オーストラリア、チェコスロバキア、日本、香港、アメリカでも上演されている。84年に CBE（大英帝国勲章）受勲。

装置：川口直次

Scenery: Kawaguchi Naoji

1962年日本放送協会に入局。大河ドラマなどテレビドラマの美術で活躍するかたわら、 オペラ・バレエ・演劇などの舞台美術を数多く手がける。77年伊藤熹朔賞受賞。83年文化庁派遣芸術家在外研修員として渡伊。日本放送協会を退職後、武蔵野美術大学で、舞台美術、映像美術の教育に携わる。新国立劇場では、バレエ『パキータ』こども のためのバレエ劇場『シンデレラ』、2014年の新制作『眠れる森の美女』、オペラ『セビリアの理髪師』『トスカ』『こうもり』の美術を手がけた。バレエの代表作としては、『新白鳥の湖』『ロミオとジュリエット』（松山バレエ団）、『ドン・キホーテ』（牧 阿佐美バレヱ団）など。近年手がけたオペラ作品としては『ラ・ボエーム』『フィガロの結婚』『セビリアの理髪師』（名古屋二期会）、新作オペラ『いのち』（長崎県オペラ協会公演）などがある。オペラ、バレエのほかに演劇や映画の美術を多数手がけており、代表的な映画作品に伊丹十三監督作品『静かな生活』『スーパーの女』『マルタイの女』がある。武蔵野美術大学名誉教授。

衣裳：前田文子

Costumes: Maeda Ayako

1988年より緒方規矩子に師事。95年度文化庁派遣芸術家在外研修員としてイ ギリス留学。新国立劇場では演劇公演で『喪服の似合うエレクトラ』『夢の痂』『ヘン リー六世』『雨』『リチャード三世』『アジア温泉』『ブレス・オブ・ライフ』『星の数ホド』など多数、オペラ公演『蝶々夫人』『鹿鳴館』ほか、バレエ公演『カルメン』、ダンス公演の衣裳も手がける。95年度伊藤熹朔賞新人賞、第10回読売演劇大賞優秀スタッフ賞、2003年度伊藤熹朔賞、橘秋子クリエイティブスタッフ賞を受賞。

照明：沢田祐二

Lighting: Sawada Yuji

東京生まれ。文化庁派遣在外研修員としてロンドン、ベルリンで演劇、オペラ、バレエ の照明法を学ぶ。現在は演劇、オペラ、バレエ、ミュージカルなど幅広いジャンルで照明デザイナーとして活躍。新国立劇場におけるバレエ公演では『シンデレラ』『ロメオと ジュリエット』『ライモンダ』『白鳥の湖』『ジゼル』『マノン』『カルメン』『オルフェオとエウ リディーチェ』『椿姫』『火の鳥』『パゴダの王子』『眠れる森の美女』など。日本バレエ 協会公演『白鳥の湖』『ジゼル』『眠れる森の美女』『アンナ・カレーニナ』なども手が ける。ほかに新国立劇場ではオペラ『カルメン』『魔弾の射手』『黒船』『修善寺物語』『鹿鳴館』『夜叉が池』、演劇『城』『わが町』『アジア温泉』『ピグマリオン』など。第 1、10回照明家協会賞大賞、文部大臣奨励賞、第1回読売演劇大賞最優秀スタッ フ賞、第33回紀伊国屋演劇賞、第1回橘秋子舞台クリエイティブ賞を受賞。

指揮：ポール・マーフィー

Conductor: Paul Murphy

バーミンガム・ロイヤルバレエとそのオーケストラ、ロイヤルバレエ・シンフォニアの首席指 揮者。劇場での公演に加え、コンサートや収録でも共に仕事をしている。1994年以来、 ロンドンの英国ロイヤルバレエで定期的にゲスト指揮者を務めており、ロイヤルオペラ・ ハウス管弦楽団と定期的に仕事をしている。その他、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽 団、ハレ管弦楽団、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団、BBCナショナ ル・ウェールズ管弦楽団、ニュー・クイーンズ・ホール管弦楽団、BBCコンサート・オー ケストラ、オペラ・ノース管弦楽団、バーミンガム市交響楽団等、英国の優れたオーケストラを多数指揮している。海外では、ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団、ワシントン・ナショナル・オペラ管弦楽団、ソフィア・オペラ管弦楽団、シチリアのテアトロ・マッシモ管弦楽団等と仕事をしている。また、ニューヨーク・シティ・バレエ、ライン・バレエ、ロイヤル・フランダース・バレエ、オランダ国立バレエ、最近ではオーストラリア・バレエのゲスト 指揮者を務めている。CD のリリースではハレ管弦楽団（サン・サーンスのピアノと管弦 楽曲全曲）、ロイヤルバレエ・シンフォニア、ニュー・クイーンズ・ホール管弦楽団、ロイヤ ル・フィルハーモニー管弦楽団との共演がある。英国王立音楽院でコリン・メターズ、ジョ ン・カールー、ジョージ・ハーストに指揮を学び、サー・コリン・デイヴィス、オリヴァー・ナッ センのマスター・クラスに参加した。97年、英国王立音楽院のアソシエイトに選ばれた。新国立劇場では、『アラジン』『カルミナ・ブラーナ』『ガラントゥリーズ』『火の鳥』『シンフォニー・イン・Ｃ』『ペンギン・カフェ』『パゴダの王子』ほかを指揮している。