シアター・トーク
[特別編]レポート


シリーズ・同時代【海外編】スペシャルイベント
シアター・トーク[特別編] 「昔の女」


3月14日(土)新国立劇場小劇場
出席 ローラント・シンメルプフェニヒ(ドイツ・『昔の女』作者)
    倉持 裕(『昔の女』演出)
    大塚 直(『昔の女』翻訳)
    鵜山 仁(演劇芸術監督)
    新野守広(ドイツ演劇・現代戯曲研究会メンバー)<司会進行>
    (通訳:蔵原順子)

シンプルな言葉を訳す難しさ(大塚)

新野●そのような感情のたくさん詰まった作品を訳すのは難しい作業だと思います。翻訳の大塚さん、いかがでしたか?
大塚●ドイツの戯曲を訳すのは難しいです。現代戯曲自体が難解になっています。シンメルプフェニヒさんの場合は時間軸の錯綜が大きな特徴ですが、ほかには、句読点がまったくなくて延々と続くモノローグのような作品を書く劇作家もいます。シンメルプフェニヒさんの作品はとてもわかりやすいドイツ語で書かれているので、他の作家ほど難解ではありませんが、逆にシンプルな言葉をどう訳すかという難しさはありましたね。ひと言のセリフで演劇空間が開かれるように意識しながら訳しました。
新野●シンメルプフェニヒさんの紹介は大塚さんがいなければ実現できなかったと思います。シンメルプフェニヒさんの作品にいつ出会ったのでしょうか?
大塚 直 大塚●ドイツの1970年代以降の劇作家の一人に、ボート・シュトラウスという作家がいます。旧西ドイツにボート・シュトラウス、旧東ドイツにハイナー・ミュラーというぐらいの重要な作家です。私は彼の作品に魅力を感じていました。1つは、日常の詩学です。さりげない日常に詩的なものを感じさせる。2つ目は想像力を刺激する空間の使い方、3つ目は映像メディアからの影響です。彼は短い時間で、さながら「万華鏡」のように人間の感情のひだを描き出すことのできた作家です。ボート・シュトラウスのような詩学を持った劇作家の継承者は誰かとずっと関心を持っていました。そんなころに、"日本におけるドイツ年"という催しがあって、ドイツの戯曲を30本紹介できるチャンスがありました。その時に自分も1本訳せることになって、シンメルプフェニヒさんの『前と後』にめぐり合って、訳しました。これこそ、ボート・シュトラウスの後継者の作品だと思ったのです。研究会でシンメルプフェニヒさんの作品をたくさん読み、練りに練って翻訳して、今回すばらしい演出家にもめぐり合って、私は今幸せな立場にいるというわけです。
新野●ドイツ演劇は演出家主導の趨勢があって、古典の新解釈を大胆に打ち出す舞台が華々しく取り上げられたりする。その一方で劇作家もいる。ボート・シュトラウスからシンメルプフェニヒさんへと世代交代も行なわれている。倉持さんから見てドイツ演劇はどのように見えますか?
倉持●日本で紹介されているドイツ戯曲を読むと、作家性が強いなあと思いますね。自由に実験している、勇気を持ってやっているという印象がありますね。私や日本の状況を見てみると、本来、小劇場で自腹で自由に好きなことをやっていたはずなのに、商業主義というか、お客さんを集めるためにわかりやすいものを上演するという傾向があります。ちょうどそうしたことに危機感を抱いていたところなので、このドイツの状況に、とても勇気づけられますし、うらやましさも感じましたね。もう1回、初心に帰りたいとも思いました。
新野●商業主義を否定するのは難しいので、商業演劇をやりながら小劇場で自分の演劇を作る場が確保されているのが重要ですね。
倉持●平行してできるようにそういう場を設けたいですね。