シアター・トーク
レポート


『象』新国立シアター・トーク
「日本の不条理劇」


2010年3月6日(土)小劇場
出席者:別役 実
    深津篤史
    鵜山 仁
    大笹吉雄(進行)

被害者意識のない原爆戯曲

大笹:今日、拝見していてふと思ったのは、ステッキをもって二人の男が殺し合うシーンがありますね。あれなんか見ていると漫才っぽいですね。
深津:そうなりますよね。
別役:原作は62年に書いているんですけど、あれは65年に付け加えたものなんですね、だから、ちょっと文体が違うんですね。
大笹:なぜ改作したんですか?
別役:福田(善之)さんたちがやった青芸で上演することになって、少し短かったんですね。それで、どっか付け加えようって言うことになってつけ加えたんです。
大笹:いまこれが決定版になっているんですね。
別役:そうですね。最終稿はこれになっている。
大笹:しかし、2幕になっていますね、今回の上演。2幕構成の『象』っていうのは初めてだったのですが。
深津 篤史深津:そうですね、1幕に休憩をいれて、3幕が時間的には18分、20分くらいなので、ここで休憩を入れるとなんだか、ということで、2幕3幕は通しでいっちゃおうってやったんです。
別役:あぁそうか、分かれてはいたんだ。(笑)
深津:はい、分かれてはいます。暗転を組みましたから。
大笹:私なんかも何回か観ていて、作品的にはよくやられていると思うんですが、また違った『象』で、違った舞台になっていて。
深津:僕自身が、『象』を観たことがなく、読んだことしかなかったので、逆にそういう縛りも、自分のなかに固定観念みたいなものがなかったのはよかったとは思うのですが。
大笹:これはちょっと私、プログラムに書いたことなんですけど、これは原爆の問題がはいっていますね。そういう関心があった時期なんですか? 別役さん自身に。
別役:えーとね、原水禁運動あたりが風化し始めた時期ですね。ですから、原水協と原水禁が分かれ始めて、問題そのものも風化し始めた時期かな。
大笹:そして非常に珍しいと思うのは、被爆者たちが被害者意識をもっていない被爆者ですよね。これはきわめて珍しいと思うのですが。いわゆる原爆ドラマというもののなかでは。『象』以外に他にありますか、いわゆる原爆戯曲といわれるもののなかで、被害者意識をもたない登場人物というのは。
鵜山:僕は必ずしも被害者意識をもっていないとは思わないんですが、被害者加害者の関係があいまいなところがすごく、それこそ面白いところじゃないか、まぶしてある、両方に被害者加害者の一線が引けないところが実に面白いし、それが今日的に確実にだれか傷ついたんだろうけど、その傷をいま言い立てるというのがどういう意味をもっているのか、こういう新国立劇場みたいなところでこういう芝居をやるのにどういう意味があるんだということすら、この構造的にいっているような気がして……学習しないんですか? ネタばらしみたいになりますけど、大杉さんなんかがやっているんですけど、私たちは、って言っているような、そこに被害者意識はないかっていうと、やはり渾然一体となった、日本独特って言っていいかどうかわからないですけど、なんとも区分けできないような加害者意識.被害者意識っていうのが、そういう構造があるような感じがするんですけど、どうですかね。
大笹:別役さん自身、確か若いころ組合運動に関係なさっていますよね。
別役 実別役:組合運動っていっても、東京土建という大工さんや左官さんの組合で、実際の労働運動をやるっていうよりは、生活協同組合みたいな組合なんですね。労働運動それ自体はあまり参加してなかった。
大笹:新島のミサイル試射場建設反対運動には関係なさったんじゃないですか?
別役:ミサイル反対運動だとかなんかにですね、その当時割と政治青年でしてね。新島のミサイル基地には、2カ月くらいいたかな。それもね.政治青年としてはかなりいい加減な参加の仕方だったってことはあるんですけどね。