現代戯曲研究会

座談会 連続3回掲載その(3)
いま、同時代演劇とは?

小田島恒志 佐藤 康 新野守広 平川大作 鵜山 仁(進行)

テキスト自体は詩的だけど

鵜山●先ほどの小田島さんのおっしゃった“詩的”について。“詩的”なものを感受するために、必ずしもブルジョア的な教養が必須だとは思わないけど、 “詩的”な感覚というのは、当然作家によってバラつきがあるんだと思いますが、そのあたりはいかがでしょうか?

佐藤●フランスの現代演劇のテクストも、ある意味では非常に詩的なものです。ただし、詩そのものではない。言語の音楽性を武器にしたもの。オラリテって言うんですが、なんて訳せばいいのか。音として人間が発話するということそのものに価値があるような、リズムを備えていて、身体を通過して価値が出る詩で。そのまま目で読んで詩として成立するわけではない。

鵜山●必ずしも特殊な教養が必要なわけじゃない。

佐藤●そういうものではないです。むしろ、意味がわからなくても子どもでも自然に楽しめてしまうもの。その最高峰がヴァレール・ノヴァリナという人のテクストです。彼のエッセイ『耳のための演劇』には、演劇を身体と耳のために復権しようと書いてあります。演劇は息である、声であると。オラリテのなかでは意味よりも音楽性が重視されているので、意味にならない。フランス語として俳優が話すとすごくリズムを持った不思議な世界が広がることは確かです。言語の解体と言いますが、確かに翻訳可能なロジックなものとしては解体しているんですが、そうじゃないものとしては再構築している。

小田島●英語もそうですが、音やリズムの問題だけじゃなくて、文章じゃない単語の羅列のようなセリフが多いのがすごく翻訳者泣かせです。例えば、「お前は金が欲しいのか?」っていうのは、英語だと(Do) you want money? という語順になりますが、セリフでは、you - ? とかyou want - ? だけで終わっていたりする。youで始まるけど、日本語で「お前は」が最初に出てくるのとは発想が違う。「欲しいのか?」でも違う。「お前は欲しいのか?」ではもっと違う。「金が欲しいのか?」と聞いているのだと意味が分かるようにしたいのだけど、日本語に訳す時にこの省略の仕方が訳せない。逆に「金?」って訳せばいいのかというと、原文ではmoneyを出していないのだから印象が違う。翻訳者泣かせです。