第2回 『リチャード二世』とのつながり
第1回では『ヘンリー五世』と、その一つ前の代を描いた『ヘンリー四世』二部作とのつながりを解説しました。この第2回では、二つ前の代を描いた『リチャード二世』とのつながりについて解説をします。焦点を当てるのは、アジンコートの戦いが始まる直前の場面です。
ヘンリー五世率いるイングランド軍がフランス軍との大決戦に挑む場面ということで、アジンコートの戦は大きな見せ場の一つです。と同時に、その戦いの直前、ヘンリー五世が野営地にて口にする独白は傾聴に値します。王が口にするのは、先々代のイングランド王リチャード二世に対する鎮魂の言葉なのです。
「父が王冠を手に入れるために犯した罪」
圧倒的な兵力を誇るフランス軍との死闘が迫る中、兵力の劣るイングランド軍内部では不安が広がりつつあります。そこでヘンリー五世がとった行動は、下士官に身をやつし、野営地を歩き回り、兵士達による「生の声」を実際に耳にすることでした。その後、王は神に祈りを捧げます:
ああ、今日だけは、父が王冠を手に入れるために犯した罪を
忘れたまえ。私はこのたびリチャード二世の遺体を
手厚く埋葬しなおし、父がむりやり絞りとった血よりも
はるかに多くの悔恨の涙をその上に降り注ぎました。(四幕一場)
父ヘンリー四世が王位に就く為にとった行動は罪に当り、リチャード二世からその血を「むりやり絞りとった」行為に等しく、そのためヘンリー五世は父に代わって「悔恨の涙」を流してきたというのです。
ヘンリー四世は、若かりしヘンリー・ボリングブルックの頃にリチャード二世に反乱を起こし、王位を簒奪しているわけですが、この経緯を描いた戯曲が『リチャード二世』です。ボリングブルックはとある事情でリチャード二世から国外追放を言い渡され、父親ジョン・オブ・ゴーントの土地も没収されてしまいます。愛国心と復讐心に燃えてイングランドに舞い戻ったボリングブルックはリチャード二世を廃位に追い込み、ヘンリー四世として即位したのです。
もちろんリチャード二世による放蕩ぶりや権力の乱用は目に余るものがあったわけですが、それを差し引いても、ボリングブルックによる王位の簒奪、並びにその後の統治には疑問符が突きつけられてきたのです。例えば、『ヘンリー四世』第一部にてホットスパーがヘンリー四世のことを「ボリングブルック」とあえて呼称していたのは、この経緯をあてつけているからでしょう。「お前が正当な王位継承者ではないことを、俺は知っているぞ」というわけです。
「故リチャード二世の為に常にミサを唱えて」
つまり、この場面においてシェイクスピアが生々しく暴き出すのは、父から受け継いだ王位の正統性について不安を抱えている、ヘンリー五世の孤独な姿に他なりません。王は、死者をどのように悼んできたのかを独白します:
また、五百人の隠者に年金を与えて養っておりますが、
彼らは日に二度、しなびた両手を天にさしのべ、
流された血を許したまえ、と祈っております。さらに私は
二つの礼拝堂を建てました。そこでは謹厳な神父たちが
故リチャード王の為に常にミサを唱えております。(同)
「五百人の隠者」から「謹厳な神父たち」に至るまで、ヘンリー五世はできる限りの人員を総動員してまで、死者の魂を鎮めようとしてきました。けれども、その王位とともに引き受けた父の罪は、果たしてどこまで贖い切れるものなのでしょうか。
『ヘンリー五世』が私達観客に投げかけるのは、戦場における勝利の高揚だけではなく、それを率いる者に対するいかんともしがたい疑惑、そして先導者自身が抱える内面的な激しい「揺らぎ」ではないでしょうか。誰にも相談できない孤独な悩みを抱えながら、ヘンリー五世はアジンコートの戦をどう生き延び、勝利を治め、自らのルーツにつきまとう不安と折り合いをつけることができるのでしょうか。その問が観客の耳に響き始める発端、すなわち王が野営地にてただ一人、鎮魂の祈りを捧げる場面の演出は、『ヘンリー五世』観劇に寄せる密かな期待の一つなのです。
※訳文は全て小田島雄志訳、シェイクスピア全集(白水社)に拠る。
- 小泉勇人(こいずみ・ゆうと)
東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 - 関西学院大学文学部英文科を卒業後、早稲田大学文学研究科にてシェイクスピア劇を研究、2015年にロンドン大学にて修士号を取得。2017年4月より東京工業大学リベラルアーツ研究教育院・外国語セクションに着任。シェイクスピア映画を中心に研究し、映画を用いた大学英語教育にも関心がある。