INTERVIEW & COLUMN
インタビュー & コラム

<コラム> ワーグナー演出家 
ゲッツ・フリードリヒの肖像
山崎 太郎

ジ・アトレ5月号より

「脱神話化」の潮流
ゲッツ・フリードリヒ、1975年
©Croes, Rob C. / Anefo

 ゲッツ・フリードリヒ(1930~2000)と言えば、昨年『パルジファル』制作のために来日したハリー・クプファーと並び、ワーグナーの主要作品をすべて――しかもその多くは複数回 ――演出したスペシャリストとして知られる。同じ東独出身で年代も近いこの二人は1980年代からそれぞれ東西ベルリンの歌劇場で総監督をつとめ、20年近くにわたりヨーロッパのオペラ界をリードしてきた。その彼らが――76年にバイロイト音楽祭百周年『指環』の新演出でセンセーションを呼んだパトリス・シェローともども――巻き起こした新たな潮流を一言でまとめるなら、ワーグナーの「脱神話化」と「演劇化」ということに行き着くだろう。

 彼らは作品の背景をなす神話や伝説の設定を取り外し、舞台を現実の世界に移し替えた。そこでは登場人物ももはや神々や英雄ではなく、生身の人間として描かれる。さらには演劇的な激しい身振りが響きを異化し、ワーグナーの音楽の一般的イメージとして流布している祝祭的な壮大さをも疑問に付す。そのなかで現代の私たちを取り巻く政治や社会の問題があらわになり、時に強烈なメッセージが打ち出されるのである。

ゲッツ・フリードリヒ、1975年
©Croes, Rob C. / Anefo
「不穏」なる異端児たち
フィンランド国立歌劇場公演より
©Karan Stuke
 フリードリヒのワーグナーとの取り組みは1972年、彼が『タンホイザー』の演出でバイロイト音楽祭に鮮烈なデビューを飾ったときに遡る。創作と初演の当時、この作品が持っていた「不穏な性格」を今に伝えたいと考えるフリードリヒは、「精神の愛と官能の愛の対立」という従来の解釈から離れ、社会の偽善を暴き出す革命的芸術家の精神の彷徨として『タンホイザー』を読み直した。当時バイロイトは演技も装置も極度に切り詰め、妙なる照明によって音楽の心理的効果を引き出そうとする抽象的様式が未だ主流だったから、舞台に政治的・社会的要素を持ち込み、登場人物の動きも激しいこの演劇的プロダクションの衝撃は大きかった。美しい官能の楽園ではなく、芸術家の悪夢が生み出す死と隣り合わせの光景として視覚化されたヴェーヌスベルク、聖女ではなく、愛を求めて悶え苦しむ生身の女性として描かれたエリーザベト、抑圧的で偽善に満ちた貴族社会のあからさまな描写などが聴衆を挑発し、プレミエ終演後、客席では怒号が飛び交った。

 その後、フリードリヒは彼が『タンホイザー』のうちに読み取った「不穏な性格」を、他の作品のなかにも再確認してゆくことになる。それはすなわち神聖にして崇高、完璧で侵すべからざるものという従来のイメージとは対極にある要素だ。ワーグナーのドラマ自体が内部に多くの亀裂や逆説を孕んでおり、予定調和的な綺麗ごとの世界には収まらない過激な側面を含んでいる。その音楽と台本は、お馴染みのものを味わう心地よさを聴衆から奪い、彼らの心に―― もう一つ、フリードリヒが好んで用いた形容を借りるならば――「不安を掻き立てる」のである。このようなフリードリヒのワーグナー観は、衝撃的な演出で聴衆を挑発する彼自身の作風にも重ねて見ることが可能だし、フリードリヒがこの作曲家に惹かれる究極の原因もそこにあると考えられよう。

フィンランド国立歌劇場公演より
©Karan Stuke
「不安」の表象トンネル・リング
フィンランド国立歌劇場公演より
©Karan Stuke
 その点でも、彼の代表作は1987年の来日公演でも大きな話題を呼んだ『ニーベルングの指環』の演出だろう(制作は84年、ベルリン)。はるか奥まで果てしなく続くような細長いシェルターを統一舞台にしたことで「トンネル・リング」とも呼ばれるこのプロダクション、そもそもこうした枠組そのものが「不安を掻き立てる」要素として象徴的だ。ドイツ語の「不安(Angst)」は、「狭い(eng)」という形容詞(最上級はengst)に由来するという。このことからフロイトは、胎児が膣道を通って母胎を離れ、外界に送り出される直前の狭窄感の記憶(トラウマ)を人間の不安の原点として規定した。フリードリヒ演出の『指環』では、いわばそれと同様の息苦しいまでの閉塞感のなかで、ドラマが展開する。このタイム・トンネルの中に棲息するのは、過去に外界であった核爆発などの災害をかろうじて生き延び、この避難所に逃れてきた人々だが、彼らは生存を求めて相争うことで、再び破局に向う歴史を繰り返すのである。

 このような設定を土台にしながら、フリードリヒは鋭利な刃物のような技法と解釈で観る者の心に揺さぶりをかける。なかでも白眉は「葬送行進曲」であろう。殺人の直後、舞台奥へと逃げ出すグンター。残された群集は舞台両脇に座ったまま、白い布を頭から被って惨状に目を塞ぎ、ジークフリートの遺体だけが舞台中央に放り出されたまま、剥き出しの状態で曝され続ける。このとき、単なる英雄讃歌とは違う哀切に満ちた調べを聴きながら、私たちは落ち着かぬ心で自らにこう問いかえすことになるのだ。暴力を見て見ぬふりをすることで世の不正に結果的に加担する弱き者たち、それは私たち自身の姿にほかならないのではないか、と。

フィンランド国立歌劇場公演より
©Karan Stuke

 このたび2015年10月から2年をかけて新国立歌劇場で上演される『指環』4部作は、1996年から99年にかけてフィンランド国立歌劇場(ヘルシンキ)で制作されたプロダクションである。「トンネル・リング」以降、最晩年のフリードリヒが、自らのワーグナー解釈をどう発展させ、何を付け加えたのか。もちろん演出家自身は今は亡き人であり、舞台の再現はひとえにスタッフと歌手にかかっている。一抹の不安はあるが、単に残された型を踏襲するのではなく、解釈の根本を踏まえた上での新たな工夫と創意を期待しよう。失敗を恐れぬ果敢な挑戦こそが、異端児でありつづけた故人の遺志を継ぐことにもなるのだから。

山崎 太郎(やまざき たろう)
1961年生まれ。東京工業大学外国語研究教育センター教授。専門はドイツ・オペラ研究。著書に『スタンダード・オペラ鑑賞ブック[4]ドイツ・オペラ(下)』(共著、音楽之友社)、『オペラ演出家ペーター・コンヴィチュニー』(責任編集・共著、アルファベータ)など。

BUY TICKETS

チケットのお申し込み
インターネット
ボックスオフィス
チケットぴあ
ローソンチケット
e-プラス
CNプレイガイド
東京文化会館
電話
ボックスオフィス

03-5352-9999(受付時間:10:00~18:00)
電話予約・店頭購入方法

チケットぴあ
0570-02-9999(Pコード:254-490)
ローソンチケット
0570-000-407(オペレータ受付)0570-084-003(Lコード:32112)
CNプレイガイド
0570-08-9990
東京文化会館
03-5685-0650
JTB・近畿日本ツーリスト・日本旅行・トップツアーほか
グループでのお申込み

10名以上でご観劇の場合は新国立劇場営業部(TEL 03-5352-5745)までお問い合わせください。