現代戯曲研究会

座談会 連続3回掲載その(3)
いま、同時代演劇とは?

小田島恒志 佐藤 康 新野守広 平川大作 鵜山 仁(進行)

劇場に求められるもの

鵜山●これまでの話をふまえて、最後に、今、劇場に何を求めるかという話を聞きたいんですが。

佐藤●フランスでも劇場で何をすべきかについては、深い議論があります。映像でできることは映像で行なったほうが効果があることを、みんなわかってきたらしい。映像ドラマとして作れるものを舞台で上演するのは不合理なんじゃないかと。実際には映画を作るほうが芝居より費用がかかりますが。でも、観客にとっては映画なら安く観られるものが、芝居だとなかなかそうはいきません。フランスは国が助成して、映画の値段と芝居の値段の差を縮めようと努力しています。これはすばらしいんですが、それでも演劇に観客が来なくなっている。そうすると、昔から言われている“演劇の再演劇化”ですね。演劇にしかできないものをやればいいじゃないか。その時に出てきた考えの一つが、生の人間が目の前で喋っているんだということが演劇を成立させる最低の条件ですから、そこからモノローグで生の声を直接伝える。その作業の場として劇場空間がある。演出家の時代が続いている公共劇場では難しいのですが、周辺のスタジオではモノローグの声を聞くという体験としての演劇が浸透し始めています。

鵜山●まったく同感ですが、現場的に言うと、あらゆるモノローグはダイアローグである、つまり異質なものとの戦いであると。そのあたりが意外に理解されてない悩みはあります。俳優養成にしろ、演出にしろ、方法論がまだまだモノローグ的、別の言い方をすれば予定調和の画一的なスタイルに傾いている気がします。

佐藤●リーディングやモノローグはフランスでは盛んで、新しい作家だけ取り上げる劇場がいくつかあります。その一つは、モンマルトルにあるテアトル・ウベールです。功績を認められて国立演劇センターに昇格し、そこから何人かの劇作家が輩出しています。その劇場のスタイルは、まず作家が出てきて自作を読むという公演。「声に出す」というプログラム。次が椅子などを使い、動きながらやってみようかという「空間にする」というもの。最後が上演です。この3つの活動を並行的に劇場が行なっている。いきなり上演するものもあれば、「声に出す」から順を追っていく場合もある。リーディングは1週間あれば準備できる。その形に演劇行為を戻したらどうかと個人的には思っています。

鵜山●そうしたインフラの整備は、特に公共劇場が果たすべき大切な役割でしょうね。

小田島●日本でいえば、ベニサン・ピットやシアタートップスが閉鎖になってしまうのは本当に憂うべきことだと思いますね。イギリスでナショナル・シアターを連日満員にするようなサイモン・ラッセルビールという俳優がいますが、大劇場に出ていたすぐ後で200人も入らないような劇場に出演する。こういう状況をうらやましく思います。ベニサンやトップスにはそのよう俳優も出ていた。日本の観客の中には、特定の種類の芝居しか観ていなかったりする人も多いので、もっといろんなものを観て、いろんなものが観やすい環境であってほしいと思います。

新野●働いている人が劇場に来られる社会になってほしいです。劇場だけの問題ではないと思いますが。ドイツではバレエを観に行くと半分は壮年の男性で、夫婦で来ている人も多くて社交を兼ねています。日本で働いている男性がバレエを観るということはまず考えられない。働く社会と劇場が分離しています。これは、演劇に関わっている時に虚しさを覚える一つの要因です。鵜山さんが上京された70年代頃は、社会と演劇が切れているという感じはあまりなかったのではないかなと思う。今、たくさん劇場ができて設備のいい劇場が整ってきた時に、働いている人が劇場に来られないような状況では、公共の文化が掛け声倒れに終わってしまう。社会と劇場が交われば、だいぶ変わる。同質性を前提とした作家の書き方も変わるのではないでしょうか。

平川●イギリスは観客反応が豊かです。芝居の途中で観客が出て行くのも拒否という立派な反応の一つで、日本の観客はその点行儀がいい。アンソニー・ニールスンという「イン・ユア・フェイス」を代表する作家がなぜ芝居を書くようになったかという逸話があります。幼いころ母親と芝居を観ていて恐ろしい場面があった。そのとき隣で観ていた母親が大きな叫び声をあげた。それを受けてニールスンは、演劇とはエクスペリエンシャル、経験的なものだと言っています。日本でも観客にとって観劇は一つの「経験」であってほしい。他方で積極的に作家を育成していくことが必要ではないか。スティーヴン・ダルドリーは1992年にロイヤル・コートの芸術監督に就任して、この劇場で若い作家を育てるんだと目標を掲げ、予算を注ぎ、実行しました。そうしたイギリスのように、日本の公的劇場が劇作家の発掘と育成を成功させられないものなのか。

鵜山●いろいろな課題と展望が見えてきたところで、いずれ是非またこの続きを。どうもありがとうございました。

[構成:編集部]