現代戯曲研究会

座談会 連続3回掲載その(1)
いま、同時代演劇とは?

小田島恒志 佐藤 康 新野守広 平川大作 鵜山 仁(進行)

ブレヒトを現代に活かす

新野●ブレヒト以降のドイツ演劇ということですが、とても幅広いので、「シリーズ・同時代」に関連する側面に話を絞らせてください。第2次世界大戦を挟むブレヒトの活動した時代というと、演劇は娯楽であるとともに、現実を考える場でもあったと思います。1956年にブレヒトは亡くなりますが、彼の舞台は現実をとらえる営みだった。現実と舞台が密接な関係をもっていて、観客は現実を考えるために舞台を観に行く。そういう積極的な鑑賞態度がベルリナー・アンサンブルのブレヒトの芝居を支えていた。それが現在のドイツではどうなっているのか。デーア・ローアーの戯曲を見ると、変わった所と変わらない所が明らかになるように思います。

鵜山●3作目の『タトゥー』と、番外リーディングの『最後の炎』の作者ですね。

新野●ええ、ローアーは、ブレヒトの再来と評価されている劇作家です。彼女が書いているのは、社会劇ですね。例えば『タトゥー』では、外からは容易に見えない家族の中での性的虐待、近親相姦を扱っている。近代化が進んだ現代でも、父親の権力のもとに妻と娘たちが性的な奴隷になってしまう。これは文学でも美学でもなく、社会問題です。演劇は社会をどのように描くかというブレヒトのテーマに繋がっていますが、興味深いことに、ローアーはダイアローグやモノローグを駆使して、女性たちが置かれている状態をさまざまなレベルで描いていく。女性たちは、性的虐待を受けていることを意識できない状態にいて、自分たちの日常が社会問題であることは、本人にはわかっていないけれど、夢を見たり、モノローグしたりする時に、“自分が燃えている”というような詩的な文体を使って壊れた自己イメージを表現するんですね。モノローグや夢の文体を使いながら、女性たちの置かれている状態を意識化していく。このとき、登場人物ははじめて自分がどういう状態にあるかを自覚します。このような詩的リアリズムは、リアリズム演劇やドキュメンタリー演劇の描き方とは違った別の手法で社会問題が扱われる可能性を示している。今のドイツ語圏の戯曲の特徴の一つです。

鵜山●ブレヒトにしても、単にドキュメント的なリアリズムの手法で書いているわけじゃない。ローアーと比較してどういうことが言えるんでしょう?

新野●ローアーはブレヒトに似ていると言われるとき、よく指摘されるのは物語の表わし方です。ブレヒトに『処置』という、個人が共産主義的な集合的存在として再生する様を残酷に表現した芝居があります。個人から集団へ重点を変えていく1920年代後半のブレヒトの特徴が出ていますが、ローアーには先ほど、お話した詩的リアリズムとともに、語りが集団の声として出てくる特徴もあります。リーディングで紹介される『最後の炎』がまさにそれで、集団の声が舞台で何が起こっているかを語り、観客に説明します。ブレヒトは、舞台で起こっていることを歌詞で説明したり、ト書きを字幕で出したりした。舞台で起こっていることを客観的に提示しようとした。そういうやり方をローアーも引き継いでいます。もちろんブレヒトをそのままやっているわけではないのですけれど。

小田島●単純に “ブレヒト的”と言うと、叙事演劇的だったり、異化効果などを思いつきますが。

新野●『タトゥー』の例だと、近親相姦という家庭内の性的虐待の描き方が、叙事的な提示の仕方になっている。異化効果というのは、観客自身が、自分を取り巻く社会の実態にハタと気づく効果と言えるでしょう。ショック効果でもあるので、客席にはさまざまな衝撃が走る……。

佐藤●「叙事的」というのを読者のみなさんに説明しないと……。

新野●ひいきの俳優が登場すると、その俳優を通して感情が舞台へすうっと入っていく。舞台の俳優やダンサーの一挙一動に心が共振する。これをブレヒトはアリストテレスに倣って感情移入と呼びました。ブレヒトの考えでは、批判的な意味をこめて舞台の上で社会問題や悲惨な現実が扱われていても、虚構の世界に観客が感情的に入ってしまうと、醒めた眼で現実を冷静にとらえることがむずかしくなってしまう。失業者が街にあふれ、極右勢力のナチスが台頭してきたのが1920年代後半です。このような時代に感情移入の演劇だけではダメではないかというので、ブレヒトが主張し始めたのが叙事演劇です。叙事とは物語をいかに語るかということです。例えば『三文オペラ』ではたくさんの歌が入っています。俳優は自分がどうしてこういう境遇になったかを歌う。歌のなかで社会状況をさりげなく説明していくんですね。このような語りの仕組みを備えた演劇が叙事演劇と呼ばれました。叙事演劇がもっとも成功したのが『肝っ玉おっ母とその子供たち』で、兵隊相手に商いをする母親が息子や娘を失っていく様が描かれます。これは三十年戦争の時代を描いた舞台でしたが、ちょうど第2次世界大戦が終わったばかりのヨーロッパに戦争の悲惨さを強く訴えかけることができた。