シアター・トーク
レポート


『象』新国立シアター・トーク
「日本の不条理劇」


2010年3月6日(土)小劇場
出席者:別役 実
    深津篤史
    鵜山 仁
    大笹吉雄(進行)

ベケットを引きずって

大笹:ロビーの別役さんの略譜をみていたら、早稲田大学を授業料滞納で除籍って書いてあるんですね。(笑)
別役:多いですよ、そういう人は。(笑)え、お前卒業したのって、卒業したほうがびっくりする年代ですから。
大笹:あのころはそうですかね。
別役:除籍処分はなかったことになりますからね。本当は制度としてないんだけど、なんとなく「中退」っていう名前で。(笑)中退するにはね、中退するまでの授業料を払い込んで、中退届けをだして承認されないと中退にならないんですよ。
大笹:そうなんですか、めんどくさいですね。いろいろ手続きがいるんですか、中退するのに。(笑)
別役:そう、中退するまでの授業料を払わなければいけないですからね。
鵜山 仁鵜山:僕も除籍になっているんですけどね、別役さんみたいに公にしてない。(笑)
大笹:あなたも除籍?
鵜山:僕の場合は大学院ですけど.電話がかかってきて除籍になりますよ、って言われた覚えがあります。
大笹:珍しいですね、2人もいるとは。別役さんが組合に関係なさったっていうのはそのあとなんですか。
別役:そうですよ、あと。
大笹:いつごろまでそういうことがあったんですか、いわゆる社会運動的なものにかかわっていたというのは?
別役:えっと、だって、僕が早稲田にはいったときに、劇団自由舞台っていうのはだいたい左翼劇団だったんですよ。自由舞台っていうのは芝居もやっていましたけれど、政治運動もやっていた。ほとんど政治運動のほうが主流じゃないかっていうくらいの劇団でしたからね。
大笹:そうですね、あのころの早稲田の学生演劇はみんなそうですね、60年代のね。別役さんの不条理演劇はさっき他の人と違う、深津さんもそう感じられているっていっていましたけど。ひとつはね、全体の雰囲気が非常に西洋っぽいですよ。他の人たちの書くものは、やはり日本の劇作家だなぁっていう感じがどっかにあるんだけれど、別役さんの書く世界はなんか西洋っぽい。たとえばタイトルからいっても、『街と飛行船』があるでしょう、『街と飛行船』なんていうタイトルで書いてピタッとする劇作家は、別役実以外に考えられない。そういう世界のなかで、たとえば、おにぎり食べたりするじゃないですか。(笑)そこのミキシングがとっても独特だっていう気がする。それは、ご自分が満州で生まれたっていうことが関係あると思われますか。
別役:ああ、関係あるかもしれないですね。やっぱり、内地っていうんですけどね、満州から本土のことを、内地に対する違和感みたいなものがかなり後半まで引きずりましたからね。それを、解消しようっていうのが、生理的になかなかできなかった。たとえばね.湿っているんです、全体的に日本っていうのは。内地っていうのはあの地べたも湿っていて、裸足で歩くっていのがものすごく気持ち悪い。満州で裸足で歩くっていうのは関係ない、乾いていますからね。内地で裸足で歩くのがすごく気持ちが悪くって、僕が中学のときに長野で田んぼの稲を植える実習って言うのがあって、どろどろの田んぼの中に足を入れなければならない。それが入れるようになるまで、やっぱり日本になじめなかった。そういう、拒絶反応みたいなものが影響しているということは考えられるんですね。ただ、なるべく日本になじもう、日本になじもうっていうのも変だな、日本になじもうっというのが、文学座のアトリエの仕事で、あれで割と日本的になっていったなっていうのを僕はもっているんですがね。久保田万太郎とかいう生活観みたいなものはこうだよっていうのを文学座の俳優さんたちは皆よく知っているわけです。そこで折り合いをつけることが演劇的にはできてきた。あれ以後は割と日本的になってきたと思うんですね。
大笹:文学座のアトリエでやったものは、たとえばタイトルも『あーぶくたった、にいたった』『にしむくさむらい』とか、全然違ってきますよね。『象』のあと、いわゆるアリスシリーズってあるでしょ。『不思議の国のアリス』。これもやっぱり別役さんの一時期をかたちどったと思うんですけれども、ルイス・キャロルの世界もナンセンスですよね。
別役:まあ、童話とかね、『象』のあとの『マッチ売りの少女』ですしね。『不思議の国のアリス』、その間に書いた『門』なんていうのはカフカの門ですからね。ほぼ、あちらものをどうとりいれるかっていう発想が強かったですね。
大笹 吉雄大笹:そして最近作でゴドーが来たっていうがあって(『やってきたゴドー』)、いわゆるベケットにさよならを告げるということになるんですけれども。これは、はっきりベケットはさようならということでお書きになったわけですね。
別役:そうでもなかったんですね。(笑)あの、ベケットにさよならしようっていうのは、その前からずうっとありましてね。そのころには、ベケットにふれるのをやめていたんですよ。ところがあれを書く前後くらいに、いまから考えれば当たり前なんですけど、ベケットは喜劇だっていうことを思いつきまして、あらためて読んでみると、割とベケットに親しめたという感じなんです。ナンセンス喜劇なんだということがあって、それを発見したんで、割とベケットに親しめたということがあるんですね。それでむしろあれが書けた。そういう意味からいうと、別にベケットに対する拒絶反応みたいなものが消えた、あれ以来はね。
大笹:しかし、そういう意味では、ずっと長い痕跡をのこしていたわけですね。少なくとも、ベケットという人の。長いですよね。
別役:拒絶反応として引きずった時期が長いんです。もうベケットから離れよう離れようと思いながら、なんとなく痕跡を引きずってた、これが長かったですね。
大笹:『象』は最初に申し上げたとおり半世紀前の作品ですが、作家にとって若いころの作品をこういう風に時間をかけたあと上演されて観るというのは、どういう体験なんですか。
別役:さっき言いましたように、これと『マッチ売りの少女』より以前の作品については、割とせりふに感情移入している。感情移入しているぶんだけね、なんとなくいやな感じがするんですね。しばらくいやでいやでたまらなかった。観るのも読むのもいや、そういう時期が続いたんですけれどね.燐光群が自分のところの劇団でやったのを観たころから、割と違和感がなくなった、違和感というか拒絶反応がなくなった。それは情勢が変わったのかもしれないし、たとえばね、病人を喜劇的に見るときっていうのは、割と楽なんですね。病人を悲劇的に見ようとする時期は耐えられない。喜劇的に見ることができるようになってきたというのがつい最近なんです。この公演で完全に開放された。喜劇的に見る病人というのが、空間的にも保障されたなぁという感じがして、たいへんホッとしています。だから、僕にとってはかなり大きな公演だったですね。
大笹:長い間の劇作家活動で130本を超える作品があるのですけれども、そのなかでカラーが変わった時期が何回かあった気がしますけれど、これからももちろん新作はあるわけですね。
別役:そうですね、もちろん.まだ、もうしばらくは書けるんじゃないかなって思っています。体力勝負ですからね、芝居というのは。体力を失われるときついかなっていう感じはしますよね。
大笹:ありがとうございました。
鵜山:せっかくの機会ですから、質疑応答ということで、客席の方から何かお聞きになりたいことがございましたら、どうぞ。