シェイクスピア大学校


『ヘンリー六世』上演記念 シェイクスピア大学校
6回連続講座
芸術監督:鵜山 仁
監修:小田島雄志 河合祥一郎

II シェイクスピアは『ヘンリー六世』で何を書いたか? 松岡和子(翻訳家)
2009年11月5日[木]

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第一部の大きなヤマというのは、ジャンヌ・ダルクとトールボットの対決。実はこの2人は会うはずがない。ジャンヌが火あぶりの刑に処せられるのは1431年です。一方トールボットがボルドーで戦って戦死するのは1453年です。ところがシェイクスピアはジャンヌが火あぶりの刑になる前にトールボットと対決させて、実際に剣をまじえるという場面までつくって、山場にしています。
もうひとつ出会うはずのない人物というのは、王妃マーガレットとグロスター公爵の奥方のエリナー・コバムです。マーガレットがわざと扇を落として、「そこの女、拾いなさい」と言いますが、エリナーが拾わないと「あら、拾わないの」とバシッと殴るんですよね。ト書きには、平手で打つとかじゃなくて、耳元を殴る(She gives Eleanor a box on the ear.)という言葉が使われています。すごいですね! この二人も会うはずがない。エリナー・コバムが呪術師とか怪しげな祈祷師を呼んで来て、ヘンリー六世とかサフォークとか、そういうお偉方の行く先々の運命を占わせるんですが、それが反逆罪に問われて1441年に処刑されます。ところが、マーガレットとヘンリー六世の結婚は、1445年なのね。だから史実ではエリナーがもう処刑されたあとで、マーガレットはフランスからお輿入れをするわけで、出会うはずはないんだけれど、シェイクスピアは会わせている。
あともうひとつ、完全なフィクションというのが、ランカスター家紅薔薇、ヨーク家白薔薇、この紅薔薇対白薔薇の対決がわぁーと吹き出すというか、表に出てくるテンプル法学院での法律論争の場。実は、何が論争の元なのかということが何も書かれていないので、わからないんですよね。でもそれぞれが紅薔薇を手折って身につける、白薔薇を手折って身につける、一目で紅薔薇派と白薔薇派がわかるような非常に印象的な場面なんですけれども、これもシェイクスピアのフィクションなんです。

トールボットとジャンヌ、それからエリナーとマーガレット、それからランカスター家とヨーク家、これは大きな対立ですよね。で、シェイクスピアがフィクションとして作り上げた場面やエピソードを見ると、全部対決・対立を浮き彫りにするためと言っていいんじゃないかと思う。
ほぼすべてのシェイクスピア劇にも言えると思うんですけれども、それからいきなりばっと飛びますが、私は野田秀樹さんのお芝居を夢の遊眠社時代のかなり初期から観ているんですけど、彼のドラマツルギーの特徴も対決・対立なのね。抽象的な戦争とか、イメージのうえでの戦争ということで、実際の戦争はない場合もあるけれども、でもイメージのうえで戦争させる。対立、対決というものがいかにドラマをドラマたらしめるうえで大事なこと、要、肝であるかということをシェイクスピアは早いうちから会得していて、それで一貫して、そして陣営が2つあるとしたら恋愛の場合でも、『ロミオとジュリエット』ならモンタギュー家とキャピュレット家、『トロイラスとクレシダ』だとトロイ軍とギリシャ方、それから『アントニーとクレオパトラ』でも、ローマとエジプトというふうにね。両者が戦う。戦争を背景にすると恋愛が際だつということも、対決、対立、戦争というものが、繰り返しますけれどもドラマをドラマたらしめる、ものすごく大事な要素だということをつかんでいたのではないか。だからこそ歴史的にウソをついてまで、主要人物を対決させたり、主要な派閥を対決させる場面をつくったりしたということだと思うんですね。

今そういえば、ということで思いだしたんですけど、薔薇戦争Wars of the Rosesという言葉はもうタームとして成り立っているけれども、その言葉がタームとして成り立ったというのは、シェイクスピアの時代ではないんです。初めて「薔薇戦争」という言葉を使ったのは、確か19世紀のウォルター・スコットだったはずです。だけど薔薇戦争というターム、このヨーク家とランカスター家の抗争を薔薇戦争と呼ぶ元は、シェイクスピアにあるんです。シェイクスピアが『ヘンリー六世』を書かなければ、「薔薇戦争」もなかったと考えていいんじゃないかと思います。それだけ演劇というジャンルを超えた、大きな影響力のある人ですね。