シェイクスピア大学校


『ヘンリー六世』上演記念 シェイクスピア大学校
開校記念特別講座
5月30日(土)17時〜 新国立劇場中劇場
特別講師:ジョン・ケアード
(ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー名誉アソシエート・ディレクター、『夏の夜の夢』演出)
特別ゲスト:『夏の夜の夢』出演者
村井国夫
麻実れい
チョウソンハ
司会:鵜山 仁(演劇芸術監督)
通訳:垣ヶ原美枝

シェイクスピアの英語は本当に美しい

ジョン●それから、村井さんの言ったさっきの長ゼリフに説明を加えます。『夏の夜の夢』は、ほとんど2行ずつ行の最後が同じような音、韻を踏むようになっています。ところが日本語にする時の辛さは、同じような韻を踏むように訳せないことです。日本語は母音が5つしかありません。英語は母音が300ぐらいあります。英語の場合、あの音とこの音を組み合わせてと考えることがたくさんできます。今、英語で読みますが、はっきりしたリズムが刻まれます。しかも行ごとに韻があります。ちょっと英語で読みます。
※ (先ほどの村井氏のオーベロンのセリフを英語で朗読)
I know a bank where the wild thyme blows,
Where oxlips and the nodding violet grows,
Quite over-canopied with lusoious woodbine,
With sweet musk-roses and with eglantine:
There sleeps Titania sometimes of the night,
Lull’d in these flowers with dances and delight;
And there the snake throws her enamell’d skin,
Weed wide enough to wrap a fairy in:
And with the juice of this I’ll streak her eyes,
And make her full of hateful fantasies.
[ACT 2,Scene 1]

今読んだのはこの10行にあたります。その中に5つの韻が含まれています。韻を踏んでいる言葉だけ拾ってみますと、つまり行の最後に来る言葉ですが、重要な意味を持つ言葉が置かれています。

 Blows/grows  woodbine/eglantine  night/delight
 Skin/fairy in  Eyes/fantasies

最後の10の単語が、このセリフで何を言おうとしているかの性格を決定的にはっきりさせています。どの行もどの韻も同じリズムで刻まれていて、1行ごとに5つのアクセントがあります。決められた韻律法によって書かれているのです。だからシェイクスピアを翻訳するのはどんなに難しいかということです。今回は松岡和子さんがすばらしい翻訳をしてくださったので、非常にラッキーでした。しかも、松岡さんが稽古場に来てくださり、その場に応じて書き換えてくださいました。このシェイクスピアのリズムを日本語に移すのが難しいのです。日本語のセリフを聞いていると、重要な言葉はどうしても行の頭や中ごろに来て、行の最後に来るのはあまり重要な意味をもたない音であることが多いのではないでしょうか。行の最後にいちばん重要な言葉をもってきて意味をもたせて言うということが、日本語ではできません。そうなると、翻訳者がすべきことは、セリフに書かれている一番深い意味は何であるのか、その意味を映し出すようにすることです。日本語だけじゃなくて、シェイクスピアを翻訳する人に私が必ず言うのは、できるだけ美しい言葉を書いてくださいということです。できるだけたくさんのイメージを盛り込むように、できるだけたくさんの言葉を伝えるように。シェイクスピアの英語は本当に美しいのです。
麻実さん、第二幕の最初の長セリフをお願いします。

麻実●「そんなのはみんな嫉妬がこしらえた出鱈目だわ。この夏の始めから 丘や谷、森や牧場、小石敷の澄んだ泉、い草の繁る小川、海辺の砂浜、どこで会おうが見境いなし、私たちが輪になって風の口笛で踊ろうとすると、そうやって喧嘩を吹っ掛けて、私たちの楽しみを台無しにしてしまう。だから、無駄笛を吹かされた風は、仕返しに海から毒の霧を吸い上げた。それが雨となって陸に降ると、小さな川まで増長し、大地を水びたしにしてしまった。そのせいで牛がくびきを引いても 農夫が汗して耕しても実りはなく、緑の麦も穂の出る前に立ち腐れ、水に呑まれた田畑には、羊小屋が空のまま取り残され、病死した家畜を餌に、カラスばかりが肥え太る。モリス遊びのために芝地に刻んだ溝も泥に埋まり 迷路型に刈り込んだ生垣も 通る人もなく荒れ放題で見分けがつかない。夏のさなかに時ならぬ冬、でも冬の楽しみの夜の賛美歌も聖歌も聴こえない。だから月は怒りのためにまっさおになり、洪水を起こし、大気を湿らせ リウマチ病を流行らせる。この天候異変のあげく、季節も狂ってしまった。白髪あたまの老いた霜は、咲きそめた真紅のバラに膝まくら。冬将軍の氷の禿頭をからかうように夏のつぼみがかぐわしい花かんむりを被らせる。春、夏、豊穣の秋、怒りの冬、それぞれが着なれた服を着替えてしまった。人間たちはすっかり戸惑い、その装いを見ただけでは、今がどの季節やら見当もつかない。こうした禍も元をたどれば私たちのいさかい、私たちの喧嘩が発端。私たちが生みの親なのよ。」(拍手)

ジョン●今のような長いセリフはちょっと難しいものです。まず、とても長い。細かく説明していきますが、まとめれば3行ぐらいです。(笑)
ところが、これだけシェイクスピア長く書いたのは、観客の中で美しいイメージをたどりながら、彼が書こうとしていることをしっかり考え込んでくれるように、考えてついて来てくれるようにと思ったからです。何故こんなに長く書いたというと、シェイクスピアは、自然には秩序があると信じていたからです。その秩序がどこかで壊れると、人間の生活は完全に壊れてしまう。考えてみれば、本当に現代的な考え方ですね。温暖化や核による破壊など、いろいろ考えさせられます。彼が非常に細かく書くのは、観客にきちんと聞いて考えろと呼びかけているんです。
シェイクスピア作品を映画で作るのは難しいことです。というのは、映画だとみなさんが想像することをカメラですべて撮って見せてしまうことができるからです。映画なら今のようなティターニアの長セリフは必要ないんです。ティターニアが恐ろしいと感じている顔をずっと映せばそれで済んでしまう。ですから、シェイクスピアを舞台で上演する時に、自然主義的な非常に細かい舞台装置を組んでしまうのは、非常に危険なことです。というのは、セリフで言っていることを作って舞台で見せてしまえば、観客が聞いている必要がなくなってしまうからです。現代の世界のシェイクスピア作品を見てみると、舞台の上に非常に美しい装置を作り出そうとすることが多いのです。十分にセリフに注意を払わないようなものを舞台に作ってしまっています。
今のセリフをもういっぺんお願いします。(笑)ティターニアがものすごく怒っているのはわかっています。非常に速くしてみましょう。その前のオーベロンのセリフから行きましょうか。

村井●(先ほどより速く)「恥を知れ、ティターニア。俺のヒポリタへの信頼を、よくもそんなふうに当てこすれるものだ。お前とシーシアスの仲を俺が知っているのを知りながら。お前ではないか、あの男を星明りの夜に誘い出し、欲しいままにされていたペルグーナとの仲を裂いたのは。美しいイーグリーズとの誓いはおろか、アリアドネやアンタイオパとの誓いも破らせた、それもお前だろう。」

麻実●(先ほどより速く)「そんなのはみんな嫉妬がこしらえた出鱈目だわ。この夏の始めから 丘や谷、森や牧場、小石敷の澄んだ泉、い草の繁る小川、海辺の砂浜、どこで会おうが見境いなし。私たちが輪になって風の口笛で踊ろうとすると、そうやって喧嘩を吹っ掛けて、私たちの楽しみを台無しにしてしまう。だから、無駄笛を吹かされた風は、仕返しに海から毒の霧を吸い上げた。それが雨となって陸に降ると、小さな川まで増長し、大地を水浸しにしてしまった。そのせいで牛がくびきを引いても農夫が汗して耕しても……」(拍手)

ジョン●こういうふうに聞こえてくるシェイクスピアって、どこかで見たことあるでしょう。ほんとうにすごくいい女優がやっているなという感じがしますよね。怒りは見えてくるし、すごいスピードで喋っている。感情だけをとってみれば、非常にいい演技を見せてもらった。ところが、問題は何を言っていようがかまわなかったんですね。私たちは聞いていて、彼女の言っている言葉のひとつひとつのディテールにまで注意を向けなくなっていたじゃありませんか。本当に怒っている人がそこにいたということだけはこちらも感じ取ることができました。
もうひとつ、シェイクスピアの落とし穴は、セリフを言うためにあまりにも美しい声を使おうとしすぎることです。イギリスではそういう俳優にたくさん出会います。こういう風に聞こえるでしょう。
「※英語で速く」
 Thease are the forgeries of jealousy:
And never, since the middle summer’s spring,
Met wee on hill, in dale, forest on mead,
By paved fountain or by rushy brook,

その言い回しをされると観客は2、3分で眠くなります。シェイクスピアのセリフを言っているのではなく、歌っていただけなのです。俳優が自分の声に恋をしてしまうとよく言います。夢中になって聞き惚れて。
麻実さん、もう1度、ゆっくり読んでみましょう。間をたっぷりつかって。ひとつひとつに感情を込めて。この台詞はこういうイメージ、私は十分考えていますという風に。

麻実●(先ほどよりゆっくり)「……モリス遊びのために芝地に刻んだ溝も泥に埋まり 迷路型に刈り込んだ生け垣も通る人がなく荒れ放題で見分けがつかない。夏のさなかに時ならぬ冬、(ジョン●もっと間をおいて)でも冬の楽しみの夜の賛美歌も聖歌も聴こえない。だから月は怒りのためにまっさおになり、洪水を起こし、大気を湿らせ リウマチ病を流行らせる。この天候異変のあげく、季節も狂ってしまった。白髪あたまの老いた霜は、咲きそめた真紅の薔薇に膝まくら。冬将軍の氷の禿頭をからかうように夏のつぼみがかぐわしい花かんむりを被らせる。春、夏、豊穣の秋、怒りの冬……」(拍手)

ジョン●すばらしいセリフの言い方でしたね。ひとつひとつのイメージがクリアに存在していました。ただし、今のようなセリフの言い方には2つ問題があります。
ひとつは、言っている登場人物が自分の中に充分な感情を入れることができなくなります。シェイクスピアの言葉を愛しきってしまうので、なんて美しいかを学者が説明しているようなセリフになってしまう。もうひとつは、今の言い方だと上演時間が6時間になることです。