シェイクスピア大学校


『ヘンリー六世』上演記念 シェイクスピア大学校
6回連続講座
芸術監督:鵜山 仁
監修:小田島雄志 河合祥一郎

II シェイクスピアは『ヘンリー六世』で何を書いたか? 松岡和子(翻訳家)
2009年11月5日[木]

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つい昨日、そう思いながら、ああ、あの人も呪うな、この人物も呪うなっていうふうに見ていって、ハッとしたのが……ヘンリーだけは呪わない。ヘンリー六世は呪わないんですよ。祈りはするんだけれども、呪うことはない。祈りと呪いって本当に紙一重。両方とも、自分が無力だという自覚のもとに、何かにすがる時の魂と心の動きだと思うんだけれども、もちろんヘンリーは呪って当然な目に遭ってるわけです。権力の絶頂からどん底まで落とされて、ということが一度ならず、そういう目に遭ってるわけでしょ。自分をそういう目に遭わせた張本人が誰かもわかってるわけですよね。でも、呪わないんですね。さっき申し上げた「呪いは弱者敗者の武器である」という命題の「逆もまた真」だとすれば、「呪う者は弱者敗者である」ということになる。だとすれば呪わないヘンリーは決して弱者じゃないんだなあって。
不思議な人物ですよね、ヘンリーって。マーガレットからサフォークからヨークから、やがてリチャード三世になるグロスター公リチャードに至るまで、すごい強烈な悪とか罪と言ったらいいのかな、そういうオーラを発揮するような人物たちがひしめく中で、ヘンリーって本当に何もしない。でも、「あっ、呪わない人物ヘンリー」って思った時に、この人物が、何もしないにもかかわらずタイトルロールであるという意味というのかな、何かそれがわかったような気がしました。台風の目と言ったらいいのか、私はブラックホールと言ってるんですが、あるいは有害な善と言ったらいいか(笑)。何かそういう非常に屈折したというか、ツイストされたようなものをもっている、本当に面白い人物に目をつけたなあと思うのね。で、ダメな王様っていうと、最初に言ったイングランド王家のトラウマであるリチャード二世というのがいて、やっぱりこの王様もヘンリー四世によって退けられて、最後は暗殺されちゃうというので、ヘンリー六世と非常に似た弱い王様、ふがいない王様というところで横並びにされることが多いんです。イメージ的にもつながるんだけれど、はっきり言ってリチャード二世のほうは、本当にろくでもないことをいっぱいしているんですよ。取り巻きをえこひいきしたり、国庫の無駄遣いをしたりということをやって、実際にヘンリー四世のほうが民衆には人気があったようですけれど。似てるようでもやっぱりリチャード二世とヘンリー六世というのは根本的に違う。
これだけ残虐な流血にまみれた強烈な人物群の中で、何か静かな空白といった……先ほど左右対称で父を殺した息子、息子を殺した父親とのあいだに座って瞑想にふけるヘンリー六世のことを申しましたが、このシーンは彼のこの長大な劇全体の中のあり方を象徴的に表しているんじゃないかと思います。

その残酷劇のことですが、私は、これも非常に飛ぶんだけども、思い浮かべたのがカンボジアのあの大惨劇のクメル・ルージュなんです。まるでクレシエンドのように残虐さ、残酷さ、流血、それに落とされる首の数と言ってもいいんだけども、それがどんどん一部二部三部と順を追うにしたがって強烈になっていくのも、対外の戦いよりは、対内ですね、内部抗争というもののほうが、それは新左翼の内ゲバから今言ったカンボジアのクメル・ルージュまで、同族ですよね、同じ民族の殺し合いですよね、そういうもののほうが何か目を覆いたくなるような残酷さが強くなるというね、強烈さが増すということもシェイクスピアは直感的にわかっていて、それを劇化したんじゃないかなというふうにも思います。
近親憎悪と言うんですかね。どの英国歴史劇にも、その原文テキストであれ、日本の翻訳のテキストであれ、家系図が載っていると思うんですけど、それを見れば一目瞭然、元をたどっていくとヨーク家もランカスター家も根っこは同じなんですよね。エドワード三世から始まっている。ですから近親憎悪、まったく別人種の人たちが戦っているんじゃなくて、いわば親戚の内輪の血みどろの抗争ということが言えるんじゃないか。そのあたりのこともシェイクスピアはわかっていて見事に驚くべき劇を書いた。

そしてもうひとつ注目しておきたいのは、ここから次々とやがて続く歴史劇が出てくるし、それから歴史劇を超えた悲劇や喜劇が出てくる。ここから始まっているということですよね。『リチャード三世』は『ヘンリー六世』にまさに直結していますしね。これを観終わったらすぐにでも『リチャード三世』を観たくなりませんか? そういう感じがしますよね。というわけで、ぜひ、他のシェイクスピア作品もこれからもお楽しみいただけたらと思います。
ちょうど1時間でぴちっと終わりました。褒めてやってください(笑)。ありがとうございました(拍手)。

※文中の登場人物名、台詞は、松岡和子氏の訳によりました。