シェイクスピア大学校


『ヘンリー六世』上演記念 シェイクスピア大学校
6回連続講座
芸術監督:鵜山 仁
監修:小田島雄志 河合祥一郎

III シェイクスピアの時代に歌舞伎は何を描いたのか? 古井戸秀夫(歌舞伎研究家)
2009年11月11日[水]

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ところで、シェイクスピアと出雲のお国を比べてみますと、いろいろな点が似ています。お国も京都に出てきて天皇陛下に招かれたり、いろいろなところに招かれた。そして1603年(慶長8年)という年に徳川家康が幕府を開きます。その年にお国も「かぶき踊」という新しい自分の演目を発表して、それが今まで残る歌舞伎の原点になっているわけですね。同じように、シェイクスピアは、16世紀の終わりにロンドンに出てきて最初は宮内大臣一座という、貴族をパトロンとする一座の座付き作者として活躍しますが、エリザベス女王が亡くなってジェームズ一世が即位をする。そのジェームズ一世に招かれて、その大広間でやると同時に、今度は国王一座の座付き作者になるんですね。ですから、お国もシェイクスピアも、田舎から都会へ出てきて、貴族の庇護を受けてやがては将軍ですとか天皇ですとか、国王の前で上演するような立場にまでなっていきます。
同じような道筋を辿りましたが、やっている芝居の内容というのは、かなり大きく違っていたようです。シェイクスピアは、『ヘンリー六世』三部作に代表されるような初期は歴史劇をやるんですね。しかも、自分の国の歴史。国民にとって自分たちの国がどういう国なのかを検証するような仕事から始めるんです。お国はそんなこと、やってないんです。かぶき踊というのは、かぶき者と呼ばれる男が、茶屋のおかかと呼ばれる女のところに通っていくラブ・ロマンスです。ですから、片方は国王なんかに招かれると同時に国のこと、まさに国家のことを考えようとしているのに対して、片方は国家じゃないこと、個人が恋ごころを描いて、抱いた恋ごころをどういうふうに表現するかということを演じていた。ここが両者の大きな違いです。

少女スターだったころ、お国は天正9年(1581)9月には「ややこ踊」というのを踊ったといわれています。「ややこ」というのは今でも一部使われている言葉ですけど、小さなお子さんということで、だいたい女の子です。女の子が2人とか3人で一組になって踊ります。頭はおかっぱです。今では普通ですけど、当時女の人はみんな髪を長く伸ばしていましたから、断髪にするというは、非常にモダンな感じがしました。そのモダンな感じの断髪の少女が2人3人で組になって踊り、衣裳はまだ振り袖というものはございません。短い小袖を着るんですけど、その小袖が色鮮やかなもので、しかも織り模様、複雑なきれいな織り模様ですとか、のちの西陣ですね、西陣の豪華な呉服のような、きらびやかな衣裳を着て、手には扇を持つんですけれども、扇にはきれいな絵が描かれている。衣裳はお揃いですけれど、色たがいであったり、模様がちょっと違っていたり、だから3人なら3人の女の子が揃いなんだけれどそれぞれ個性を出している。ただ扇は、同じ模様の扇を持って踊るんです。歌は、どんな歌詞かと申しますと、ちょっと読み上げてみます。女のラブソングなんですね。
「みはうきくさよ」自分は浮き草のようなものだ。これは女の人の気持ちですね。
「ねをさだめなのきみをまつ」音色の定まらないあなたのことを毎日待っています。
これは今だとちょっとわからないかもしれませんけれど、当時は女の人から男の人のところへ訪ねるというのはないんです。男の人が女の人のところへ訪ねていくという形なんですね。
ですから、女の人は待っていなくちゃいけないんですよ。今日来るのか来ないのか、そう思っている自分のことを浮き草に例えています。
「身は浮き草よ 音を定めさだめなの君を待つ、去のやれ月の傾くに」
何か落ち着かない、ほかの女のところへ行ってるのかな、ああ嫌だな、もうお月様がかたむいてしまっているのに、というラブソングです。
少女スターですから、おませで、ある程度の意味はわかるかと思いますけれど、本当の意味はわからなかったでしょうね。たぶんその歌に合わせて意味もわからず、一緒に女の子が揃って踊る。絵を見ますと、みんな体がなよなよしています。小笠原恭子先生という、出雲のお国の研究の第一人者の先生は、これを“くの字”のポーズと言っています。古くからのたとえでは、柳にたとえています。柳は風が吹くと、すーと流れますね、ですから、お国をはじめとする子どもたちは、柳のようにくの字くの字でやわらかく決まって、そしてポイントポイントで、扇を出して一緒にポンと決まる。この決まったところがたぶんかわいいんだと思います。小さなお子さんとかお孫さんをおもちで幼稚園や保育園の学芸会などへ行くと、決してうまくないですよね、でも音楽に合わせてポンと決まったところを見ると何か気持ちが落ち着いてきますよね。たぶんそういうところだったと思うんです。観たのは、天皇陛下とそれを囲む女性たちです。天皇は正親町(おおぎまち)天皇という第106代の天皇です。時代は戦国乱世でしたから、ずっと逃げ迷っていた天皇です。信長とか秀吉が天下統一するにあたって、天皇を利用しようとするわけですよね。そこで京都に招かれて厚遇されてるんですけど、いわば飼い殺しですよ。そこで正親町天皇は、こういう歌を詠んでいます。
「憂世(うきよ)とて 誰れをかこたむ 我れさへや 心の儘にあらぬ身なれば」
憂世とは、つらい憂世ですね。誰のことを苦しいたとえで言おうか、私自身が、天皇という一番上の位にいながら、信長だとか秀吉だとかの意のままに動かされている、自分は心のままに動けないんだというふうに託ったわけですね。そういう天皇が九月九日、菊のお祭り、重陽の節句の時に愛する女性たちに囲まれて、お国の踊りを見て、何か憂さ辛さを忘れたんでしょうね。天皇以上にほっとしたのは女性たちでしょうね。外で男たちの戦が繰り返されていて、愛する人たちが殺されていると同時に、自分たちも逃げのびなければならない。ちょうど、この『ヘンリー六世』で、男たちが戦うと、女たちが逃げていきましたね。ああいうふうに逃げている人たちが束の間の喜び、ラブソングを聞いて、そこで動く少女たちを観てほっとするひととき、そういうひとときをつくっていたのが、少女スターのお国だったと思うんです。

お国はその後、日本全国を巡業して歩き、ちょうど徳川家康が征夷大将軍に任命されたころ、京に出てきて新しく「かぶき踊」というのをつくったんです。私はあまり歴史に強くないものですから、徳川家康が将軍宣言を受けたというから、これは江戸城で受けたのかと思ったら、そうじゃないんですね。家康は京都の伏見城にいました。その伏見状で天皇からきた勅使を迎えて、将軍になりさいと言われて江戸に幕府を開くわけですね。そのころ、お国はかぶき踊をしていて、伏見城にも召されて、家康の召喚にあった。そのかぶき踊ですが、家康のことを天下様、それに対してお国は芸人のなかで最も優れた芸人ということで天下一と呼ばれました。
ですから小笠原恭子先生は、2人の天下がいた、男の天下は家康で、女の天下は出雲のお国だと。男のほうは政治を司った、じゃあ女の出雲のお国は何を司ったのだろうか、ということになるんですが、資料の2枚目を見てください。

図(3) 図(4)

【図(3)】は、出雲のお国が踊りましたお国歌舞伎を描いた当時の絵で、『阿国歌舞伎草紙』断簡(大和文華館蔵)です。
舞台中央に腰掛けているのが、お国が演じている「かぶき者」の男です。男装して曲禄(きょくろく)という、輸入品の椅子に腰掛けて、顔には覆面をしています。その左側にいるのが、茶屋のおかか、のちの遊女になる人です。よく見ていただくと、日の丸の扇の向こう側にひげが見えるんです。これ、女性ではないんです。ですから、男性が女装した人物に、お国が男装をして口説くというお芝居なんです。口説く時に、右の柱のとろに陰になっているのは猿若で、この猿若の子孫が今の中村勘三郎さんですね。猿若と呼ばれている道外形(どうけがた)なんですが、ここでは軍配を持っています。軍配のほかにもお国が左手に紐が2本下がっているんですけれど、これが赤い組紐なんです。当時流行しました名護屋帯といわれている組紐でして、この赤い組紐で猿若というお調子者が男女の仲を結ぶ、赤い組紐で結ぶのがこのお芝居の一番の見どころになります。
じゃあ、いったいそのかぶき者って、どんな人たちだったのでしょうか。

かぶき者には、2種類ありました。【図(3)】でお国が演じたかぶき者は金持ちのかぶき者です。代表的なのは武将、織田左馬助が最も有名です。滅ぼされた織田信長の弟の子供だという触れ込みなんです。本当かどうかわかりません。そういう人が派手な格好をして遊び歩いているわけです。公家にも有名なかぶき者がいまして、猪熊少将。名前は猪と熊で恐いんですが、今日のヘンリー六世さんみたいに美男子だったそうです。ただ、ヨークの長男エドワードと同じように色好みでして、天皇陛下の女性にまで手を出してしまったというので、処刑されてしまった。こういうのがお金持ちのかぶき者の代表です。

お金のないほうのかぶき者が【図(4)】です。
これは『豊国祭図屏風』(徳川美術館蔵)部分です。豊臣秀吉が死んだ後、神様になりまして豊国神社に祀られ、そのお祭りの絵を描いたもので、そのなかに出てくるかぶき者の絵です。半裸体になっているのがかぶき者で、長い刀をかかえています。これをよく見ていただくと、鞘が鮮やかな朱色なんです。さらによく見ると割れたみたいな模様がついていますでしょ、これは朱に金で文字が書かれているんです。
「生き過ぎたりや二十三」
ああ、長生きしちゃったなあ。おいらもう23だぜって書いてあります。そのあとに、
「八幡ひけはとるまい」
八幡様見ていてください、喧嘩で引けは取りませんから。八幡様というのは戦さの神様です。俺は絶対喧嘩に負けないからと言って、戦おうとしている。ところが、仲間はもう止めている。自分たちは負けているから行くな、行くなと言ってるけど、シェイクスピアの歴史劇のなかに出てくるような人物ですよね。みなさん23歳で長生きか、もったいなぁとお思いになるかもしれませんけど、もっともったいない話なんですよ。当時は数え年ですから23といいましても、21、22のみそらで、ああ長生きしちゃったなあと言っている。戦争というのはむごいですよね。戦国乱世が終わり、ようやく平和がになって、社会は平和になったけれども、男たちの心のなかにはぽっかり穴が空いたままで、こうやって広場に出て暴れているんですね。
最も有名だったかぶき者は、江戸の大鳥一兵衛です。仲間が3000人いたそうです。その3000人が、ちょうど『ヘンリー六世』で次から次と貴族たちが誓うように、誓いをたてている。どういう誓いかというと、たとえご主君に逆らっても、仲間の義を優先すると。親兄弟と刺し違えても仲間を守るんだという義兄弟ですね。そういう配下が3000人もいたというんです。すごい人数だと思いますね。3000人の配下をもった男はそれだけの人間を束ねる男なんで、「生きすぎたる二十三」なんて甘っちょろいことを言ってられないんですよ。彼はどうしたかというと、そういう心を朱の鞘に金の文字で書くなんて派手なことはしません。ただいざとなった時に自分の覚悟が見えるように、刀を抜いた時の刀身に「生きすぎたるや」なんて詠嘆調ではなく、たった漢字四文字「生過廿五」。これだけです。
こういう男たちの心情を踊りにしたのが、出雲のお国のかぶき踊、もうすさんでやまない男たちの耳に女の歌うラブソングが聞こえてくる。
ちょうど思い出しますね、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーが日本に最初に来ました時に、ジュディ・デンチという名優がいまして、シェイクスピアのいちばん得意な独白ですとか、傍白というものですね、独白は韻読みですと一人台詞です。傍白は、かたわら台詞とも言いまして、みんながいるところで、自分の心のうちをちょっと言う時に、「でも俺はそんなこと考えていないんだ」ってリチャードが言ってましたよね。ああいう台詞を傍白と言います。この傍白をデンチがやるんですけど、忘れもしません。日生劇場の一番後ろの席で聞いていると、「古井戸さん、あなたにだけ言いますよ」という感じで耳にささやくように聞こえてくるんですよね。ですから、これを英語ではwhisperウィスパーと言いまして、ささやきというんです。ですから、男の太い声ではなくて、女の歌声、ラブソングが一人ひとりのかぶき者の耳のところにささやいてくれる。明日ももう少し生きてみようか、こういう勇気を与えたんだろうと私は思っているんです。