マンスリー・プロジェクト
レポート


マンスリー・プロジェクト
トークセッション「戯曲翻訳の現在」


2010年12月18日(土)新国立劇場オペラパレス ホワイエ
出席 宮田慶子
    長島確[ヘッダ・ガーブレル]/常田景子[やけたトタン屋根の上の猫]
    水谷八也[わが町]/岩切正一郎[ゴドーを待ちながら]

まだまだ面白い戯曲がある

宮田●最後にお一人ずつ、今回手掛けた作品以外に、好きな作家、お聞きしていいですか? 「こんな人のを訳したら楽しかったよ」みたいなの。ちなみにでいいんですけど。
常田●私は、さっき言ったラビュートっていう作家は好きで、一時期ちょっとはまっていたんですけど、今はイギリス人のジョー・ペンホールっていう人が、ちょっと気に入っていて、今年、『兵器のある風景』っていうのを俳優座でやっていただいたんだけど、前にも『ダム・ショー』とか、何本かやって、今、ちょっと面白いなと思っていますね。
長島●僕は、古いもので、何て言うんだろう、翻訳にあたって日本語に負荷がかかってくるっていうか、無理を強いられるようなものが、やっぱり面白いですね。それは単にわかりやすい口語にすればいいということでもないし、だけど本当に、何か、昔のものだから昔っぽい文体でっていうのも、それだけじゃ面白くないと思うし、何かその間を探すっていう意味で、古典がやっぱり面白いような気がしますね。イプセンも今回面白かったんですけどね。あと今、『ハムレット』を新訳しようとしていて、「尼寺へ行け」をどう訳すかっていう。
宮田●本当、どうやって訳すんだろう?
長島●かなり口語で訳していて、それはもうウェブで出しちゃったので言っちゃいますけど、「出家しろよ」って訳しているんです。今だから、やっぱりどう言えば届くかな、あり得るかな、っていうことの落としどころでかなり考えて、「修道院」にしたって、日本でそう言ったって届かないし。だから、「出家しろよ」って言っちゃう。
常田●その『ハムレット』に関しては、バースのところとそうじゃないところって、訳し分けたりなさっているんですか?
長島●いや、企画自体が、ものすごいカットして、90分ぐらいでやっちゃおうということなので、全部律義にというより、むしろかなり翻案が入ってくるものですね。
宮田●岩切さんはいかがですか?
岩切●有名な作品なんですけども、アヌイっていう人の『荷物のない旅行者』っていうのがありまして、これは本当に、記憶喪失の人の話なんですけど、面白いんですが、まぁこんなところで言って、たぶん悪いんでしょうけど、なかなかアヌイは日本ではやらせてくれないらしいんですよね、いろいろな事情があり。でもやっぱりこれは共通の財産なんですから、ぜひできればいいんじゃないかなって思うんですよ。他にも、あとイヨネスコっていう人の『義務の犠牲者』っていう、すごくまたこれも面白い前衛、前衛っていうか、もう古いかもしれないですけど、そういうのが、ベケットと同じような50年代ぐらいの作品なんですけど、あとやっぱり、古典では、モリエールとかラシーヌっていう17世紀の人がいて、これもまぁ、現代的にやるとかなり面白い。『ドン・ジュアン』とかやっぱりすごく面白いし、『フェードル』とか『バジャゼ』っていうラシーヌの悲劇も面白いので、こういうのもまぁやっぱり。
宮田●そうですよね。しばらく出ていませんよね、翻訳もね。
岩切●そうですね。ぜひ新国立劇場でも、企画にそのうち、なんていう感じで。
宮田●はい(笑)。水谷さん、いかがですか?
水谷●そうですね、日本ってやっぱり翻訳文化の国なんだけれども、アメリカ、イギリスのもので先ほどのウィリアム・インジの例なんかそうなんですけど、「外国でこういうのがありますよ」あるいは「海のむこうの生活はこうですよ」っていう、紹介の時期だったと思うんですよね。その戯曲自体を、その背景にある文化をもかみくだいて、きちんと自分たちのものとして消化して上演していたっていうことではなかったような気がしていて、実は『わが町』もずっとそうだったと思っているんです。だから今回は、宮田さんの責任はとても重たいんですけれども(笑)、やっぱりこれまでのとは絶対違った『わが町』であってもらいたいと思っているんですね。作品の本質をつかまえつつ、2011年の「今・ここ」での上演であってもらいたい。で、今、若い人たちが、柴幸男さんだとか中野成樹さんなんかがワイルダーのことにとても関心をもっていて、今年1年間を“ワイワイワイルダー”という、1年間に勝手に決めて、ワイルダーのマイナーな戯曲も含めてちょこちょこと上演していてくれているんだけど、彼らの世代だと紹介じゃなくて、本気でワイルダーをおもしろがっていて、ワイルダーとがっぷり正面から取り組んでいる気がするんです。だから消化して、やるべき戯曲がまだまだたくさんあるような気がするんですね。もちろん新しいものも面白いと思うのだけれども、きちんと消化しきれないまま置いてきちゃった戯曲がいくつもあるんじゃないかっていう気がするんです。それは、深く考えていくと、本当に深く考えていくと、明治以降の日本の文化のあり方そのものを問うような気がするんですね。つまり、どんどんどんどん消化もしないで、新しいものを追いかけ続けてきてしまっているような気がして。やっぱり何か忘れてしまっている重要なもの、先ほども言いましたけど、翻訳はイコールでなくて、古典として残っていくものっていうのは、必ずその中に、言葉になりきらない核があると思うんですけども、それをきちんと掘り下げる価値のある、忘れられている戯曲っていうのが、いくつもあるような気がするんですね。そういうものを、私は関心を持ってやっていきたいなと思っています。
宮田●ありがとうございます。まさしく[JAPAN MEETS……]の目的みたいなことで結んでいただきました。

早川書房『悲劇喜劇』に新訳戯曲が掲載されています

早川書房『悲劇喜劇』に、「ヘッダ・ガーブレル」から「わが町」までの3作品の新訳戯曲が、掲載されています。

「ヘッダ・ガーブレル」 『悲劇喜劇』2010年9月号掲載
作:ヘンリック・イプセン
翻訳:アンネ・ランデ・ペータス/長島 確

「やけたトタン屋根の上の猫」 『悲劇喜劇』2010年12月号掲載
作:テネシー・ウィリアムズ
翻訳:常田景子

「わが町」 『悲劇喜劇』2011年1月号掲載
作:ソーントン・ワイルダー
翻訳:水谷八也