シェイクスピア大学校


『ヘンリー六世』上演記念 シェイクスピア大学校
開校記念特別講座
5月30日(土)17時〜 新国立劇場中劇場
特別講師:ジョン・ケアード
(ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー名誉アソシエート・ディレクター、『夏の夜の夢』演出)
特別ゲスト:『夏の夜の夢』出演者
村井国夫
麻実れい
チョウソンハ
司会:鵜山 仁(演劇芸術監督)
通訳:垣ヶ原美枝

現実の私たちが頼っている論理を気にしない

ジョン●もうひとつ、ここで話したほうがいいと思うのは、シェイクスピアが使った言葉のことです。ご覧いただいた『夏の夜の夢』には、いろいろな絵を舞台上に作り出していきいきと作ったつもりです。ご覧になったセットや照明や音は、実際シェイクスピアが書いていた時代には考えられないことだったのです。あり得ませんでした。シェイクスピアが書いた言葉は、舞台装置を必要としない言葉です。彼の時代には、装置などなかったのです。まわりに何があってどんなところかは、全部セリフで観客に説明しています。
村井さん、第2幕の花を持って帰ってきたところのセリフ、ティターニアが眠っている場所を説明しているセリフをお願いします。

村井●「……向こうの堤には、野生の麝香草がおい繁り、……」、きょう1回言っちゃったからね。(笑)
「向こうの堤には、野生の麝香<じゃこう>草がおい繁り、桜草や頭を垂れた三色すみれが咲き、甘い香りのスイカズラや麝香バラや野バラがその上を天蓋のように覆っている。夜になるとティターニアは時々そこへ行き、踊り疲れ、花に包まれて眠りに誘われる。そこでは、蛇が艶やかな皮を脱ぎ捨て、妖精たちが身を包むにはうってつけの着物を置いてゆく。その時だ、この花のつゆをあのはねっかえりの目蓋に塗り付け、おぞましい夢まぼろしに取り憑かせてやろう」(拍手)

ジョン●今の長いセリフの中には、信じられないぐらいたくさんの私たちの心にいろいろなイメージを呼び起こす言葉が入っています。ところが、実際に彼が何を言っているかと言うと、「花を、ここに手に入れたぞ。ティターニアがどこで寝てるか、俺は知ってるぞ。だから、行って目にこの露を垂らしてやれ」それだけしか言っていません、実は。ただ、それだけを言うわけにはいかなかった。こんなにたくさんのイメージを刺繍するかのように散ちりばめなきゃならなかった。美しいティターニアが眠っているところがどんなにすばらしいところか、観客に想像してもらうためです。同時に、花がどんなものであるのか、野生の麝香草、桜草、三色すみれ、スイカズラ、麝香バラ、野バラ、6種類の花の名前が出てきます。なんでこんなにたくさん名前を言うかというと、観客はみんなあの花だ、この花だとわかるからです。もう一度考えてほしいのは、シェイクスピアが生きたのは、私たちのように大都会の暮らしではありません。だから、麝香バラと言えばみんながわかったのです。美しい夏の木陰を考えさせようとしているんですね。そこには、こんなにいろいろな花が芳しく咲いている。観客に、「あぁ、そういうところ知っている」と思わせたかったのでしょう。だけど、そこに妖精が寝ているというのは、見たことがないなあ。みんなが見たことがあって香りを嗅いだことのある場所を非常にいきいきと描き出すことによって、観客にわかることがある。そこにひとつ足りないのは、妖精の女王が眠っていること。そこで、彼はひとつ言葉を付け加えています。ティターニアは時々そこにいて眠りに誘われる。その前の部分でリアルな描写をしているので、これがリアルだと観客は感じるようになっている。ティターニアがそこに眠っていると言われると、それをリアルに感じることができる。ところがその後にもうひとつ足しています。そこでは蛇が艶やかな皮を脱ぎ捨てる。田舎に住んでいた人は、蛇の皮を見たことがあると思います。非常にきれいな透き通った羽のように軽い皮です。そして、妖精が身を包むにはうってつけの着物だと言っています。
そうすると、私たちはこんな質問をしたくなります。パックが言うセリフがあります、お願いします。

チョウ●「…寄るとさわると大喧嘩。お付きの妖精たちもすっかりおびえ、どんぐりの中にもぐりこんで隠れたっきりだ。」

ジョン●妖精は小さな木の実に入り込むことができるような存在なのです。だけど、妖精がそんなに小さいものなら、ティターニアとボトムは一体どうやって出会うのか? ティターニアはそれほど小さくないのかもしれない。ボトムが小さくなったのかもしれない。シェイクスピアには、こういう統一のとれていない書き方がいっぱいあります。そこがすばらしい。現実の私たちが頼っている論理を気にしないで書いていく。1つのシーンで妖精を小さくしたければ、小さいと書く。次のシーンでラブシーンをしたければ妖精は小さくないと書くのです。驚いたことに観客はそれに気がつかない。おそらく、この不一致に気づいた方はいらっしゃらないのではないでしょうか。つまりシェイクスピアの想像力は非常に強く働きかけるので、観客は彼といっしょに進んでいくことができるのです。
シェイクスピアの芝居の時間というものも我々の普段の時間と違うのです。この芝居を上演するのに必要な時間の長さ。例えば『夏の夜の夢』は、一晩で全部済んでしまいますよね。ところが『十二夜』を分析すると3日間の物語なのです。それが非常に論理的に進みます。芝居の最後でオーシーノがオリヴィアに向かって何を言うかといえば、セザーリオという若者が仕えるようになって3カ月だと言っています。観客はたぶんそうだろうと信じる。3カ月だと言われれば3カ月経ったような気がする。だけど分析してみると、実際は3日間の物語です。観客が何を見てきたかと言うと、3時間なんですね。だから、舞台の上では魔法が展開されているのです。3時間の中で3日間が進んでいくとします。すると最後に3カ月だとわかる。観客にそこまで信じさせてついて来させるのは、すごい想像力をもった人です。シェイクスピアが描き出している言葉のイメージ、強さ、力は、時間が進むのを止めてしまうことができるのです。