シェイクスピア大学校


『ヘンリー六世』上演記念 シェイクスピア大学校
6回連続講座
芸術監督:鵜山 仁
監修:小田島雄志 河合祥一郎

III シェイクスピアの時代に歌舞伎は何を描いたのか? 古井戸秀夫(歌舞伎研究家)
2009年11月11日[水]

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私はこういう長い芝居を観ましたのは、銀座にセゾン劇場というのができた時に、ピーター・ブルックという当時世界で一番といわれていた演出家ですけど、『マハーバラータ』という芝居が柿落としでした。柿落としというのは劇場の開場記念ですけど、それなのに新しく作った舞台を壊しちゃったんですよ。世界の大演出家ってすごいですよね。舞台を壊してそこに土を全部入れて、それで朝から晩までの芝居をやりましたね。
ですから、これは観るほうもつらいし、やるほうもすごく大変だと思うんですよ。何年に1回ならできるんだけれども、それを江戸時代の歌舞伎は1年中やってんですよ。1年中といっても今ほどじゃないですよ、150日ぐらいですかね。そこで、今では考えられないような独特な空間が生まれてくるんですよ。
屋根をつけて、観客が逃げられないように、閉じ込めちゃう。そして飽きるといけないからと、観客の中に役者が入っていけるように花道というのをつくります。
それと同時に今度は自分たちの国の歴史、いったいこの国はどういうふうにできたのか、通俗日本史と言っていますけれど、通俗な日本史をみんなに提供する。そしてそれを同じく抱えもつことによって、ああ私も江戸の人間なんだ、この国の人間なんだ、こう思う、アイデンティティというんですか、こういうものをつくっていこうと考えるんです。
ここに生まれてきたのが「四番続」という上演方法。今回の『ヘンリー六世』の場合は、第一部、第二部、第三部の三番続きですね。そうではなくて、一番、二番、三番、四番という四番続きというお芝居をつくることになるんです。

この四番続きをやる時に、特に1年の一番最初の顔見世という時には、世界というのを定める。世界というのは何かというと、通俗日本史の世界なんです。
例えば、江戸で一番もてはやされた世界は、『太平記』の世界です。太平記というのは足利尊氏が鎌倉幕府を滅ぼして、新しい政府をつくるまでの物語です。ところが。どういうわけだか、江戸では太平記が流行るんですけども、上演では尊氏は悪者で、正義は新田義貞なんです。これは、歴史に詳しい方はそれはそうだろうとお思いになると思いますけど、徳川が政権を獲った時に、自分の系図をつくるわけですね。自分は清和源氏の流れをくむんだと。清和天皇から出た源氏ですね。ここからは源義家とか頼光、頼朝、義経とかが出ています。しかも清和源氏の新田流、新田義貞の流れをくむんだと。こういうふうに位置づけているんです。ですから、江戸で太平記が世界になると、善人の代表が新田義貞、悪人の代表はそれを滅ぼした足利尊氏というふうになるんです。

こういう形で芝居を展開していきまして、例えば、『伊豆日記』、広く言いますと関西なんかでは、これを『平家物語』と言ってるんですけども、江戸では平家を一つにはしません。時代でぶったぎっていきます、たくさん。ですから、『平家物語』というと江戸では余り上演しません。これは清盛ですとか、清盛が生きている時代。それに対して江戸では、源平戦というのがありまして、同じ『平家物語』でも後半ですね。義経が活躍するところ、平家を滅ぼすところ。これは別なんです。さらに義経が平家を滅ぼした後は『義経記』というのも、別なんです。
『伊豆日記』というのは何かというと、頼朝が旗揚げをするまで。頼朝は伊豆に流されていましたから関東にゆかりの地です。関東で兵を挙げて、それから自分じゃなくて弟たちを京都に差し向けるわけです。ですから江戸の人にとっては、自分たちの土地の物語なんです。同じ世界を選ぶといっても、通俗日本史のなかから、江戸の人たちにとって自分たちに非常に親しみのもてる、例えば新田義貞は江戸のこのへんで死んだとか、徳川さんの先祖は新田なんだとか。
もうひとつよく出ますのは『前太平記』。
これは『太平記』の前編じゃないんですよ。将門の物語です。将門というのは神田明神の主神ですね。これは江戸総鎮守といって、江戸を守っている大元が神田明神で、この明神様に祀ってあるのが将門です。ですから、将門は首を斬られたあと、首が動き出したって言うでしょ、この首を鎮めるために首塚をつくった。ですから江戸っ子にとっては非常に親しみのあるものなんですね。

こういうものを世界として設定して、そして皆さんが読まれるパンフレットのようなもの、
番付と言いますけど、そこには例えば第一番目、これは「第一部薔薇戦争」とか。それぞれ第二番目、第三番目、第四番目、みんなタイトルがついてるんです。そこに誰がどの役をやるか、みんな書かれているんです。
でも江戸では、四番目が出たことがない。三番目も出ない。出ないどころか、最初から脚本をつくってないんです。まず一番目を出して、ある程度お客が来ると二番目を出して、もっと来ると二番目の内容を変えるんです。必ず最後まで出さないんです。
これは大坂とか京都ではないんですけども、江戸では四番までやりますよと言っておいて、時間になると座頭が出てきて、自分が芝居に出てる時には芝居をそこでやめて、座って「まあず、こんにちは、これにぎり」と言います。その前の一番目には大詰と大切があります。大詰も大切も一番最後という意味です。ですから、二番目なら二番目のなかに二幕あるとすると、一幕目の最後、二幕目の最後ってありますね。二幕目の最後のところが大詰です。切りと詰めはどこが違うかというと、切りは「それっきり」であとは出ませんよと。「まあず本日はこれ切り」になっちゃうのが切りです。詰めというのは一番目が詰めで終わるだけで、次ぎ二番目がありますよと、続きがある時はどうするのか。