現代戯曲研究会

座談会 連続3回掲載その(1)
いま、同時代演劇とは?

小田島恒志 佐藤 康 新野守広 平川大作 鵜山 仁(進行)

何でもありのイギリス

平川●イギリスでは90年代の後半、新しい感性で過激な作品を発表する新人作家たちが大勢現れ、「イン・ユア・フェイス・シアター(In-yer-face Theatre )」という一大ブームとなりました。それをタイトルにした批評家アレックス・シアーズの著書に、典型例としてこんな筋が紹介されています。2人の男が小屋で話をしている。いまさっき、女をレイプしたよねという話をさもおもしろおかしく喋っている。男の1人が去っていくと椅子の後ろから人間が袋詰めになったようなものが、もそもそと出てきて、中にレイプされた女性が入っていることがわかる。いま、その空間にいるのは男と女だけとなり、そこでなぜか男と女の中身が入れ替わってしまう。そして、もう1回レイプしようとする。その時、ペニスを噛み切るという行為が入り、流血場面があり、最後にもう一度、男と女が入れ替わる。幕切れは股間から血を流して倒れている男を置いて女が去っていくという話です。先ほどショックという効果が出てきましたが、観客の首をつかんで揺さぶり倒すようなショックを与えることを一番大きな価値観として書かれた作品群が主に若い作家に現れてきた。常識的に見るのをはばかられるようなものを、観客の目の前、顔の前にぐいぐいと見せつけるから「イン・ユア・フェイス」なわけです。

小田島●鵜山さんがイギリスは“アングリー・ヤングメン”以降と言われたんですが、ドイツとフランスのお話を聞いて、はっきり違うなと思ったのは、イギリスは全部ありだなということです。ジョン・オズボーンの『怒りをこめてふりかえれ』が上演されたのは1956年5月ですが、その前の年にベケットの『ゴドーを待ちながら』がロンドンでも上演されています。ベルリナー・アンサンブルの『肝っ玉おっ母とその子供たち』がパリで上演されたのは54年、ロンドン公演は56年です。その後のイギリス演劇は、みんなこのどれかなんですね。ブレヒトか、ベケットか、“アングリー・ヤングメン”のどれか。ただ、どれと区切れないのが特徴で、組み合わせみたいなところがある。例えば、去年亡くなったノーベル賞作家のハロルド・ピンターも独自の世界がもちろんありますが、ごく簡単に言ってしまえば“アングリー・ヤングメン”的リアリズム演劇とベケット的不条理演劇をうまく組み合わせたなといえる。その後にキャリル・チャーチルという女性作家が出てきましたが、ブレヒトの手法を使ってフェミニズムを実に効果的に書いた。みんな、50年代の3つの出来事の何かを使い、意識しないではいられない。作家はどんどん出てくるし、いい作品もどんどん生まれる。一方でシェイクスピアをはじめとする古典も演出家が新たな解釈をして豊かな上演がされています。作家も育つし、演出家もあの手この手を使う。観客が多いのもイギリスの強みだと思います。そして、“イン・ユア・フェイス・シアター”が“アングリー・ヤングメン”以降の一番大きなムーブメントと言えるでしょう。<続>

[2009年3月12日発行『昔の女』公演プログラムに掲載]