シェイクスピア大学校


『ヘンリー六世』上演記念 シェイクスピア大学校
6回連続講座
芸術監督:鵜山 仁
監修:小田島雄志 河合祥一郎

V シェイクスピアとジャンヌ・ダルク ―ナショナル・ヒストリーの曙― 佐藤賢一(作家)
2009年11月18日[水]

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史実のシャルル七世とは、堂々たるフランス王なわけです。ただの一度も副国王になったことはありません。とは言え、副国王うんぬんと言うのは、そんなに大きな嘘ではないのかもしれない。イギリスサイドの一方的な言い分としては、実際にあった話かもしれないです。いずれにせよ、ちゃんとフランス王シャルル七世になったんだということも、イギリス人は承知しているのですが、それはもちろん後にイギリスはイギリスになってるし、フランスはフランスになっているので、承知せざるを得ないわけなんですけれども、それでも、なおフランスに負けたわけではない、と言うんですね。

まず、負けたわけではないという内容なんですが、1420年に百年戦争は終わっていますから、もとより百年戦争というビッグイベントは自分たちの勝ちだと。それから後、いくらか劣勢にたたされたかもしれない。確かにジャンヌ・ダルクなんかが現れていくらか劣勢にたたされたかもしれないけれども、そのせいでイギリスは負けたんじゃない。ただ単にシャルル七世を徹底的にやっつけることができなかっただけだと言うんですね。で、和議を結んで、控えていただけなんだと。
なぜこういう理屈がまかり通るかというと、シェイクスピアの『ヘンリー六世』、その後半部に謎が隠されています。第一部は確かに百年戦争の歴史ですが、第二部、第三部と進むにつれて、イギリス国内の問題、有力貴族の不協和音であるとか、宮廷の権力闘争、陰謀、裏切り、内乱というような、果ては王の範囲にまでつきすすむイギリスの政争劇が、延々と描かれるわけですね。
いわゆる薔薇戦争の歴史に移るわけですが、この長い長い歴史を総動員してみますと、『ヘンリー六世』の治世の大半というのは百年戦争というよりも内乱、不幸な戦争劇に彩られている印象にどうしてもなってしまうわけなんです。そういった印象が第一部にも作用すると。つまりシャルル七世など本来は副王でしかないのだけれども、それがフランス王としてまかり通っているのは、イギリス自身の不幸な内乱のせいなのだと。イギリスがフランスに負けたわけではなく、それはイギリスが勝手に自滅しただけなんだと言うわけです。

そんなような雰囲気にもっていくだけではなくて、シェイクスピアははっきり言葉にもしているわけです。発表の順番でいえば、「ヘンリー六世」のほうが先なので、『ヘンリー五世』の結びを次のような文章でくくっています。
 イギリスの星、ヘンリー五世は、まばゆいばかりに光を放ちました、
 運命が鍛えた剣を持って世界一美しい庭フランスを手に入れ
 その世界に冠たる支配権を彼の息子に残しました。
 息子ヘンリー六世は幼くして父王の後を継ぎ、フランス、イギリス両国の王となりました。
 だが彼を取りまく多くの者が政権を争うことになり、
 ついにフランスを失い、イギリスにも血が流されました。
 そのいきさつはすでにこの舞台でごらんにいれております、
 この芝居も前作同様、ご愛顧をたまわるよう祈っております
ヘンリー六世が、こうはっきり言うわけですから、これでイギリス人の歴史観というものは完成してしまいます。
ヘンリー五世は、百年戦争に勝利した。フランスを失ったのは薔薇戦争という内乱のせいだ。ヘンリー六世がこうむった不易のせいだ。イギリスが負けたわけでは決してない。これが、シェイクスピア症候群、あるいはむしろシェイクスピア・マジックと言うべきなのかもしれないですけれど、いずれにせよシェイクスピアは匠に考えたものだと感心させられます。