シェイクスピア大学校


『ヘンリー六世』上演記念 シェイクスピア大学校
6回連続講座
芸術監督:鵜山 仁
監修:小田島雄志 河合祥一郎

V シェイクスピアとジャンヌ・ダルク ―ナショナル・ヒストリーの曙― 佐藤賢一(作家)
2009年11月18日[水]

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今回の『ヘンリー六世』がロンドンで初演されたのは1590年です。
2年前の1588年にはアルマダの戦いがあり、16世紀に新大陸というものを発見して飛ぶ鳥を落とす勢いだったスペインの無敵艦隊をイギリス艦隊が破ったのです。当時の一流国を負かした、イギリスは一流国だと国際社会に名乗りを上げたのです。そのまさに2年後に、シェイクスピアは『ヘンリー六世』を発表している。つまりイギリスをもっともっと高揚していかなければならない時期に現れ、後にシェイクスピア症候群と言われるぐらい影響力のある作家となっていく気がするわけです。
そうした時に、ジャンヌ・ダルクをこれだけひどく書いたというのも、彼の立場からすればわかるように思います。というのは、エリザベス一世は終生結婚しなかった、処女王と呼ばれました。処女王であるからには、そのアンチテーゼでなければならない、イギリスを脅かした女がフランスにいたとすれば、それは、エリザベス一世のアンチテーゼでなければいけないという必然が出てくるわけですね。そこで、どういうふうな女に仕立てるかといえば、処女であり聖女であるエリザベス一世の対比ですから、魔女であり悪女でなければいけない。
さらに深読みすると、エリザベス一世の終生のライバルはスコットランド女王のメアリー・ステュアートでした。もしかしたらシェイクスピアは、メアリー・ステュアートをジャンヌ・ダルクに重ねていたという気もしないでないんです。1587年、エリザベス女王はメアリー・ステュアートを処刑しています。隣国の女王を処刑するのはどうなんだと国際的にも物議を醸しました。それを弁護するのが、シェイクスピアの意図があったのではないか。つまりイギリスを脅かすような女は淫乱であったり魔女や悪女であり、あるいは悪霊を連れてくる。当時は宗教改革の時代で、プロテスタントはカトリックを悪魔と呼んだし、カトリックはプロテスタントを悪魔と呼びました。カトリックであったメアリー・ステュアートは、悪魔の手先だと。そういうようなことを位置づけて、それを排除しても正解だったんだ。ジャンヌ・ダルクという昔、同じようなひどい女がいたけれど、当時のイギリス王もやっつけているのだから、それと重ね合わせて、現実の政治を巧みに擁護していく。イギリスの国民意識を高めていく役割を担ったのが、シェイクスピアだったのではないかなあという気もしたりしています。

まとめますと、シェイクスピアとジャンヌ・ダルクは、1つ硬貨の裏表のようなもので、 共にナショナル・ヒストリーの体現者であり、のみならず積極的な創始者であったと言えるかと思います。
上からの支配者の視線で国家を論じるのではなく、民衆の要望、下からの自発的な要求として、国家を論じている点でも2人は共通しているかなと思います。
ということはその後の歴史が証明するように、時代というものが、それぞれ国というもの、ナショナルというものを求めたのかなと。それを敏感に察知したのがこの2人で、見方を変えれば2人とも時代の要請に敏感だっただけのことでありまして、もし現代に生まれていたならば、また違った考えを持っていたかもしれません。
つまり、このボーダーレスの時代、国の必然性が希薄になっている時代、ヨーロッパはEUになってますます国の枠がなくなってきています。この時代に彼らが生まれていたらまた別な言葉を叫んでいたかもしれません。イギリス史、フランス史、日本史というナショナル・ヒストリー自体が、実は絶対の前提ではなく、シェイクスピアやジャンヌ・ダルクの時代から徐々に生まれてきたものなんだ。そういったことも、今時代の枠組み自体が変わりつつあるなかで、やっぱり認識してもいいのかなと。
その意味でも、シェイクスピアとジャンヌ・ダルクは再評価されてもいいのかなあと私は思います。
これでお話を終わりたいと思います。長い時間、ご静聴ありがとうございました。
(拍手)

※系図・図版は、佐藤賢一著『英仏百年戦争』(集英社新書)より転載しました。
※文中の登場人物名、台詞は、小田島雄志氏の訳によりました。