シェイクスピア大学校


『ヘンリー六世』上演記念 シェイクスピア大学校
6回連続講座
芸術監督:鵜山 仁
監修:小田島雄志 河合祥一郎

I シェイクスピアは楽しい 小田島雄志(英文学者)
2009年11月4日[水]

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レジメ[小田島雄志氏登場]
どうも、みなさん、こんばんは。(拍手)
この舞台は意外に傾斜があるんだな(笑)。こういう舞台に初めて立って、ちょっと戸惑っていますけど、1時間ほどお話します。『シェイクスピアは楽しい』という題を勝手に僕が決めてしまってから、昨日あたりからとても不安になってきて、『シェイクスピアは楽しい』というのは、舞台を観るのが楽しいんです。『シェイクスピアは楽しい』という話を聴いても、ぜんぜん楽しくないんですよね(笑)。ただ僕のあとは、立派な先生方が面白くてためになるお話をされるはずです。今日は気楽にしゃべりますので聴いてみてください。
僕自身は、シェイクスピアの単なるミーハー的なファンなんです。時々偉そうにシェイクスピアのセールスマンだと言ったりしますけど、シェイクスピアの学者という自信はあまりありません。でもシェイクスピアが好きだということでは、誰にも負けない自信があります。
僕はパソコンが苦手で、ちゃんと打ち直してくれると思ったから、下手な字でレジメを書いて渡したら、そのまま僕の筆跡のままコピーされまして(笑)、読みにくいと思いますが、申し訳ありません。

まず、シェイクスピアは人間を書いた。それも人間関係の中に生きる人間を書いた。
これは基本的な僕の考え方で、芝居は全部人間関係を書いていると思われるかもしれませんが、例えばギリシャ悲劇でいえば、個人が運命と対峙するんですよね。代表的なソポクレスの『オイディプス』では、父を殺して母を妻としているという、ものすごい人間関係の中にいるようだけれども、実際舞台を観るとそうじゃなくて、オイディプスという主人公が一人で運命と戦うわけです。母を妻にしますが、彼女はコロスの一人なんですよね。
ところが、シェイクスピアだと、『ハムレット』を例にとると、父は死んでるけど亡霊としてからむし、母ともいろいろからむ、恋人といっていいのか、オフィーリアともかかわるし、オフィーリアの父であるポローニアスともからむ、いろんな人間関係の中でがんじがらめになっている。これがシェイクスピアの書く芝居です。そして人間関係、いま言った親子とか兄弟とか夫婦とか、あるいは恋人、友人、敵とか、先輩後輩、いろんな人間関係がある。それがあるというのは、どういうことかというと、一人の人間と関係をもっている人との間に何らかの感情が流れているということです。
例えば、初台駅からこの中劇場に来る間に誰かとすれちがった。何の感情も起こらない人は単なる通行人として通り過ぎるだけです。関係をもつということは、ちょっと肩がぶつかって「ごめんなさい」と言ったり、ムカッとしたり、何かそこである感情が流れるということです。これが、劇的な人間関係ですね。
一般的に喜怒哀楽と言いますが、そういう感情は古今東西変わらないはずです。僕がいつも言う言い方だと、恋人の心を得た男というのは、ジュリエットの心を知ったバルコニーシーンのロミオのように「ああ、幸せな、幸せな夜」という気分になるのは、洋の東西を問わず、昔もいまも変わりません。あるいは愛する娘に死なれた父親というのは、『リア王』でコーディリアの死骸を抱いて現れるリアが「泣け! 泣かぬか!」と言いながら出て来る、あの悲しみというのも、昔もいまも変わらないでしょうね。つまりシェイクスピアは、そのような人間の感情を書いたわけです。
シェイクスピアをちょっと離れて、僕の勝手なことをあらかじめ言っておくと、僕は来年80歳になりますから、そろそろ自分が死ぬ時のことを考えています。『ハムレット』の台詞だと、“The readness is all”と言うんだけど、心の用意ができている状態がいちばんいい、いつ死んでもいいんだということを考える。死ぬ間際になって自分の人生を振り返ったら、俺は生きていて良かったと思うか、つまり人生楽しかったと思うか、あるいは人生つらかったなと思うか、生まれてこなければよかったと思うか、いろんな気持ちが交錯するだろうと思いますが、僕は仮に自分が幸せだと言えるとすれば、俺はこんなにたくさん喜んだり悲しんだりしたぞという、感情の、喜怒哀楽の総和があるから、俺は生きてきて良かったと言えるんじゃないか。財産なんかじゃないだろう、また名誉でもないだろう、いろいろ削っていくと、俺は喜んだり悲しんだり、だから生きていてよかったと言いたい。
僕の人生なんてたいしたことないんで、自分の実際の体験はわずかかもしれない。ただ、僕はシェイクスピアを知ったおかげで、自分がロミオになってみたり、いまだに自分がハムレットだと思ったりします。たいてい酔っぱらった時ですけど(笑)。シェイクスピアのおかげで僕はいろんな喜びや悲しみを追体験してきた。だからシェイクスピアをまったく知らない人はかわいそうだと思うんだけど、シェイクスピアを楽しんだことが、僕にとっては生きていて良かったと言えるんだなと、勝手に自分でそう思えるのはシェイクスピアが喜びや悲しみを書いてくれたからで、そこに僕は泣いたり笑ったりできた、やっぱり生きてきてよかったと思えるということです。