2016/2017シーズン オープニング公演 ジークフリート2016/2017シーズン オープニング公演 ジークフリート

不遇な策士・ミーメに注目して聴く『ジークフリート』─「ニーベルングの指環」をより深く識るために・『ジークフリート』編不遇な策士・ミーメに注目して聴く『ジークフリート』─「ニーベルングの指環」をより深く識るために・『ジークフリート』編

Production:Finnish National Opera
Photographer:Karan Stuke

憎めないキャラクター 英雄ジークフリートの育ての親ミーメ憎めないキャラクター 英雄ジークフリートの育ての親ミーメ

いきなり私事で恐縮だが、筆者はワーグナーの諸作品に出てくるあらゆる役柄の中で、いわゆるキャラクターテノールによって歌われる諸役に、特に思い入れが強い。『ニーベルングの指環』に登場する役柄でいうならば、『ラインの黄金』のローゲ、そして同じ『ラインの黄金』と『ジークフリート』で準主役並みの活躍を見せるミーメがそれにあたる。舞台を所狭しと駆け回るも、ジークフリートやヴォータンに「おいしい」ところをすべて持って行かれてしまうこの哀れな役を、そしてそれを表現する音楽を愛するあまり、次に生まれ変わったならば、ミーメが歌えるようなテノール歌手になりたいと思ったことは一再ではない(愛のかたちが屈折していることは否定しません……)。
『ワルキューレ』第3幕、ブリュンヒルデは自らがヴォータンの怒りを防ぐ盾となって、ジークリンデをヴォータンの力が及ばぬ森の中へと逃がす。この時点から『ジークフリート』第1幕の幕が開くまでは、ジークフリートが産まれ、成長するまで、ある程度の時間(少なくとも10年以上か)が流れているはず。その間に何が起きていたのか、ヴォータンやミーメが語るところを総合すると、おそらく次のようなストーリーが浮かび上がる。
身籠もった女が森の中で傷ついて動けなくなっているところを発見したのが、かつてニーベルング族を支配していたアルベリヒの弟である鍛冶屋のミーメであった。言葉を交わすうちに、この女性がかつてのヴェルズング族で、フンディングに討ち果たされたジークムントの妻にして妹であると察し、利用価値を悟って自分が棲まうナイトヘーレ(妬みの洞窟)へと連れ帰る。
やがて、ジークリンデは月満ちて息子を産み、ブリュンヒルデから授かった名前「ジークフリート」をこの子に与え、息絶える(昨今の演出では、このときにミーメがジークリンデを殺害したことを暗示することもある)。ミーメは、この英雄の血を引く息子が、成長した暁には父親を凌ぐ英雄となることを見越している。その上で、この息子を親代わりとして育て、大蛇に変身しているファフナーを斃(たお)させ、世界を支配できる指環をみずからのものとする、という壮大な計画を立てる。そんな計画を立てつつも、どこかツメが甘く、緻密なのかガサツなのかよくわからない、というところが、まずもってこの人物の魅力でもあるのだが。

第1幕 策士ミーメの至らなさをさらす90分第1幕 策士ミーメの至らなさをさらす90分

ミーメが、90分を通じて出ずっぱりという本作の第1幕、おそらく筆者がもっとも好み、繰り返し聴いているのがこの第1幕だろう(ワグネリアンの中でも相当な少数派であろうことは良く自覚しているつもりです)。なにより、ティンパニがずっとF音を叩き続ける中、ファゴットが不穏な雰囲気を漂わせる7度の下行音型を演奏する第1幕の前奏曲は、数あるワーグナー作品の中でも飛び抜けて独創的な冒頭部分である。ニーベルング族を描くヴィオラの付点リズム、木管楽器が何度もたたみかける指環の動機に導かれ、剣の動機がバストランペットで現れるが、純粋なハ長調で描かれることの多かったこのモティーフに不協和な音が忍び込み、この剣が本来の力を発揮できない状態にあることが暗示される。
せっかく育ててやったのに、ジークフリートはその恩を知らぬ、とミーメはかき口説きつつも、その腹の底では、ジークフリートがみずからの秘めた野心を動物的な本能で薄々感づいているからこそ、自分に対してそのような態度を取っていることを察してはいる。さすらい人に身をやつしてやってきたヴォータンの正体を見破り、警戒を崩さない割には、やがてヴォータンの口車に乗せられ、ジークフリートには知らぬ存ぜぬでシラを切り通したその父母の素性を、ヴォータンにはいとも簡単に白状してしまう。ヴォータンは折られた名剣を直せるのは「怖れを知らぬもの」だけ、と嘯(うそぶ)いてその場を離れ、やがてそれがジークフリートのことであると察することはできるのに、そのジークフリートをさらに罠にはめようとするのが、ただのしびれ薬の調合というのも、謀を巡らすという以前の問題でツメが甘すぎる。賢くはあるが、全体を俯瞰する視点に欠けるミーメという「策士」の限界が露呈するのがこの第1幕であり、その至らなさこそが(筆者のような)聴き手に最大限の共感を与える。

Production:Finnish National Opera Photographer:Heikki Tuuli
Production:Finnish National Opera Photographer:Heikki Tuuli

第2幕 伏線回収とミーメの最期第2幕 伏線回収とミーメの最期

第1幕で、ミーメはこれから起こるすべての出来事に対する「伏線」を張ってしまったので、この第2幕はその伏線を「回収」するための幕ということになる。ここではワーグナーの視点はミーメの兄、アルベリヒへと移り、ヴォータンとの久々のとげとげしい邂逅、そして決して相容れることのない兄弟の争いが描かれる。思えば、アルベリヒはミーメがすぐに小細工を弄して、舌先三寸でひとを騙そうとすることを、もっとも身近に感じていた存在であっただろう(実際、『ラインの黄金』では隠れ兜を巡って騙されそうになっている)。『指環』全曲の中でも、おそらくここまで激しい言葉の応酬はほかに例がなく、裏打ちやシンコペーションが複雑に絡み合うテンポの速い音楽は、もっとも音楽的に難しい場面のひとつでもある。
小鳥の言葉に導かれ、あらゆる財宝の中から指環と隠れ兜だけを選び出したジークフリートに驚きつつも、ミーメはなんとか薬を飲ませて罠にはめようとする。ワーグナーはこの場面で、ミーメが抱く邪悪な本心が、小鳥の魔力によってジークフリート(と聴衆)だけに聞こえるよう、重層的な意味合いを含む、いまなお前衛的と言える音楽の手法を編み出した。ミーメが本当に知らぬ間に本心を口に出して語ってしまっているのか、それともジークフリートだけが聴き取っているミーメの内心を便宜的に歌にしているのか、どちらともとれる場面でもある。いくら嫌っていたとは言え、育ての親に手をかけてしまったジークフリートが一瞬だけ漏らす悔恨の情を聞くたびに、ミーメに対する同情の念を催さずにはいられない。

第3幕 ミーメの束縛から脱するジークフリート第3幕 ミーメの束縛から脱するジークフリート

周知の通り、ワーグナーは第2幕までで作曲を一旦中断し、それ以降の英雄成長譚を『トリスタンとイゾルデ』『ニュルンベルクのマイスタージンガー』作曲後にあらためて作曲した。もちろん物語としてはその前にできあがっていたわけではあるが、音楽的にもオーケストレーション的にも、その密度はいや増すことになる。世の中の成り立ちや「怖れ」を知らせまいとしたミーメの束縛を脱したことは、ミーメやニーベルング族にまつわるライトモティーフがほとんど登場しなくなることからも窺い知れる。ミーメどころか、ヴォータンの束縛まで、その槍を叩き折ることで示すわけで、ブリュンヒルデとの愛の生活を得たジークフリートはニーベルングの呪いからようやく脱することになる。少なくとも、次作『神々の黄昏』までは。

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