新国立劇場 日本の現代舞台芸術年表

新国立劇場が制作、上演するオペラ、舞踊、演劇は、明治以来それぞれのジャンルが相互に影響し合い、また世界の芸術文化とともに歩んできました。この年表から現在に続く流れを概観し、現代舞台芸術の今を再発見していただけますと幸いです。

監修 
オペラ
昭和音楽大学オペラ研究所
舞踏
川島京子
演劇
佐藤優

大正 1912-1926

太字=劇場関連 国外=国外の出来事
  社会 オペラ 舞踊 演劇
 
1912(大正元) 7.30 明治天皇崩御、大正に改元 帝劇の招きでローシー来日、帝劇のオペラを指導 石井漠、帝劇歌劇部第1回公演歌劇《熊野》で初舞台
国外バレエ・リュス、ニジンスキー《牧神の午後》初演(ニジンスキー振付家デビュー)
帝劇歌劇部主任教師にローシーが来日。日本に初めてダンス・クラシックの技法がもたらされる/伊藤道郎、声楽研究のため渡欧
伊庭孝・上山草人ら近代劇協会を結成、旗揚げは、イプセン作・千葉掬香訳《ヘッダ・ガアブレル》を有楽座で/小山内薫、モスクワ経由でヨーロッパへ視察(第一次渡欧)
1913(2) 宝塚唱歌隊(のちの宝塚歌劇)誕生 帝劇公演、フンパーディンク《夜の森》(《ヘンゼルとグレーテル》の編作版)上演/帝劇公演、モーツァルト《魔笛》(編作版)上演 帝劇歌劇部第二期生として石井行康、岸田辰弥、高田雅夫等入部
国外バレエ・リュス、ニジンスキー《春の祭典》初演
伊藤道郎、ダルクローズの舞踊学校入学
国外ジャック・コボー「ヴュー・コロンビエ座」創設
小山内薫、スタニスラフスキーに出会う、《どん底》観劇/島村抱月、松井須磨子との恋愛事件で文芸協会を去り、芸術座結成、メーテルリンク作・秋田雨雀訳《内部》などで旗揚げ/近代劇協会、イプセン作《ノラ》(人形の家)を森林太郎訳で初演
1914(3) 東京駅 第一次世界大戦勃発(→1918)/東京駅竣工 帝劇公演、ドニゼッティ《連隊の娘》(第1幕の編作)上演/宝塚少女歌劇(宝塚歌劇団)第1回公演として北村季晴《ドンブラコ》、本居長世《浮れ達磨》上演/帝劇公演、オッフェンバック《天国と地獄》(《地獄のオルフェ》の縮約版)上演/帝劇公演、ベッリーニ《夢遊病の女》(縮約版)上演 原せい子(高田せい子)、帝劇洋劇部第一期生に編入 芸術座、帝劇でトルストイの《復活》を島村抱月脚色で初演、須磨子が歌った劇中歌「カチューシャの唄」が大ヒット
国外民衆舞台開場(独)
1915(4) 第1回全国中等学校野球大会 帝劇公演、プランケット《古城の鐘》(《コルヌビルの鐘》)上演/帝劇公演、オッフェンバック《戦争と平和》(《ジェロルステイン大公妃殿下》)上演/三浦環、ロンドン歌劇場で《蝶々夫人》を初主演。以降、アメリカ、ヨーロッパで活躍/帝劇公演、スッペ《ボッカチョ》上演 帝劇、ローシー《夢幻的バレエ》上演、高木徳子が日本人初のトゥ・ダンス披露/石井漠、帝劇洋劇部を辞め、山田耕筰のもとへ移る
国外ダルクローズ、ジュネーヴに舞踊学校設立/ロサンゼルスにデニショーン舞踊学校開校
芸術座、島村抱月・中村吉蔵訳でオスカー・ワイルド作《サロメ》初演。またツルゲーネフ作・楠山正雄脚色の《その前夜》初演、須磨子の「ゴンドラの唄」大ヒット/近代劇協会、伊東六郎訳・小山内薫演出でチェーホフ《桜の園》初演
1916(5) 夏目漱石死去 帝劇の洋劇部解散にともない、ローシーが東京・赤坂にローヤル館を開場。旗揚げ公演はオッフェンバック《天国と地獄》/この頃より浅草オペラ始まる 伊藤道郎、ロンドンにてイェーツ《鷹の井戸》に出演/ローシーのローヤル館に高田雅夫、高田せい子が参加/石井漠の舞踊詩運動はじまる。新劇場第1回公演で舞踊詩《日記の一頁》上演(日本人による最初の創作舞踊)/エレナ・スミルノワ、ボリス・ロマノフ来日。帝劇で《白鳥の湖》パ・ド・ドゥ、《瀕死の白鳥》ほか上演(日本初の本格的バレエ)/石井漠、新劇場第2回公演で舞踊詩劇《明闇》上演
1917(6) ロシア革命 浅草で伊庭孝、高木徳子らにより歌舞劇《女軍出征》上演、大ヒット/ローヤル館、オッフェンバック《美しきヘレナ》(《美しきエレーヌ》)、オッフェンバック《ボッカチョ》、《ブム大将》(《ジェロルステイン大公妃殿下》、田谷力三が主役デビュー)、プランケット《コルネヸルレ古城の鐘》(《コルヌビルの鐘》)、マスカーニ《カヴァレリア・ルスティカーナ》、アイヒベルク《アルカンタラの医師》、ロッシーニ《シヸルリアの理髪師》(《セビリアの理髪師》)上演/浅草で佐々紅華、石井獏らの東京歌劇座が佐々紅華《カフェーの夜》など上演、劇中歌「コロッケの唄」が流行 国外バレエ・リュス、マシーン《パラード》初演
小森敏、渡米。(1936 年帰国まで欧米で活躍)
沢田正二郎、芸術座を脱退して、倉橋仙太郎らと新国劇を結成。土方与志はともだち座をつくり、青山杉作、村田実らは踏路社を結成し、写実主義進む/芸術座、ソフォクレス原作・中村吉蔵訳補で《エヂポス王》(オイディプス)上演、本邦初のギリシャ悲劇/舞台協会、森鴎外訳・ストリンドベリ作《債鬼》上演
1918(7) シベリア出兵(→1922) ローヤル館、ヴェルディ《椿姫》上演(ローヤル館最後の公演)/ローシー夫妻離日/外山英二郎(藤原義江)、浅草オペラに参加/浅草で原信子らによりR・シュトラウス《サロメ》(抜粋)を上演
国外バルトーク《青ひげ公の城》初演/プッチーニ三部作(《外套》《修道女アンジェリカ》《ジャンニ・スキッキ》)初演
新村英一、渡米/伊藤道郎、ニューヨークに舞踊学校を開設
1919(8) 巡業オペラ団のロシア歌劇団初来日(27年までに全4回来日) エリアナ・パヴロバ来日、横浜ゲーテ座を拠点に活動
国外ニジンスキー、精神分裂病を発病
国外米でシアター・ギルド発足
前年の島村抱月死去を後追い、松井須磨子自殺、芸術座解散/畑中蓼坡・長田英雄らの新劇協会発足、瀬沼夏菜訳・チェーホフ作《叔父ワーニャ》などで旗揚げ/岸田國士、パリ留学に向け出発(〜32年帰国)/自由劇場、ブリューの《信仰》を上演し解散
1920(9) メーデー 初のメーデー 藤原義江、渡欧/浅草オペラ、大合同により金龍館での上演に集約/山田耕作、日本楽劇協会結成。ワーグナー《タンホイザー》第3幕1・2場上演
国外コルンゴルト《死の都》初演
岩村和雄、渡欧。ダルクローズ学校に学ぶ(1921年帰国)
国外ヴィグマン、ドレスデンに舞踊学校設立
国外国立民衆劇場開場(仏)
友田恭助、水谷八重子のわかもの座誕生/神戸で日本労働劇団結成、プロレタリア演劇の先駆/劇作家協会設立
1921(10) 原敬暗殺 クラウディア・クリチェフスカヤ来日、横浜、東京、京都、神戸、長崎で公演 国外ピランデルロ《作者を探す6人の登場人物》初演
岸田國士、コポーと会い、ヴユー・コロンビエ座付属の演劇学校で聴講/村山知義渡独
1922(11) 森鴎外死去 アンナ・パヴロワ来日、帝劇ほか日本各地を巡業。《瀕死の白鳥》ほか上演/石井漠、石井小浪と渡欧(1925年帰国)/高田雅夫・せい子夫妻、渡米(1924年帰国) 秋田雨雀、佐々木孝丸ら、先駆座結成。ストリンドベリ作《火遊び》などで旗揚げ/土方与志、岩田豊雄、相次いでドイツ、パリへ
1923(12) 関東大震災 関東大震災 カーピ・イタリア歌劇団初来日(30年までに全6回来日)/藤原義江が帰国、“我等のテナー”として一躍人気となる/関東大震災により浅草オペラの上演劇場が焼失、浅草オペラは下火に。翌25年に事実上の終焉 高田雅夫・せい子夫妻、ロンドンでアンナ・パヴロワの関東大震災救済公演に賛助出演/石井漠、石井小浪、ベルリンで欧州デビュー《囚われたる人》ほか上演
国外バレエ・リュス、ニジンスカ《結婚》初演
国外ブレヒト《バール》《都会のジャングル》初演
1924(13) クセニア・マクレツォワ来日。大阪松竹楽劇団と《火の鳥》《レ・シルフィード》ほか上演 小山内薫・土方与志・青山杉作ら築地小劇場創立、第1回公演《海戦》(ゲーリング作・土方演出)、《白鳥の歌》(チェーホフ作・小山内演出)、《休みの日》(マゾォー作・小山内演出)/新劇協会、岸田國士作《チロルの秋》を帝国ホテル演芸場で初演
1925(14) 治安維持法公布/初のラジオ放送 国外ベルク《ヴォツェック》初演 エレナ・オソフスカヤ来日、宝塚で指導/デニショーン舞踊団初来日/石井漠帰国、第2回帰朝公演で《山を登る》《食欲をそそる》ほか上演/エリアナ・パヴロバ、鎌倉七里ガ浜に日本初のバレエ学校開設。門下からのちに服部智恵子、東勇作、橘秋子、貝谷八百子、島田廣等が出る
国外新村英一、デニショーン舞踊団で初舞台
日本プロレタリア文芸連盟結成/村山知義・河原崎長十郎ら心座結成、第1回公演カイザー作《ユアナ》ほかを築地小劇場で上演/築地小劇場では、ピランデルロ、オニール、シング、ロマン・ロランらの作品を精力的に上演
1926(15/昭和元) 日本放送協会設立
12.25 大正天皇崩御、昭和に改元
国外プッチーニ《トゥーランドット》初演 藤原義江、米国ビクターと専属契約、“赤盤”歌手となる 石井漠舞踊団、中国、朝鮮巡業/岩村和雄、築地小劇場で第1回公演開催/エレナ・オソフスカヤ、宝塚歌劇団で《プリンス・イゴール》日本初演 劇作家協会と小説家協会の合同による文芸家協会設立/プロレタリア芸術の運動が高まる/佐野碩・佐々木孝丸らのトランク劇場、佐野碩・千田是也らの前衛座が発足/新国劇、エドモンド・ロスタン作・額田六福翻案《白野弁十郎》を邦楽座で初演/青い鳥劇団、岸田國士作《紙風船》を初演