シェイクスピア大学校


『ヘンリー六世』上演記念 シェイクスピア大学校
6回連続講座
芸術監督:鵜山 仁
監修:小田島雄志 河合祥一郎

V シェイクスピアとジャンヌ・ダルク ―ナショナル・ヒストリーの曙― 佐藤賢一(作家)
2009年11月18日[水]

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ここで、百年戦争のクライマックス、いよいよジャンヌ・ダルクの時代になってきます。14世紀、黒太子エドワードの息子リチャード二世がクーデターで倒れて、ランカスター朝というものが成立します。そのランカスター朝を起こしたのがヘンリー四世、その息子がヘンリー五世であるし、孫がヘンリー六世ですね。
一方、フランスも内乱に近い権力闘争を起こしていたんですね。
オルレアン派とブルゴーニュ派の闘争であるとか、アルマニャック派とブルゴーニュ派の闘争、のちに名前を変えたりもするんですけど、とにかく王を挟んで二つの党派が熾烈な争いを繰り広げたということがあるんですね。この争いに乗じて、早くに内乱を治めてランカスター朝というものを安定させて乗り込んできたのが、ヘンリー五世です。
ヘンリー五世は、1415年アザンクールで大勝して、いっきに英仏二重王国構想を具体化していきます。まさに黒太子エドワードが14世紀にやったことを再現したようなんですが、ここで注目したいのは、エドワード五世の勝利は、フランス人だからフランスに帰りたいというものではなく、フランスという外国を征服したいというものだったはずです。まったく征服欲の結果だということをここで区別しなくちゃいけないと思います。
つまりヘンリー五世は、初めて外国を征服してやろうと乗り込んだ王だった。こうなると征服なので、フランスはたまりません。たまらないんだけど、誰がなんとかしてくれるのか? 王様や貴族は、元から宮廷闘争しているわけですから全然頼りにならない。どうしたらいいのか、ということで起きてくるのが、ジャンヌ・ダルクなわけです。
つまり上の人たちが役に立たなければ、下の人たちがやるしかない。まさに下からの動きであるジャンヌ・ダルクは農民の出身ですし、フランスの辺境ロレーヌ地方から出てきていきなり「フランスを救え!」と指導者のようなことを言う。
これはどういうことか。とりもなおさず上の人たちがあてにならずに、下の人たちががんばらなければいけない。みんなでフランスを思えば、フランスという国をつくればイギリスに立ち向かえるじゃないか。こういう意識がまさに征服戦争された中から出てきた。その代表格であり代弁者がジャンヌ・ダルクであったのかと思うわけです。

実際ジャンヌ・ダルクの活躍はオルレアンで勝ったぐらいでした。
ところが、これをきっかけにフランスが一丸になっていった事実があります。そして、イギリスをどんどん駆逐していって、1450年代までかかりますが、すべて追い払ってしまう。まさにフランスの勝利は、王様の勝利ではなく、国の勝利、国民の勝利だったと言える。そのきっかけとなったのは、ジャンヌ・ダルクですから、フランスのナショナル・ヒストリーは、ジャンヌ・ダルクが先駆けだったのではないかといえると思います。
私が述べたのは結果論でしかないのですが、当時のフランス人はそんなことはまったく思っていませんでした。フランス人でさえ思っていなかったことを敏感に察知するのが、作家というものなのかな。つまり、シェイクスピアのような天才ですね、この人のアンテナが察知したのは。やっぱりシェイクスピア自身も、イギリスがナショナル・ヒストリーに迫られているのに気づいたのではないかと思えてくるわけです。だからジャンヌ・ダルクにも気づいたのではないかと思えてきます。
シェイクスピアはエリザベス一世の時代ですね。イギリスは女王の時代に栄えると言われていますが、そういうジンクスを作ったのがエリザベス一世です。この時代自体はひどい時代だったので、スタートは必ずしも良くなかった。財政は破綻し、産業は不振でした、また宗教改革の争いの中にもあった。ひどい状態のなかを四苦八苦して立て直していく。あげくは東インド会社を作って、今日のイギリスの発展の基礎を作ったのがエリザベス一世とされています。
その時代に出てきたのが、シェイクスピアという作家です。まさにイギリスがこれから世界を導く国として出て行こうとするときに、シェイクスピアが出てくる。シェイクスピアというのは、それまで島国だからというのでまとまっていたんじゃなくて、世界の一流国として出ようという、そういう勢いのある時にイギリスを鼓舞しなければいけない。その時期に出てきたわけです。