オペラ公演関連ニュース

アンデルセンとヘルツ、『即興詩人』と『イオランタ』について


『夜鳴きうぐいす』と『イオランタ』、この公演はストラヴィンスキーとチャイコフスキー、ロシアを代表する作曲家2人のロシア語のオペラのダブルビルですが、この2作品の原作者、ハンス・クリスチャン・アンデルセンとヘンリック・ヘルツは、デンマークの同時代の作家でした。

アンデルセン(1805年~1875年)は『人魚姫』『みにくいアヒルの子』『マッチ売りの少女』などで有名なデンマークの童話作家。貧しい家に生まれ、俳優やオペラ歌手、バレエダンサーそして詩人を目指すもなかなか芽が出ず、生き方を模索する中で諸国周遊の旅に出ます。この経験から発表した『即興詩人』(1835年)が評価され、各国語に翻訳・出版され一躍有名になりました。その後童話作家として人気を博します。

アンデルセンの自伝的小説『即興詩人』では、ローマ生まれのイタリア人アントニオを主役に、恋の遍歴と詩(芸術)の道の探求の物語が、イタリアの風土や慣習を織り込みながら描かれます。アントニオにはアンデルセン自身が強く反映されていると言われ、虚栄心とコンプレックスの葛藤、愛の歓びと喪失、自然や生命への賛美がストレートに綴られ、青春小説として多くの若者の心を打ってきました。

grottaazurra_2.jpg
青の洞窟

この『即興詩人』のクライマックスのシーンが、カプリ島で少女と出会う場面です。嵐で遭難した主人公アントニオが青く輝く水を湛えた洞窟(青の洞窟)へ流れ着き、朦朧とした意識の中で、小舟に乗って「私に光を与えてください」と一心に祈る少女と出会う...。実はこの少女は、カプリ島へ渡る前にペストゥムの遺跡でアントニオが出会った美しい盲目の少女ララなのですが、アントニオは後年ヴェネツィアで、治療を受け視力を回復しマリアと名乗っているララに再会します。少女ララはアントニオの即興詩を偶然聞いて「もし目が見えたら」という強い希望を抱き、目が治る夢を見たことで、治療を受ける決心をしたのです。この経緯を聞いたアントニオは、芸術の力を強く確信し、マリアと結婚するのでした。


『即興詩人』の最終シーンで、1834年3月6日、アントニオは妻マリアと二人の間の子を連れてカプリ島を訪れます。そこには旅行中の2人のデンマーク人が登場します。アントニオに話しかける紳士がアンデルセン、もう一人の理知的で背の低い男として登場するのがヘルツです。1834年3月6日は、ハンス・クリスチャン・アンデルセンとヘンリック・ヘルツが実際にカプリ島を訪れた日付なのでした。

アンデルセンを酷評し、アンデルセンより早くに王室から欧州旅行の支援も取り付けていたヘルツに対し、アンデルセンは長年、屈折した感情を抱いていました。ところがイタリア旅行中、ナポリで出会った二人はすっかり意気投合し、ヴェスビオ山やアマルフィ、そしてカプリ島を共に訪れます。二人は『即興夫人』のアントニオと同じく、ペストゥムの古代遺跡で盲目のロマの少女に出会う体験もしているのです。

アンデルセンが『即興詩人』のララに投影した盲目の少女が開眼する物語を、ヘンリック・ヘルツ(1797年~1870年)は戯曲『ルネ王の娘』(1845年)に取り入れました。『ルネ王の娘』は、15世紀、アンジュ―公ルネの娘イオランタとヴォデモン伯フレデリック2世との政略結婚の史実をもとにしていますが、イオランタが盲目という設定はヘルツの創作です。『ルネ王の娘』は爆発的な人気を博し、ヨーロッパ中の劇場で各国語に翻訳、翻案され上演されていました。チャイコフスキーは『ルネ王の娘』のロシア語訳を読んで、オペラ化を決心。オペラではヴォデモン伯の友人ロベルトを登場させることで愛の賛美が強調され、愛の力で光を得る、というイオランタのドラマになりました。



_Y5A0081__.jpg
新国立劇場バレエ団『くるみ割り人形』(2020年)
写真:瀬戸秀美

『イオランタ』はバレエ『くるみ割り人形』と同時に上演されるために作曲され、1892年12月にマリインスキー劇場で初演されました。『くるみ割り人形』の原作もE.T.A.ホフマンの『くるみ割り人形とねずみの王様』。この時代のヨーロッパのロマン主義文学がロシアへ影響し、人気を博していたことがよくわかります。