白鳥が乙女に化して、人間の男に衣を取られて結婚する。女性の処女性を白鳥で象徴。類型はアジア、ヨーロッパ、アラブ、北アメリカ、アフリカなど世界諸民族に渡る。日本の羽衣(はごろも)伝説や昔話『鶴女房』はその例。最古の例はインドのバラモン教の聖典『リグ・ヴェータ』(前1500~前1000年)とされる。
ギリシア神話での白鳥はゼウスの化身。スパルタの王妃レダに魅せられたゼウスは白鳥となってレダに近づく。ゼウスの愛を受けてレダは2個の卵を産む。トロイ戦争の原因となった絶世の美女ヘレネはこの卵から生まれた。演劇やオペラの『エレクトラ』でよく知られるエレクトラの母クリュタイムネーストラーもこの卵から生まれた。(ユージン・オニール『喪服の似合うエレクトラ』、シュトラウス『エレクトラ』)
ヤマトタケルは死んでその魂が白鳥となって飛び立つシーンが古事記では描かれる。古代、人の魂が鳥となって天翔ると考えられていた。日本の神話の世界では、神々は自由に変身する。鳥を魂に見立てたのではなく、神は鳥となると考えた。
ツィウという神が新しい年の光を世界にもたらすために、白鳥に曳かせた小舟に乗って人間界に降り、悪を罰し再び南方の国へ帰って行く。白鳥に曳かれた光り輝く騎士が到来し、無実の姫を救うワーグナーの『ローエングリン』も同型。この物語の重要なポイントに騎士の素性を尋ねてはならぬ、という問いの禁止がある。女性の姿になった白鳥や鶴が元の姿になって去るのは、この禁を犯したことによる。
『白鳥の湖』に登場する道化は宮廷道化師。この道化は王族や貴族の忠実な家臣で、主人の滑稽な影法師の役割も果たす。道化が君主に対しても何を言っても許される特権的自由を持っていたのは、主人の負の分身だから。道化師が負を引き受けることで、主人は愚から逃れ、完璧でいられた。演劇『リア王』などシェイクスピア作品にもしばしば登場する。『リア王』では王自身が愚を犯したことで、道化はその役割を奪われ舞台に二度と登場しない。ヴェルディの傑作オペラ『リゴレット』のタイトルロールは道化。
成人式の祝宴で王妃が王子に贈る弓は戦争・権力などの象徴とされる。
悪魔ロートバルトはフクロウの姿で描かれる。不気味な情景・死の世界などを連想させるが、マイナスイメージばかりではない。フクロウは英知を象徴する鳥でもある。
ギリシアの女神で、英雄たち守護神アテナの聖鳥はフクロウ。「アテナの目が眩しくてエロスも矢を射れなかった」というのは夜に目が光るフクロウと同。ギリシア語で輝く=glaucos、フクロウ=glaux。ローマ神話の女神ミネルヴァがこのアテナにあたる。『ハリー・ポッター』に登場するホグワーツ魔法魔術学校の副校長マクゴナガルの名前ミネルヴァはここに由来する。
C・S・ルイスの『ナルニア物語「銀の椅子」』で主人公ユーステスとジルを危機から救うのは言葉を話す巨大なフクロウ。
カットされることも多いロシアの踊り・ルースカヤが主役級のダンサーによって踊られる。見応えのある優雅なシーンである。
ドイツ・北欧の伝説上の英雄の名前。中世ドイツの叙事詩『ニーベルンゲンの歌』の主人公。怪力で悪竜を退治の際、その返り血を浴びて不死身となる。ニーベルンゲンの宝物を得、王の妹と結婚するが、王の重臣に背中の唯一の弱点を狙われて死ぬ。ワーグナーの『ニーベルングの指環』のモチーフとなった物語でもある。
また、『白鳥の湖』では作曲家のチャイコフスキーのドイツへの接近が指摘されることがある。たとえば登場人物の名前がこのジークフリードを始めドイツ人名が多いことや彼のお気に入りが『ローエングリン』であったこと、ジークフリードが登場する『ニーベルングの指環』をバイロイトで聴いていたことなどである。
『白鳥の湖』のエンディングには様々なパターンがある。たとえばジークフリード王子とロートバルトが一騎打ちの末、王子が敗れ、オデットと王子は共に死んで、天国で結ばれるとい版等。新国立劇場版は白鳥たちと王子が力を合わせてロートバルトとの戦いに勝ち、オデットと王子が結ばれるというハッピー・エンディング。