くるみ割り人形

【NEW NATIONAL THEATER, TOKYO 新国立劇場バレエ団 】くるみ割り人形 THE NUTCRACKER

コラム
column

コラム 〜その3〜
お菓子のファンタジーに彩られた
『くるみ割り人形』

『くるみ割り人形』の原作はドイツ・ロマン派のE.T.A.ホフマンが1816年に書いた幻想童話として知られていますが、帝政ロシアで初演されたバレエ作品の台本に参考にされたのはフランス文豪のアレクサンドル・デュマ父子による翻訳版。デュマの童話には、氷砂糖の野原やパート・ド・フリュイ(砂糖漬けの果物)の都など、フランス菓子の精緻を知り尽くしたような華麗な記述が随所にあって、当時の製菓技術と食卓文化の成熟度を垣間みる思いがします。バレエ『くるみ割り人形』第2幕では、クララはおとぎの世界に赴きます。そこで待ち受けていたのは、お菓子の精たち。クリスマスともなれば、お菓子の本場、パリのお菓子屋さんも彩り豊かなお菓子でにぎわいます。そのイメージと重ねながら、踊りのお菓子の来歴や物語を知ると舞台の余韻も楽しいものになることでしょう。

まず最初に登場するのが、スペインの踊り。
スペインといえば、大航海時代、今のメキシコで出会ったカカオ豆をスペインの冒険家がスペインに持ち帰り、ヨーロッパで初めて、チョコレートを食した国と言われています。当時チョコレートは今のような固形になっておらず、砕いて飲み物として食されていました。フランスへは、ルイ13世に輿入れした、スペイン・ハプスブルク家のアンヌ・ドートリッシュがチョコレートを持参。それからチョコレートは元気になる作用があるとされ、薬として薬剤師が扱うようになったと言われています。実際チョコレートには、動脈硬化やガンに効くポリフェノールが含まれており、現在でもその効果は証明されているのです。
次にアラビア、中国の踊りと続きますが、こちらは、コーヒーとお茶の踊りです。コーヒーやお茶(紅茶)も当時は、とても貴重な飲み物で主に王侯貴族が独占していました。英国貴族の紅茶の箱は贅沢な造りで、念入りなことに鍵がかかっていたそうです。

ロシアの踊りは、トレパックという大麦糖の精の踊り。大麦糖とは、16、17世紀のフランス宮廷で珍重された飴菓子で、ねじり棒のようなキャンディーという説があります。その軽やかな舞がくるくるねじれたキャンディーのような愛らしさを表現しているのでしょうか(トレパックは生姜入りパン生地でできた人型お菓子という説も一方であるようです)。

その後、舞台は、葦笛の踊りへと移ります。葦笛はフランス語ではミルリトンですが、フランスはノルマンディー地方、ルーアンに伝わる伝統菓子の名前でもあります。ミルリトンはアーモンド味のタルトですが、その風味はフランスの広大な農地を連想させ、舞台では3人の農婦風の女性が舞います。

そして、最後の曲目は、金平糖の精と王子のパ・ド・ドゥで終了しますが、金平糖と訳されているお菓子は、アーモンドをカラフルな砂糖の衣で覆ったドラジェという砂糖菓子。たくさんの実がなるアーモンドが、多産や繁栄をあらわすという理由で、フランスでは出産や結婚などの折に贈られるお菓子です。クララの夢の続きを見てみたいと思わせる華やかな最後にふさわしい踊りです。

こんなクリスマスの夢は、クリスマスのお菓子の数ほど見ることができるのではないでしょうか。クリスマス発祥の地でもあり、『くるみ割り人形』の原作の舞台でもあるドイツには、マジパンを入れて仕込むシュトーレンがあります。あの朴訥な形は、キリストがおくるみにくるまれた形だと言われていますが、代々ドイツの家やパン屋に伝わる秘伝のレシピがあり、それによって味や形も若干異なってくるのです。ドイツに近いフランスのアルザス地方でも、クリスマスマーケットに出向けば、そのクリスマス菓子の種類には目を見張ります。クッキーは80種類を下らないでしょう。クリストーレンというシュトーレンに似たパン菓子や乾燥させた果物やナッツをぎっしりつめたベラヴェッカ。スパイス入りのクッキーやケーキ。マヌラという人の形をほどこしたブリオッシュなどなど...。南仏では、13のデザート(トレーズ・デセール)を用意します。キリストを意味するオリーブオイル入りのブリオッシュを中央に置き、周囲には、ナッツやフルーツ、ヌガー、カリソンといった南フランスには欠かせない産物やお菓子を散らしてお祝いするのです。そして一番ポピュラーなのがビュッシュ・ド・ノエル。ビュッシュというのは、薪という意味です。これは北欧が発祥と言われており、寒い北欧の冬に欠かせない大切な薪が、お菓子によってクリスマスに伝えられているのです。

バレエの演目の中で表現され、ひとつの文化として伝承されている伝統菓子、たくさんのお菓子好きの方にも、『くるみ割り人形』をご覧いただきたいと思います。

文章:大森由紀子 Omori Yukiko

フランス菓子、料理研究家。学習院大学文学部仏文科卒。パリ国立銀行東京支店勤務後、パリの料理学校で料理とお菓子を学ぶ。フランスの伝統菓子、地方菓子など、ストーリーのあるお菓子や、フランス人が日常で楽しむお惣菜を雑誌、書籍、テレビなどを通して紹介している。目黒区の祐天寺にて、フランス菓子と惣菜教室を主宰。フランスの伝統&地方菓子を伝える「クラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワ」の理事、スイーツ甲子園コーディネーターを務める。毎年夏、フランスの地方へのツアーも企画。フランスのガストロノミー文化を日本に伝える掛け橋になりたいと願いながら、点が線になる仕事をめざしている。近著に『フランス菓子図鑑 お菓子の名前と由来』(世界文化社)、『小さなお菓子 プティ・フール』(誠文堂新光社)がある。

お菓子写真撮影:海老原俊之

(2013年当公演プログラムより)

▲ ページの先頭へもどる