シェイクスピア大学校


『ヘンリー六世』上演記念 シェイクスピア大学校
6回連続講座
芸術監督:鵜山 仁
監修:小田島雄志 河合祥一郎

III シェイクスピアの時代に歌舞伎は何を描いたのか? 古井戸秀夫(歌舞伎研究家)
2009年11月11日[水]

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レジメ[古井戸秀夫氏登場](拍手)
私もついさっきまでそちらの客席で舞台を拝見していました。そちらでご覧になるのと、こちらから見るのではだいぶ違いまして、客席からご覧になるには観やすい舞台になっていますよね。すなわち舞台手前が低くて、奥に向かって高くなっているので、役者が重なっても、後ろの人の姿が見えるようになっています。ヨーク公が斬られるところも、向こうにいて斬る人間の動きも見えるわけですね。ですから観る側には非常にいい舞台なんですが、こっちにいますと居心地がとても悪いところでございます(笑)。
今もお辞儀をしようとして、普段と同じようにおじぎをしましたら、前につんのめりそうになりました。結構きついんです、これが。今、私普通に座っていますけれど、この椅子も実は傾いておりまして、鵜山さんが1時間話せと言うんですが、はたしてこの姿勢がもつかどうか、一番心配なところです(笑)。
歌舞伎では、こういう舞台の作り方を「八百屋(やおや)」というふうに呼んでいます。あるいは「八百屋飾り」。なんで八百屋っていうのかなとお思いの方もいるかと思いますけど、今の八百屋さんと違いまして、江戸時代の八百屋さんは、朝になると外の雨戸を倒して野菜を並べる台に使いました。お客さんに見やすいように手前を低くするものですから、舞台も同じように八百屋と呼んでいます。人参や蕪ならいいですけど、大根が並んじゃ困りますね(笑)。
もうひとつ、「開帳場」という言い方もするんです。開帳というのは、神社や仏閣が持っている宝物を信者に開放する、これを開帳、あるいは御開帳と言いますけれど、その開帳場、場所の場ですね。これはどういうのかと申しますと、お正月に初詣に行かれると、大きなお寺や神社では階段が危ないので、そこに板を渡して斜めにしてあります。あれを開帳場と言います。ですから八百屋さんで庶民的な野菜が並んでいてそれを選ぶ場所でもありますし、それを登って行くと奥のほうには何か神秘的な宝物がある。ちょうどわれわれがよく観ている歌舞伎ですとかシェイクスピアは、庶民的なものがたくさん並んでると同時に、その奥の方へ行くと何か神秘的な、人間の力ではどうすることもできないような強いものがある。ですから、何となくここに座っていると、体は不安定なんですけど、ああ歌舞伎の神様がついているのかな、シェイクスピアも応援してくれるのなかという気になってまいりました。

鵜山さんから「シェイクスピア大学校というのをやるんですけど、歌舞伎の話をしてください」ということでしたので、ああそうか、蜷川幸雄さん演出の尾上菊之助さんが演じた『NINAGAWA十二夜』ですとか、もうだいぶ前になりますけど、市川染五郎さんが若い時にロンドンにもっていって東京で凱旋公演をやった『ハムレット』(葉武列士倭錦絵)とか、そういう話をすればいいのかな、すなわち歌舞伎のシェイクスピアの話をすればいいのかなと思いまして、のほほんとしていましたら、鵜山さんからメールが届きました。それを読んだら急に体調が悪くなっちゃいました(笑)。そのメールには、シェイクスピアの時代、歌舞伎が生まれる前夜、あるいは生まれた当初ですね、「その時代の国家とか政治というものと、演劇の関係について話してください」とのことでした。言うほうは簡単ですよね、それから睡眠が浅くなっちゃいました(笑)。国家と演劇との関係、例えば国家は演劇をどう利用しようとしたのだろうか、あるいは演劇は国家をどう取り込もうとしたのだろうか、そんなことについて話してほしいということでした。
ですから、最初考えていたのは、歌舞伎では『ハムレット』はこういうふうに上演しますよ、あるいは『十二夜』をこんなふうにやりました。それは歌舞伎のテクニックがこういうふうに使われるんですよ、というような、いつも自分がやっていることをそのままお話すればいいかなと思っていたんですけど、初めて私はシェイクスピアと歌舞伎、特に出雲のお国ですね、この2人を机の上に並べて、ウーンと考えたんですね。その結果が、みなさんのお手元にある資料です。
資料の1枚目にはシェイクスピアが左側に、これは赤薔薇でしょうかね。それから出雲の阿国、かぶき踊、これは白薔薇でしょうか。この2つを並べて考えた時に、はたしてどんな共通点や、どんな違いがどういうふうに出てくるのかなということを、今日は考えてみようかなと思っています。