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“「わが町」上演記念エッセイ募集”優秀作品発表

新国立劇場では、「わが町」を上演するに当たり、「あなたにとってかけがえのない日常とは」というテーマでエッセイを募集いたしました。今回の舞台とも通じる、“何げないけれどあなたにとって大切な日常のひとこま”を200字程度のエッセイに綴っていただくというものです。
その結果、全国の皆様より実に300編を超える多くの力作が寄せられました。ご家族との毎日や、お住まいの町の風景、ご趣味に励む姿など、様々な“何げない日常”を送っていただきました。
この度、「わが町」出演者の小堺一機さん、斉藤由貴さん、演出の宮田慶子の審査により、次の10編が優秀作品に選ばれました。ご応募くださいました皆様に心より感謝申し上げるとともに、ここに優秀作品を発表させていただきます。(順不同、敬称略)

岡部 達美 (東京都)

この春、兄が一人暮らしを始めた。兄の椅子がポツンとひとつ。家が広くなった。洗濯物が減った。父が、おとなしい。反面、母が、以前より忙しくしている。あんなにけんかばかりしていた私も、最近、けんか相手がいなくて、どうも変だ。たった一人いないだけで、こうも空気が違うものか。ぶつかり合い、喜び合い、悲しみ合う。そんな日常の一コマ一コマが、案外、尊い出来事なのではないかと、昨今しみじみ感じている。

小澤 和夫 (兵庫県)

自宅の近くにお地蔵さんを祭った小さな祠がある。前を通ると、立ち止まって合掌する。物心ついた幼い頃からの習慣である。
特段、何かをお願いするわけではない。
ただ目を閉じて手を合わせる。それだけで心が落ちつく。
幾人ものひとが、立ち止まって合掌する。
順番を待っている人がいれば、軽く会釈する。お互いに微笑みが何げなく生まれる。
祠に合掌する。このことが、かけがえのない大切な日々を今日もまた育んでいく。

川崎 利明 (神奈川県)

私の息子は高校2年生である。不幸な出来事により、中学生の時から車椅子で授業を受けている。通っている学校は、バリヤフリーではないので、通学だけではなく、教室移動や体育があると親のサポートが必要になる。平日は妻が、土曜は私が学校を訪れている。親としては、息子の不遇をどうにもできないが、親として出来るだけのことを行っている。こうして、日々息子と共に行動することで、息子の頑張りや成長を直に触れることができる。「よくやった!」と思える出来事もある。小さな出来事ではあるが、私たちの1日1日を確かなものにしてくれている。

木村 理紗子 (奈良県)

玄関の扉を開き中へ入る。台所からはいつもの「おかえりー。」という声。部活で疲れきった私は、制服のまま寝転がる。台所から聞こえる、包丁がまな板に一定のリズムであたる音を聞きながら静かに眠りにつく。目覚めた時には、テーブルに温かい夕食が並べられている。今日の出来事をしつこく聞いてくる母に対して、面倒臭いなーと思いながらも少し嬉しい自分がいる。そんなありふれた毎日が、私にとってはかけがえのない毎日である。

柴田 和也 (福岡県)

家族みんなで食べるケーキはまた格別です。妻はいつだって自分のショートケーキの苺を、長女にあげてしまいます。次女が二歳になって、ケーキを丸ごと一つ食べられるようになりました。今では食卓に四つのショートケーキが並べられ、妻の苺は上の娘へ。僕の苺は下の娘へ。メインの苺が乗っていないショートケーキなのですが、ようやく妻と同じものが食べられるのが何だか嬉しくて、それはまた特別に美味しいと思えるのでした。

竹上 裕子 (愛知県)

いつもの朝がやってくる。ビルの谷間から差し込む朝日が店の前の道路を輝かせる。主人の作る豆腐が白い湯気を立てて型箱の中に流し込まれる。重石をかけた手を止めることなく次の豆乳ににがりを流し込む。八十になった祖母の手はふっくらとしてつやがある。その手はかりっとした飛竜頭やもっちりとした生揚げを作っている。長男の朝食はその生揚げに醤油をかけて刻み葱だ。

帖佐 綾子 (鹿児島県)

朝起きて、お母さんと、じいちゃん、ばあちゃんに会うと、ほっとする。うれしくなる。
そして、父と会うのは、もっと別な場所。たまに開くGEM(ジェム)。三省堂のポケット辞書だ。私が生まれる三ヶ月前に亡くなった父。小刀で削った赤鉛筆で、線を引くのが大好きだったそうだ。先日、「スパイラル」の意味が気になった。spiral(エスピーアイアールエーエル)。ページをめくると、既に、おきまりの赤鉛筆で塗りつぶされていた。父に会えて、私は、うれしくなる。

宮本 瑠吏子 (東京都)

「一生幸せにします。」「ありがとう。じゃあ、わたしは一生元気いっぱいに『行ってらっしゃい』と『お帰り』を贈るね。」時には喧嘩をして、顔をそむけたままお見送り。時にはうたた寝してしまい、寝顔でのお出迎え。仕事で嫌なことがあっても、対人関係でイライラしても、満員電車にうんざりしても、「今日も1日がんばろう」「家が一番ほっとする」と思って欲しくて始めたこと。今日も夕飯を作っている時に「ピンポーン」。チャイムの鳴らし方ひとつでも、今日は疲れているな…とか今日は良いことあったのかな…がわかるんだよ。今日はついうっかり、片手におたまを持ったままで「おかえり!!」

山田 和彦 (愛知県)

町外れの丘から眺めると、小さな池を囲むように遊歩道がある。
「祖父ちゃん。季節の缶詰めあるといいね」
孫娘が私に言った。確かに季節には匂いがある。
春は堆肥と若草、夏の夕暮れには蚊取り線香と麻蚊帳のひなびた匂い、秋には七輪で焼く秋刀魚、冬には土壺で焼いたさつま芋の匂い。これら子供のとき五感にしみ込んだ匂いだ。
季節の匂いも時代とともに変化している。変わらないのは隣の庭から漂う金木犀の香りのおすそ分けだ。

山本 由美子 (大阪府)

八十路の両親を訪ね、一緒に買い物してランチ。デーサービスの出来事をさんざ聞いて、母の塗り絵等の作品に見入る。デーサービスで負け知らずの父と真剣にオセロをする。母がおやつを出してくれる。夕食の用意を手伝い、帰り際に三人で次の予定を立てる。温泉、旅行、病院、デパート・・。「気をつけてね」と両親が丸くなった背と遅い歩みで送り出してくれる。こんな風景が両親の晩年を埋めていく。六十年の親子関係で、最もいとおしい心の通いを感じる今。明日も明後日もこんな日が続きますように。何もない、何も起こらない幸せを反芻して家路に向かう。

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