新国立劇場 日本の現代舞台芸術年表

新国立劇場が制作、上演するオペラ、舞踊、演劇は、明治以来それぞれのジャンルが相互に影響し合い、また世界の芸術文化とともに歩んできました。この年表から現在に続く流れを概観し、現代舞台芸術の今を再発見していただけますと幸いです。

監修 
オペラ
昭和音楽大学オペラ研究所
舞踏
川島京子
演劇
佐藤優

昭和(前編) 1926-1945

太字=劇場関連 国外=国外の出来事
  社会 オペラ 舞踊 演劇
 
1926(昭和元) 日本放送協会設立
12.25 大正天皇崩御、昭和に改元
国外プッチーニ《トゥーランドット》初演
藤原義江、米国ビクターと専属契約、“赤盤”歌手となる
石井漠舞踊団、中国、朝鮮巡業/岩村和雄、築地小劇場で第1回公演開催/エレナ・オソフスカヤ、宝塚歌劇団で《プリンス・イゴール》日本初演 劇作家協会と小説家協会の合同による文芸家協会設立/プロレタリア芸術の運動が高まる/佐野碩・佐々木孝丸らのトランク劇場、佐野碩・千田是也らの前衛座が発足/新国劇、エドモンド・ロスタン作・額田六福翻案《白野弁十郎》を邦楽座で初演/青い鳥劇団、岸田國士作《紙風船》を初演
1927(2) 芥川 昭和金融恐慌/芥川龍之介自殺
宝塚少女歌劇レビュー《モンパリ》初演
歌劇研究グループ「レスビアン・ヴォーカル・フォア」(のち「ヴォーカル・フォア」)結成。メンバーは松平佐登子、佐藤美子、田谷力三、内田栄一 石井漠舞踊団ソウル公演で崔承喜が入門
国外マーサ・グレアム舞踊団結成
国外ミュージカル《ショーボート》初演(アメリカン・ミュージカルの確立)
築地小劇場、帝劇に進出し、カイザー作《平行》ほかを上演/井上正夫ら、真山青果作《平将門》を本郷座で初演/千田是也、ドイツへ/杉村春子、築地小劇場の研究生になる/劇団地球座結成(主宰・加藤長治)《十二夜》など上演
1928(3) モガ 初の普通選挙 原信子、ミラノ・スカラ座と専属契約(〜33年)/関屋敏子、ミラノ・スカラ座のオーディションに合格。その後、ヨーロッパで活躍 国外バレエ・リュス、バランシン《ミューズを導くアポロ》初演
石井漠、自由ヶ丘に石井漠舞踊研究所設立/ルース・ページ来日。帝劇で公演
国外ブレヒト+ヴァイル《三文オペラ》初演
ナップ(全日本無産者芸術連盟)結成/佐野碩・村山知義ら、東京左翼劇場結成、三好十郎《首を切るのは誰だ》初演/小山内薫没
1929(4) カジノフォーリー 「暗黒の木曜日」世界恐慌
カジノ・フォーリー発足
山田耕筰《堕ちたる天女》(坪内逍遙作)初演 ラ・アルヘンティーナ来日。帝劇でスペイン舞踊上演/高田雅夫没、日比谷公会堂で追悼舞踊祭開催。原せい子が高田せい子に改姓
国外セルゲイ・ディアギレフ没、バレエ・リュス解散
築地小劇場で小山内薫追悼公演《夜の宿》(ゴーリキー作・小山内訳)、千秋楽をもって分裂/築地小劇場脱退組により新築地劇団発足、土方与志・丸山定夫・千田是也・東野英治郎・八田元夫・山本安英ら/築地小劇場残留組は劇団築地小劇場結成、青山杉作・友田恭助ら/東京左翼劇場、劇団築地小劇場、新築地劇団、心座により新興劇団協議会結成
1930(5) 東京劇場 東京劇場開館 日本楽劇協会第3回公演《椿姫》上演。関屋敏子、藤原義江(藤原のオペラ主役デビュー)が主演/日本楽劇協会《蝶々夫人》上演 橘秋子、東勇作、エリアナ・パヴロバに師事/執行正俊、渡欧。ヴィグマン舞踊学校に学ぶ(1932年帰国)/村松道弥編集《音楽新聞》創刊 劇団新東京、青山杉作・汐見洋・友田恭助・東山千栄子ら、《フィガロの結婚》上演
1931(6) 満州事変
前進座結成
藤原義江、パリのオペラコミック座の《ラ・ボエーム》で主役を演じる/山田耕筰《あやめ》初演(演奏会形式) 国外アンナ・パヴロワ没
サカロフ夫妻来日。帝劇で舞踊公演/河上鈴子、上海から帰国し帰朝舞踊公演開催(日比谷公会堂)/江口隆哉・宮操子夫妻、渡欧(1933年帰国)
国外ニネット・ド・ヴァロワ、ヴィック=ウェルズ・バレエ(現・英国ロイヤル・バレエ)結成
新村英一、ニューヨークにスタジオ開設
国外オニール《喪服の似合うエレクトラ》初演
日本プロレタリア文化連盟(コップ)結成/テアトル・コメディ、金杉惇郎・長岡輝子らで発足
1932(7) 血盟団事件/五・一五事件、犬養毅暗殺 東京音楽学校、ヒンデミット《ヤーザーゲル》(《ヤーザーガー》)を上演/ヴォーカル・フォア《リゴレット》上演/東京音楽学校、ワーグナー《ローエングリン》前奏曲・第1幕上演(演奏会形式) テレジーナ・ボロナート来日。東京劇場でスペイン舞踊上演/岩村和雄没
国外クルト・ヨース《緑のテーブル》初演/ド・バジル大佐、バレエ・リュス・ド・モンテカルロ結成
築地座を友田恭助・田村秋子夫妻が結成、岸田國士・久保田万太郎参加。オニールの《楡の木陰の欲望》などを飛行館で上演/千田是也ら東京演劇集団(TES)、ブレヒト作《三文オペラ》を新歌舞伎座で初演/東山千栄子・青山杉作らの劇団東京、帝国ホテル演芸場でフックマイヤー作《楽しき葡萄畑》上演
1933(8) 国際連盟脱退/滝川事件/小林多喜二惨殺 サン・カルロ歌劇団来日。これを最後に戦後まで外来オペラは途絶える
国外R.シュトラウス《アラベラ》初演
ヴォーカル・フォア《椿姫》上演
橘秋子、舞踊研究所を開設 国外ロルカ《血の婚礼》、ジロドゥ《間奏曲》初演。ブレヒト亡命
バーナード・ショー来日/土方与志、モスクワ市立革命劇場演出班に所属、佐野碩はメイエルホリド劇場の研究員となる/東京左翼劇場・新築地劇団、久保栄作《五稜郭血書》を飛行館で初演
1934(9) マーカス ベーブ・ルースら来日
東京宝塚劇場開場
国外ショスタコーヴィチ《ムツェンスク郡のマクベス夫人》初演
関屋敏子が帰国、自作の《お夏狂乱》(川路柳紅作)上演/藤原義江を中心に《ラ・ボエーム》上演(藤原歌劇団の発足
江口隆哉・宮操子、帰朝第1回公演開催、舞踊研究所開設/ボーデンヴィーゼル・ウィーン芸術舞踊団来日。帝劇で公演/ハラルド・クロイツベルク、ルース・ページ来日。東京劇場、軍人会館で公演/橘秋子、第1回発表会開催《チゴイネルワイゼン》ほか上演/益田トリオ(益田隆、東勇作、梅園龍子)結成。朝日講堂で結成公演開催
国外バランシン、スクール・オヴ・アメリカン・バレエ設立、《セレナーデ》初演
ラ・メリ、ラム・ゴパール来日/貝谷八百子、エリアナ・パヴロバに入門
雑誌「テアトロ」創刊/新協劇団結成、秋田雨雀・村山知義・滝沢修・久保栄・細川ちか子・小沢栄太郎ら、《夜明け前》第一部を築地小劇場で初演/創作座結成、真船豊作《鼬》を飛行館で初演
1935(10) 初の芥川賞(石川達三)・直木賞(川口松太郎) PCL 管弦楽団、ヴァイル《リンドバーグの飛行》上演/藤原義江主演でH・ベルテ編曲《ライラック・タイム》(《シューベルトの恋》/白井鉄造作)上演/東京オペラカンパニー(藤原歌劇団)《リゴレット》上演。マッダレーナ役に杉村春子が出演
国外ガーシュウィン《ポーギーとベス》初演
三浦環、帰国/ソプラノ歌手マリア・クズネツォヴァが来日。藤原義江らが彼女をタイトル・ロールに新橋演舞場でプッチーニ《トスカ》上演
日劇ダンシング・チーム結成/石井順三編《舞踊芸術》創刊/蘆原英了編《舞踊新潮》創刊 築地座、小山祐士作《瀬戸内海の子どもら》を飛行館で初演
1936(11) 二・二六事件/ベルリン五輪「前畑がんばれ」 バス歌手フョードル・シャリアピン来日、独唱会を行う
国外ベルク《ルル》(2幕版)初演
三浦環、帰国後初の《蝶々夫人》主演
オリガ・サファイア来日、日劇のバレエ教師に。松尾明美、松山樹子を教える/東勇作舞踊研究所・日本チェケッティ協会開設
国外バレエ・リュス・ド・モンテカルロ分裂し、オリジナル・バレエ・リュスが生まれる
井上正夫、明治座で亀屋原徳作《海鳴り》を上演、新派と新劇の間をいく「中間演劇」と称される/築地座解散
1937(12) 宝塚 盧溝橋事件から日中戦争へ ヴォーカル・フォア創立10周年記念第5回公演。グノー《ファウスト》、新作の飯田信夫《アルト・ハイデルベルヒ》(小諸廉太郎作)を上演 法村友井舞踊研究所(のちの法村友井バレエ団)開設/エリアナ・パヴロバ帰化(日本名: 霧島エリ子)/オリガ・サファイア、日劇で「ロシア・バレエの試み」「古典バレエの試み」上演/新村英一、ニューヨークのカーネギーホールにスタジオ開設 北村喜八・村瀬幸子ら、芸術小劇場発足。《椿姫》で旗揚げ/新築地劇団、長塚節作《土》を築地小劇場で初演/築地小劇場、久板栄二郎作《北東の風》を築地小劇場で上演/岩田豊雄・久保田万太郎・岸田國士により文学座結成/松竹株式会社発足
1938(13) 国家総動員法公布 ヴォーカル・フォア第6回公演、《カヴァレリア・ルスティカーナ》《道化師》を上演。長門美保の本格的な作品でのオペラ初舞台/菅原明朗《葛飾情話》(永井荷風作)初演/藤原義江主演でレハール《微笑の国》を上演 貝谷八百子、歌舞伎座でデビュー公演開催、貝谷舞踊研究所(のちの貝谷バレエ団)開設/舞踊家の皇軍慰問が始まる 国外ソーントン・ワイルダー《わが町》初演。スタニスラフスキー死去
文学座第1回試演《みごとな女》(森本薫作)ほかを飛行館で上演/岡田嘉子・杉本良吉、樺太からロシアへ越境。逮捕され拷問を受ける/新劇協同公演で、文学座《秋水嶺》《釣堀にて》、新築地劇団《ハムレット》、新協劇団《千万人と雖も我行かん》を有楽座で上演
1939(14) ノモンハン事件/第二次世界大戦開戦(→1945) 藤原歌劇団第7回公演、《カルメン》を歌舞伎座で上演。「藤原義江歌劇団」の名称が初めて使われる。以後、藤原歌劇団は終戦までの本公演のほとんどを歌舞伎座で上演/指揮者マンフレッド・グルリット来日、藤原歌劇団の指揮者となる/関屋敏子オペラコムパニー《椿姫》上演/藤原歌劇団公演、《椿姫》《リゴレット》を日替わりで上演 ロシア・オペラ・バレエ団の公演禁止(外国劇団の公演不可能に)/都新聞社主催全国舞踊コンクール始まる/日劇バレエ公演、伊藤道郎《プリンス・イゴール》上演/イトウ・ダンス・リサイタル(伊藤道郎)、軍人会館でイェーツ《鷹の井戸》を日本初演 国外サローヤン《君が人生の時》、オニール《氷屋来る》初演
佐野碩メキシコへ/築地小劇場株式会社発足
1940(15) 日独伊三国同盟
入場税法制定
藤原歌劇団第10回公演、《ラ・ボエーム》上演/日本楽劇協会第8回公演として山田耕筰《夜明け》初演(後に《黒船》に改題)。紀元2600年奉祝の一環。日本初の本格的なグランド・オペラ 日劇ダンシング・チーム、東宝舞踊隊と改称/島田廣、エリアナ・パヴロバに入門。《白鳥の湖》王子役でデビュー
国外バレエ・シアター(のちのアメリカン・バレエ・シアター)第1回公演
小牧正英、上海バレエ・リュス入団
新築地劇団、新協劇団に解散命令(千田是也・滝沢修ら100人余検挙)/岸田國士、大政翼賛会文化部長となる/築地小劇場、当局の圧迫により国民新劇場と改称/新築地劇団、三好十郎作《浮標》を築地小劇場で初演
1941(16) 真珠湾 ゾルゲ事件/太平洋戦争(→1945) 藤原歌劇団第11回公演、ヴェルディ《アイーダ》上演。グルリット、同歌劇団のオペラ公演を初指揮/藤原歌劇団第12回公演、《カルメン》上演/音楽界の一元的統制団体として日本音楽文化協会が設立される 東勇作バレエ団第1回公演《レ・シルフィード》《牧神の午後》ほか 松尾明美、松山樹子が出演/エリアナ・パヴロバ没。南京慰問中に病死/東勇作バレエ団第2回公演《ジゼル幻想》ほか 日本移動演劇連盟結成
1942(17) 藤原歌劇団第13回公演、《トスカ》上演/日本合唱団(旧ヴォーカル・フォア)創立/15周年記念公演《ファウスト》上演/藤原歌劇団第15回公演、ワーグナー《ローエングリン》上演 蘆原英了《古典舞踊の基礎》《舞踊美論》出版
国外マース・カニンガム、ジョン・ケージとコラボレーション開始
佐佐木隆・山村聡・鈴木光枝ら、文化座創立、旗揚げ公演は梅本重信作《武蔵野》/宇野重吉・信欣三ら、瑞穂劇団創立、農山漁村巡演開始/薄田研二・丸山定夫・徳川夢声ら、苦楽座結成
1943(18) 学徒出陣 学徒出陣 藤原歌劇団第16回公演《ラ・ボエーム》上演/藤原歌劇団第17回公演、弘田龍太郎《西浦の神》(アイヌ神話より松井桃楼脚色、巽聖歌作詞)初演/藤原歌劇団創立10周年記念第18回公演、ベートーヴェン《フィデリオ》上演 服部智恵子、島田廣が服部・島田バレエ団結成 国外サルトル《蠅》、アヌイ《アンチゴーヌ》初演
古川緑波一座、菊田一夫作《花咲く港》を帝劇で初演/滝沢修・青山杉作ら芸文座を結成、武者小路実篤作《三笑》を帝劇で上演
1944(19) 学童疎開
決戦非常措置要綱により多くの劇場休場または興行時間制限
藤原歌劇団、ベートーヴェン《フィデリオ》大阪公演。(日本における戦中最後のオペラ上演) 大東亜舞踊団(服部・島田バレエ団旗揚げ公演)、島田廣《盲鳥》上演 国外テネシー・ウィリアムズ《ガラスの動物園》初演
青山杉作・千田是也・東野英治郎・岸輝子・東山千栄子・小沢栄太郎・村瀬幸子ら、俳優座結成。第1回試演会《皇軍艦》(佐古少尉作)、《金切君の受難》(飯沢匡作)など/文学座、国民新劇場で森本薫作《怒濤》大ヒットに続き、飯沢匡作《鳥獣合戦》を初演/文化座、三好十郎作《おりき》を国民新劇場で初演
1945(20) アーニー・パイル ポツダム宣言。広島・長崎に原爆投下/8.15終戦。
東京宝塚劇場、GHQに接収されアーニー・パイル劇場に改称
国外ブリテン《ピーター・グライムズ》初演 伊藤道郎、アーニー・パイル劇場の総監督兼顧問に 丸山定夫・園井恵子ら、移動演劇桜隊の9名が広島で爆死/東京芸術劇場結成、久保栄・薄田研二、滝沢修ら/戦時下、文学座、森本薫作《女の一生》を東横映画劇場で初演/国民新劇場(築地小劇場)消失/終戦後の12月、俳優座、文学座、東京芸術劇場など新劇合同公演《桜の園》を有楽座にて上演